第10話 目的の場所へ

 もっと広い場所に行きましょう。そう提案した陽菜の後に続いて華凛と雅は廊下を歩いていく。

 放課後の廊下はあまり人気が無い。それでも完全に誰もいないというわけではないので、華凛は部室を出る時には悪魔の翼は仕舞って人間である事を装った。

 華凛の悪魔の力なら万が一誰かに見つかったとしても相手の記憶を消すことは造作も無いが、余計な手間を掛けないにこしたことは無かった。

 華凛は普通の人として歩いていく。悪魔の力を納めたことに隣を歩く雅は残念そうにしていたが、悪魔が世間からどう思われているかはみんなよく知っての通りなので文句を言う事はしなかった。

 今は部長の後についていこう。彼女はどこに行くつもりなのか。広い場所といえば体育館が思い浮かぶが、今歩いている方向はそことは違っていた。

 体育館では放課後である現在、スポーツの部活が行われているはずだ。人目があるので学校に詳しい陽菜が選ぶ場所としては適当ではないだろう。

 陽菜の権力なら体育館からみんなを追い出すことも可能かもしれないが、みんなからの人望のある陽菜がそんな愚かな行為をするとは思えない。

 本人に直接訊ねれば分かるかもしれないが……華凛はちらっと横目で伺う。

 自分よりも陽菜と親しく悪魔に興味がある雅が何も言わずに部長の後をついていくので華凛も何も言わない事にした。どこに行くにしても着けば分かることなのだ。

 前を行く陽菜の背中に続いて廊下を歩いていく。一階から最上階まで貫く階段フロアの前まで来たところで、陽菜は歩いていた足を止めて振り返った。

 彼女はいつもの明るい優しい顔をして言った。


「ちょっと取ってくるものがありますので、二人ともここで待っていてください」


 待てと言われて断る理由はない。雅も同意見のようだ。

 華凛はここで雅と一緒に待つことにした。陽菜は素直に言う事を聞く部員に嬉しそうな微笑みを残すと、走らない程度の速足で廊下の先へと歩いていった。




 放課後の廊下は静かだ。明るいムードメーカーで頼りになるリーダーとしての存在感のある陽菜がこの場所からいなくなったことで、華凛は世界でただ二人、雅と一緒に取り残されたような気分になった。

 華凛は人と話すのが得意ではないが雅も口数の少ない寡黙な少女だ。彼女が陽菜以外の人間と親しく付き合っているところを華凛は見た事がない。

 雅はじっと廊下の床を見つめている。何か見ているのかと思ったが、廊下の床には何も無かった。華凛は雅と無言で待った。

 窓の外からは校庭でクラブ活動に励んでいる生徒達の声が聞こえてくる。廊下を通り過ぎる人はあまりいなかった。数人の生徒達が声を掛けることもなく通りすぎていく。華凛と雅は邪魔にならないように端に寄った。

 明るい陽菜がいなかったら自分達の存在感なんてこんなものかもしれない。

 雅はいつも陽菜と一緒にいたり黙々と一人で本を読んだりしているので、いざ廊下で二人きりにされると華凛は何をすればいいのか迷ってしまった。

 その思いは雅も一緒だったのかもしれない。

 華凛がとにかく何か話そうか、天気の事でもと思って横を向いたところで、ちょうど廊下の床から視線を上げた彼女と目が合った。

 数秒考えてから華凛は言った。雅が何かを言うよりも早く。


「手を繋ごうか」

「うん」


 半ばやけっぱちのような考えだったが思い切って言うと、雅は快く了承してくれたので、華凛は手を出して彼女の手を握った。

 雅の手はほんのりとして暖かい。数秒経ってから気が付いたことがあった。

 悪魔は世間では嫌われている。華凛は今頃になって雅も悪魔と手を繋ぐのは嫌だったのではと気が付いたけれど、彼女の手には悪魔に対する拒絶や怯えのような震えはなくて、ただ暖かかった。

 そうして何となく二人して立っていると今度は雅の方から話しかけてきた。


「華凛ちゃんはいつから悪魔をやっているの?」

「えっと、生まれた時からだと思う……よ? もっとも生まれた時の事なんて覚えてないけどね。あはは」


 いつからと訊かれてもよく分からないのでそう答えるしかない華凛だった。こんな答えでも雅は気に入ったようだ。嬉しそうに喜んだ。


「そっか、華凛ちゃんは生まれながらの悪魔なんだね」

「うん、えへへ」

「悪魔の子」

「うん」

「…………」

「…………」


 また何となく会話が途切れてしまった。次は何を話そうかと華凛は考えるのだった。

 そして、時間が流れる。廊下に落ちた影を眺めていく。外はまだ明るかった。




 広い場所へ行くために必要な物。それを手に入れるために陽菜がやってきたのは職員室だった。


「失礼しますわ」


 礼儀正しくノックして入る。放課後の職員室では数人の先生達が席についてそれぞれの作業をしていた。

 誰かを呼ぶ必要は無い。わざわざ忙しい人を呼ばなくても陽菜の求める物は壁際にあると分かっているから。

 陽菜は冷静に黙って壁際のそれがある場所に向かった。そこには学校で使う鍵が掛けられてある。

 日直の日なら放課後に教室を施錠して返しに来る場所だが、今日の陽菜は日直ではなく目的の物も教室の鍵では無かった。

 陽菜は教室の鍵から目を移し、少し離れた場所に掛けられたそれに目を留めた。


「これがあればあの場所に出られますわね」


 このまま持って行こうと手を出したところで不意に横から声を掛けられて、陽菜は驚いて手を止めた。


「それをどこへ持っていくんですか?」

「!!」


 まさか声を掛けられるとは思っていなくて驚いて横を向くと、そこにいたのはちょうど鍵を返しに来たらしい別のクラスの学級委員だった。

 彼女の事は知っている。名前は天津美風(あまつ みかぜ)。

 長い前髪を目元まで下ろし、後ろも長い髪を二つに分けてくくっているミステリアスな感じの少女だ。

 不思議な雰囲気を持っているが、彼女は雅のように星や魔術の興味に積極的ではなく、陽菜の目から見ても何を考えているのかよく分からない人だった。

 美風とは同じ学級委員として生徒会の会議に何回か出席したことがあった。そうでなくても学校の者の顔なら陽菜はだいたい知っているが。

 ただ会議の席で美風は積極的に話をする性格では無かったし、陽菜も彼女と話をする機会が無かったから驚いた。

 何を考えているのかよく分からない美風に真っすぐ見つめられて、学校では敵のいない陽菜は珍しくうろたえてしまった。

 あれこれ考えてここは正直に話そうかと思ったところで声を掛けられた。今度話しかけてきたのは机で作業をしていた先生だった。


「天津君、真白さんは良いんだよ」

「良いとは?」


 前髪の間から覗く美風の容赦ない射抜くような視線が陽菜から先生へと移動して先生は狩人に射抜かれたかのように後ろにのけぞったが、先生としての威厳を持っていた。持ちこたえて居住まいを正して大人の教師らしく威厳を出して答えた。


「真白さんは特別だからね。これも例の研究会に関わることなんだろう。先生が許可するから行きなさい」

「はい、ありがとうございます」


 先生としては学校で金と権力を持つ陽菜に媚びを売ったつもりなのだろう。ここはありがたく受け取ることにして、陽菜は目的の場所に通じる鍵を持って職員室を後にした。

 美風も特に追及するつもりは無いらしく、それ以上声を掛けてくることは無かった。

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