第十二幕 南蛮への誘い(Ⅵ) ~赴くままに

「なぁっ!? せ、先生がやられた!? う、嘘だろ!?」


 周囲では相変わらずマリウスの率いてきた騎馬隊が暴れまわり剣戟音や怒号が鳴り響いていたが、ヌゴラの部族も徐々に混乱から立ち直って反撃態勢に移行しようとしていた。


 その矢先に絶対的強者であったギュスタヴの倒れる姿にヌゴラが動揺し、まとまりかけていた部族は再び統率が乱れ始める。


「……! 脱出するなら今しかないね!」


 マリウスは素早く状況を読み取った。倒れたギュスタヴに止めを刺したい所だったが、マリウス自身かなり限界が近いのと、急がないと再び敵軍が統率を取り戻してしまう可能性から、ソニア達の救出と離脱を優先させる。



 彼は素早くソニア達が拘束されている杭に近づき、その縄を切り落とした。


「さあ、2人共! 早く逃げるよ!?」


 マリウスは2人を促し、ジュナイナの方は駆け寄ってきた兵士の馬に同乗させる。自身もソニアの手を引いて近くに待機していたブラムドに跨がろうとするが、


「か、刀……。アタシの刀が……!」

「……!」


 ソニアの目線を追うと、敵の部族長と思われる男が何とソニアの青龍牙刀を振り回している姿が目に入った。


 あの刀はかなりの業物だ。目を付けた部族長が奪ったのだろう。だがあれは業物なのは勿論、ソニアにとっては父の形見でもあるのだ。


「君は先に馬に乗っててっ!」

「あ……マ、マリウス!?」


 ソニアの慌てふためく声を背に、マリウスは一気に戦場へと駆け戻った。全身に深手を負って動くのも辛い程だが、それでも今の意気消沈したソニアに父の形見まで失くす追い打ちを掛けさせる訳にはいかない。



 マリウスは混乱する戦場を縫うようにしてヌゴラの前まで到達した。


「お、お前、一体どこの勢力の――」

「悪いけどその刀は君が持っていていい物じゃない。返してもらうよ」


 話している時間も惜しいマリウスは、相手の言葉を遮って攻撃を仕掛ける。


「そんな傷だらけで舐めやがって! 死ねぇっ!」


 怒り狂ったヌゴラが刀を振り下ろしてくる。それなりに鋭い斬撃であったが、直前までギュスタヴと斬り結んでいたマリウスにとっては、あくびが出る程の遅さに感じた。


 素早く斬撃を躱したマリウスは、ヌゴラの顔面に拳をお見舞いする。


「げはっ!」


 鼻血を噴いてもんどり打ってひっくり返るヌゴラの手から青龍牙刀をもぎ取る。斬ろうと思えば斬れたが、マリウス自身はあくまでソニアを救出に来ただけで南蛮に戦争を仕掛ける意図は無いので、殺傷は必要最小限に留めておきたかった。兵士達にもそれは厳命してある。


