2018.10.1~2018.10.15

 大鷹は老松おいまつに留まり、病んだ翼を抱いていた。羽先から滴る血が静かに枝を濡らしている。かつて大鷹は、戯れに数多の鳥を虐げた。羽を裂き嘴を捻切ねじきり、柔らかな肉を喰らった。今、眼下には幾億もの雀が集い、彼の死を待ち受けている。因果は巡る――大鷹は瞼を閉じ、憎悪の渦に身を投げた。

(2018.10.1)



 岡崎おかざきゆずるは無感情な人間ではないが、心の動きが表層に現れないので、必然的にそう見られてしまう。

 感情は自己の内面で完結するもので、他人に晒すものでは無い――岡崎の持論である。 故に、彼は他人に対して心を開かない。他人の気持ちを推し量る事もしない。

 云うなれば、人でなしである。

(2018.10.2)



 もし見えぬならば補うのだ。我々に備わった想像力はそのためにある。

 夢。理想。脳裏に浮かびうる極上の虚像で実像を塗り潰す。見えぬからこそ、目に映る世界は如何様いかようにも書き換えられるのだ。

 だが忘れてはならない。そういう善からぬ思惑に限って、相手には筒抜けになっていることを。

(2018.10.3)



 荒川あらかわみつぐは己を非生産的人間だと思っていた。残飯を漁りゴミの中で眠る日々。働く能力はある。しかし意欲がなかった。

 ある日荒川は、瓶の中に蛆がいているのを視た。蟲は裸電球を浴びてゆるゆると蠕動ぜんどうしていた。命だ、俺は命を産んだ――荒川は感動した。

 こうして、ゴミ山の主は誕生した。

(2018.10.4)



 あの潮田が死んだ。

 報せを聞いて、悪い冗談だと一笑に付した。殺しても死なないような男なのだ。

しかし棺の中の死体は間違いなく彼だった。笑顔の遺影に見下ろされ、僕は呆然とするしかなかった。

 そしてまさか彼の死が終末の引鉄ひきがねを引こうとは、この時点では誰一人として思わなかった。

(2018.10.5)



 笑わない瞳を目蓋で隠して、貴方は私の唇を貪る。燃える吐息が口内を灼き、行儀の悪い舌が八重歯を弄る。

 情欲を満たすだけの世俗的な儀式。

 どうして、どうして優しくしてくれないの――叫びは潰れて呻きに変わり、いたずらに貴方をさからせるだけ。

 口づけを交わすたび、私は少しずつ死んでいく。

(2018.10.6)



 水族館でデートした。円筒形の水槽を見上げる君は翠の光に浮かんで、僕はその横顔を虚ろな目で見ていた。

 なに見蕩みとれてんの――冗談めかして君は言った。思わず頷いたけど、本当はそうじゃなかった。

 あの時――僕の目には砕けた水槽にねむる君の骸が映っていた。

 この恋は絶望で終わる気がする。

(2018.10.7)



「あーマジでムカつく!あんなやつ死ねばいいのに!」

「なんと乱暴な……どんな場合でも、相手への敬意を忘れてはいけないよ」

「じゃあ何て言えばいいんだよ?」

「手前勝手な申し出で大変恐縮ではございますが、すみやかに貴殿の生命活動を停止していただけないでしょうか?」

「採用」

(2018.10.8)



 夏祭り。浴衣姿の君。後れ毛が垂れかかるうなじが打ち上げ花火に染まった――

 鮮明な記憶。だけどそこに温もりはない。当然だ、あの時君の隣にいたのは僕じゃない。全ては都合のいい映像だけを切り貼りした偽りの過去。

 記憶の中の君が振り返る。

 この臆病者。

 冷たい目がこちらを睨んだ。

(2018.10.9)



 善からぬ事と知ってはいた。しかしその蜜の如く香る魅惑に、正気を失くした私はふらふらと足を踏み入れた。まるで食虫花に誘われる蝿のように。

 ああ、一層私が理も知も無い虫ならば、夢見心地のまま溶け死ねるだろうに!半端に智恵などあるから後悔に悶え苦しむのだ。

 憎らしき、愛欲!

(2018.10.10)



 眼の隅に、それは居る。

 追えば逃げる。黒っぽい襤褸ぼろ切れのような残像が僅かに見えるだけだ。

まれに、何かの弾みでそれを視てしまう者がある。

 しかし彼等は皆、程無くして己が眼を突いてしまう。それが何であるかについては一様に口を閉ざす。

 ただれだけは云える。


 追うな。視るな。

(2018.10.11)



 世紀の移り目に、人類は竜を呼び醒ましてしまった。

 竜は世界を蹂躙した。既存の兵器では歯が立たず、人類は叡智(えいち)を結集して彼らに立ち向かい、やがて竜は地上から姿を消した。

 時は流れ、人類は竜を殺した兵器で互いを殺し合っている。絶え間無い砲声は、まるで慟哭のように世界に響く。

(2018.10.12)



「賤しき人の業よ」

 博士はモニタに映る戦禍を眺めながら呟いた。己の発明がもたらした悲劇をに前にして、言葉には感情の欠片もない。一度言ってみたかった――ただそれだけだった。

「さあ、次は何を作ろうかな」

 博士は手元の設計図に目を落とした。その口許には無邪気な笑みが浮かんでいる。

(2018.10.12)



 松村まつむらゆいは湯船に沈んでいた。丸一日働き詰めた後だった。朦朧としたまま腕を持ち上げた。湯を吸ってふやけた指が、


 何故、五本あるの。


 疑問は紙魚しみのように視界を侵した。腕の先に延びる奇妙な肉の枝。

疲れてるんだ――唯は風呂を出ると布団を被った。

 その日から、彼女の日常は壊れ始めた。

(2018.10.13)



 不意に、安藤あんどうのぼるは身を強張らせた。

 ――視ている。

 未だ十にならぬ彼にも、その粘つく視線は鋭敏に感じ取る事が出来た。何者かは知らない。ただ一度だけ、その視線の主であろうものを見た。夜の闇に佇む長髪の人の形。それはまるで影そのもののようで――

 だから昇は、それを影女と呼んでいた。

(2018.10.14)



 傷を舐め合う関係なんて、傷が治れば切れてしまう。僕たちは運命に抗おうと、錆びたナイフで互いを傷つけてはその傷を舐め合った。血と唾液が絡まり螺旋をかたどって二人を織り畳む。治り切らない傷跡は、膿んで繋がり醜く膨れていった。

 そしていつしか僕たちは、人のかたちを失くしていた。

(2018.10.15)

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