2018.2.16~2019.2.28

 明治も暮れんとせん頃に、くすぶり始めた怪かし話。曰く、男の霊が出る。曰く、男は獄徒ごくとたぐい、邪念を抱いた痴れ者を、万苦ばんくの世へと連れて行く。曰く、男は不死の身で、幾度殺せど死にはせぬ。無論、根も葉も花も無い。都度つど蔓延はびこる巷の噂。れど稀代の数奇者すきものは、御託を並べて見世みせを出す。

(2019.2.16)



 恨めしやと出た先は、首を縊らんとする男の眼前だった。病魔に冒され余命は僅か、呪うも殺すも好きにしろと男は言った。私は言われるとおり『病巣』を呪い殺した。私の選択が男の幸せとなったかは分からない。生けるものを呪った報いは地獄行き。長い旅路を、しかし私は笑顔で歩み出す。

(2019.2.17)



 整備士は汚れ仕事だ。指先にグリスが染み込むし、廃油をかぶることもある。今のようなオイルの抜き換え時は要注意だ。

 視線――隅から少年が覗いていた。

「汚れるから向こうで待っててね」

 少年は首を振った。

「やだ!カッコいいから見てる!」

 胸の奥が燃える。誇りはきっとそこにある。

(2019.2.17)



 摩天楼を貫く朝日はわだちのように僕らの行く先に延びる。緩く手を繋ぐふたりは数時間前まで他人だった。ひと晩、酒を飲み明かしただけ。名前も連絡先も知らない。訊こうと思えば訊けるけどそうはしない。たぶん一期一会。素敵じゃないか。交差点で手を離して、男と女は動き出した街に消える。

(2019.2.18)



 枕元に人の気配がある。青木あおきの脳裏に一人の女の顔が浮かんだ。三橋みつはし祐子ゆうこ――そこにいるのは彼女に違いない。あの日、青木が捨てた女。土砂降りの中で見せた魚のような目で、俺を見下ろしているのだ。異臭が鼻を突く。この腥さは死者のものではない。

 生き霊。

 青木は目瞼を開けられずにいる。

(2019.2.19)



 聴覚、視覚、触覚、徐々に戻る。鼓動。呼吸。計器の光。操縦桿。張り詰めた肢体。キャノピーに穿たれた銃痕。脳が帰還までの道筋を組み立て始める。戦闘の記憶は彼方へと去っている。空を翔ぶのに人としての感情は不要だ。この機械仕掛けの鳥を駆るための力学的思考だけが、私を生かす。

(2019.2.20)



『黒い木』

 それはN県の山間にある湖中に立っている。外見は焦げた樹木のようだが植物ではない。湖水は強い酸性で生物が育つ環境ではないからだ。昼間は動かないが、日が落ちると枝状の部分で水鳥等を殺傷し(恐らくは)捕食する姿が確認されており、県令で不用意な接近を禁じられている。

(2019.2.21)



 田辺たなべ慈円じえんは破戒僧だ。肉を食らえば女も犯す、酒も食らえば嘘も吐く。法に触れぬ娯楽は躊躇なく興する。破戒の出家は牛にうまるると云うが、現世を謳歌せずに何とするか――こんな男が聖職に在るのは、ひとえに金である。念仏唱えて法話を垂れれば金が湧く。田辺にとって宗教は商売道具に過ぎない。

(2019.2.22)



 いざ主役になるとこうも落ち着かないものなのか。祝いの言葉を受けながら、夢見心地が抜けずにいる。相方を見ると、膝の上の手が震えていた。気丈な君が珍しい。落ち着くようにと重ねた手が震えていて、顔を見合わせて苦笑する。まあ、こんな感じでちょうどいいのかも。

 僕と君の結婚式。

(2019.2.23)



 やぶが割れて口吻こうふんが突き出た。次いで前半身が膨れ上がるように姿を見せる。《笹塚王ささづかおう》、身の丈五尺を超える猪。泰造たいぞうの人差し指が屈曲し、放たれた10ゲージ散弾は山の主の脳を破壊した。猪は地響きと共にたおれる。泰造の目尻から涙が溢れた。冷静な狩人の心も、神殺しのとがには耐え切れない。

(2019.2.24)



 冥府めいふ下りは一世一代の花道。ならば案内を務める身として、弁えねばならぬ礼儀がある。襤褸ぼろ布に大鎌を携えるようなスタイルはもはや時代遅れだ。皺一つない礼服を纏い丁重に死者を導く。善人だろうと悪人だろうと区別はしない。我は死神、気まぐれな神々の中で唯一、中立を保つ一柱なり。

(2019.2.25)



 マルコ・ジョルダーニのピアノ曲『無窮動むきゅうどう』には指が6本ないと弾けない箇所がある。作曲家が誤記したことが確認されているが、一度だけ「完全」な演奏が録音されたという。この時誰がピアノを弾いたかについては記録が存在せず、録音に携わった音響技師たちは何故か揃って口をつぐんでいる。

(2019.2.26)



 産廃物に埋もれ、少女は事切れようとしていた。強姦魔は抵抗した彼女を刺して深傷を負わせたのだ。最期の息で少女は願った。


 悪い人なんかいなくなればいいのに。


 電子機器の起動音。

 捨てられた液晶画面に灯が点った。


 暴走した人工知能が犯罪者を殺し始めるのは、まだ先の話である。

(2019.2.27)



 どんな恋も本質的に差はない――コピペしたような艶話つやばなしに辟易して、いつしか私はテツガクシャを気取るようになっていた。

 だけどあの日、深く繋いだ君の手は、大きくてあったかくて。

 いま私は、君の隣りを浮かれ気分で歩いている。醒めた過去など無かったことにして、ズルい女は恋に生きる。

(2019.2.28)

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