「確かに返してもらったよ。それじゃ!」


 言い捨てて素早く離脱。ソニアの下に戻ると、彼女はブラムドに乗らずに心配げな様子でマリウスを待っていた。


「マリウス……!」


 戻ってきた彼の姿を認めると、その顔がホッとしたように緩む。そしてその手にある青龍牙刀を見て目を丸くした。


「大事な物なんだから失くしちゃ駄目だよ?」

「あ、ありがとう……」


 刀を受け取ったソニアは呆然としたように礼を言うと、ようやく実感したかのように刀を大事そうに握りしめた。その目から涙がこぼれ落ちる。


 マリウスは今度こそ愛馬に跨がり、ソニアの事も引っ張り上げた。彼女が無事に馬に跨った事を確認すると、撤収の合図を出す。


 すると騎馬隊はそれまでの勇戦ぶりが嘘のように、手綱を返してまるで引き潮のようにあっという間に戦場を離脱していった。


「くそ! クソが! 逃がすな! 追えっ! 追えぇぇっ!!」


 鼻血を噴いた顔のまま目を憎悪に滾らせたヌゴラが怒鳴り散らす。部族の戦士達はそれを受けて慌てて追撃に移っていった。




****




「……ふぅ。ここまで来ればもう大丈夫だね」


 帝国最南端の都市ムシナ。その旅人宿の一室にマリウス達の姿があった。麾下の兵士達は全て解散し、各々個別にディムロスまで戻るように指示してある。


 小規模とは言え軍隊として行動する事で、この辺りの太守を刺激したくなかった為だ。因みに来る時もそのように個別に現地集合という形を取っていた。


 マリウスはギュスタヴから受けた傷が深く、応急処置と休養の必要があった為にムシナに留まる事となった。勿論その側には罪悪感に意気消沈するソニアの姿もあった。



「この……大馬鹿野郎! 何で来た!? こんな馬鹿なアタシなんかを助ける為に……!」


 ヌゴラの追撃を振り切り、ムシナで傷の処置と簡単な食事を摂ってようやく落ち着いた所で、今まで無言だったソニアが待っていたかのように口火を切った。


「ははは、馬鹿同士でおあいこだね」


 寝台で身を起こしながらマリウスが気楽に笑う。側に立つソニアがカッとしたように叫ぶ。


「アタシは真剣に聞いてるんだ! こ、こんな……大怪我までして……何でアタシなんかを……」


 次第に涙声になるソニア。懺悔、後悔、恥辱、煩悶、憂慮……様々な負の感情が彼女を苛んでいた。マリウスはそれを察して真剣な表情になる。



「……あの後僕も考えちゃってね。確かに国は大事だけど、それに固執するあまり僕らしさも失ってしまっていたんじゃないか、とね」


「……!」

 あの後とは、ソニアが執務室で啖呵を切って出ていってしまった時の事だろう。ソニアが目を見開く。マリウスは少しおどけたように微笑む。


「美しい女性が困っているというのに何もしないなんて、僕らしくないと思わないかい?」


 それは確かにその通りだとソニアは思った。


「ふ、ふ……そうだったね。女の為に無茶するのがアンタだったよね」


「そうさ! だから少しだけ自分らしく、してみたい事をしてみようと思ってね」


 彼が南蛮まで駆け付けた理由がすんなりと納得できた。そう。マリウスは本来こういう奴・・・・・なのである。


 納得できると同時に無性に可笑しくなった。可笑しさと……そして嬉しさ・・・によって笑いがこみ上げてきた。


「ふふふ、あはは! 全く、アンタって奴は、相変わらずだね!」


 逃げ延びて以来、ソニアが初めて声を上げて笑った。それを見てマリウスも少し嬉しくなる。


「お? ようやくいつもの調子が戻ってきたかな? しおらしくしてるのなんて君には似合わないよ」


「うっさいよ、この!」


 ソニアは泣き笑いのような表情になって拳を振り上げる。


「ははは、冗談だって!」


 マリウスはおどけて肩を竦めた。国を興して以来、こうした気軽いやり取りもほぼ無くなっていた。2人はこの時ばかりは自由な浪人時代に戻ったかのような懐かしさを感じていた。だがそこにおずおずと近づいてくる影が……



「あ、あの……」


 南蛮の女戦士ジュナイナである。共に脱出した彼女もソニアと一緒にこの街に残っていたのだ。というより、残る以外に無かった。


「ああ、ジュナイナ殿。あなたも無事で何よりでした。このような姿で失礼します」


 マリウスが寝台の上で軽く会釈して応える。だがジュナイナの表情は暗い。


「……この度は多大なご迷惑をお掛けしたはずの私の命まで救って頂き、本当にありがとうございました。私にはこの御恩に報いる術がありません」


 寄る辺の部族を滅ぼされ、身一つで故郷から逃げてきた彼女には何もなかった。1ジューロの金さえ持っていないのである。これでは謝礼など不可能だ。


「貴国の将を勝手に連れ出した事。そしてソニアの命の危機を招いた事……。全ての責任は私にあります。せめてどのような罰でもお受け致します。どうか私に償いをさせて下さい」


 深々と頭を下げるジュナイナ。その姿を見ながらマリウスは何も言わずに思案する様子になった。それを見たソニアが慌てる。


「お、おい、マリウス!? 今回の件は全部アタシが勝手に決めて、勝手にやった事なんだ! コイツは何も悪くない!」


「……ではジュナイナ殿に罰を与えよう」


 必死に弁明するソニアを無視してマリウスは静かに宣言する。


「……っ!」

 ソニアが目を見開いて絶句する。反対にジュナイナは全てを受け入れるように頭を垂れたまま沙汰を待つ。



「罰としてあなたにはアマゾナスを出て、僕の国で働いてもらう。僕の臣下の1人としてね」



「アタシが――――え?」

 何か言い掛けたソニアが、自分の耳を疑ったように戸惑う。ジュナイナもまた確かな驚きを持って頭を上げた。


「マ、マリウス殿。……それで宜しいのですか?」


「あなたは既に自分の部族と故郷を失うという大きな罰を受けている。この上鞭打つような真似は僕の流儀じゃないさ」


 ジュナイナはその場で片膝を着いて、帝国流の正式な臣下の礼を取った。


「……マリウス殿。私は生涯あなたに忠誠を誓うことをお約束致します」


 この時点でソニアにもようやく事と次第が飲み込めてきた。そして理解すると同時に猛烈な喜びの感情が湧いてきた。


「は、はは……流石はマリウスだ! アンタなら解ってくれるって信じてたよ! ジュナイナ! これから宜しくな! ははは!」


 親友がまさかの転籍で同じ勢力に仕える同僚になったのだ。彼女としてはこれ程嬉しい事はない。ジュナイナとは戦での相性も抜群なのは先の戦闘で実証済みだ。


「ええ。ふふ……まさかこうなるとは思わなかったけど……これから宜しくね、ソニア」


 笑うソニアに背中を叩かれながら、ジュナイナは苦笑しつつ同意する。しかしそこでマリウスの咳払いが……



「おほん! ……さて、それじゃソニアにも罰を与えないとね」

「……!」


 ソニアは一瞬硬直したがすぐに潔く受け入れる表情になった。彼女がした事は言ってみれば明確な軍規違反だ。むしろ罰を受けるのは当然と言えた。


「……覚悟は出来てるよ。アタシに出来る事なら何でもするつもりさ」


 すると何故だかマリウスがちょっと悪戯っぽい様子になる。



「本当に? ……よーし! それじゃ君への罰は……今回の件をきちんとエロイーズに釈明する事!」



「……は?」

 ソニアの目が点になる。何故ここでエロイーズの名前が出てくるのか分からなかった。マリウスが決まり悪そうに頬を掻いた。


「実は僕もここに来るに当たって、エロイーズ達に黙って出てきちゃったのさ。しかもその場で動員できる騎兵を集められるだけ集めてね」


「……!」

 調教した軍馬が必要な騎兵は、歩兵や弓兵に比べても金の掛かる兵科だ。騎兵自体にも専用の訓練が必要な上、軍馬の維持費も馬鹿にならない。その為大規模な騎馬部隊を擁している軍は少なく、大半が歩兵や弓兵で構成されている。


 その金の塊とも言える騎兵を、財政担当のエロイーズの許可も得ずに勝手に動員して遠征したのだ。


「あ、アタシが言えた義理じゃないけど……そいつはかなりマズいんじゃないか?」


「きっとエロイーズ、今頃かんかんに怒ってるはずだよ。しかも顔だけはあのいつもの笑顔のまま、ね」


「……ッ!」

 ソニアの喉がゴクッと鳴る。その光景を想像してしまったのだ。


 たおやかでありながら底の見えないあの性格に加えて、辣腕によってディムロスの財政を立て直し、兵士や武将達の俸給まで一手に管理しているエロイーズは、今やマリウス軍の影の実力者などと噂され、畏怖すらされている程であった。


 ヴィオレッタはまだしも、ソニアやアーデルハイドなどは同期・・でありながら、最近ではめっきり彼女に頭が上がらなくなっているくらいなのだ。



「……想像しただけで怖くなってきたよ。あのギュスタヴなんかより、エロイーズの方がよっぽど怖いかも!?」


「あ……う……」


 マリウスの半分本気のような言葉に、ソニアは増々顔を青ざめさせる。


「でも元はと言えばソニアが原因なんだから、釈明宜しくね!」


「う、うぅぅぅ……! ああ、解ったよ! 今回は全面的にアタシが悪いんだ! やってやろうじゃないかいっ!」


 半ばヤケクソのように叫ぶ。


「ぷ……あははは! 面白いわね、あなた達!」


 そのやり取りを眺めていたジュナイナが腹を抱えて笑う。ソニアはキッと彼女を睨む。


「笑い事じゃないぞ!? お前はエロイーズの怖さを知らないから……!」

 


「ははは! これに懲りたらもう今回みたいなやんちゃは出来なくなるかな?」 


 しかしそんな彼女の様子にマリウスも笑い出した。そして2人を促す。


「さあ、今日はしっかり休んで、明日になったら帰ろうか。僕達の国へ!」



****



 こうして紆余曲折を経て、ソニアの親友ジュナイナが新たに軍に加わった。


 ソニアは今回の件を深く自省し、ようやく自らの立場や責務を自覚した。そして失態を取り戻すべく、ジュナイナと抜群の連携を見せながら、今まで以上に積極的に仕事に取り組んでいくのであった。

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