浪人闇黒騎士は真なる闇の力で災強に
夜宮鋭次朗
聖都滅亡編
クエスト01:《ミノタウロス》を討伐せよ
ああ、怠い。面倒臭い。お家帰って酒飲んでダラダラしたい。
休日明けの仕事は誰だって憂鬱だ。やり甲斐がなければ尚更のこと。
しかし甲斐がなかろうがなんだろうが、働いて稼がなければ生きていけない。
それがこの、なにもかもがままならない世界なわけで。
『ブルモオオオオ!』
「ひぎゃああああああああ!?」
軟弱少年の悲鳴が、耳障りな金切り声で鼓膜に刺さる。
石造りの通路に尻餅をついて、半ばから折れた剣と奥歯をガタガタ震わす少年。
その前に立ちはだかるは、牛頭人体の怪物《ミノタウロス》だ。
通路が狭く感じるほどの巨体は身長二メートルを超え、筋骨隆々の太い片腕で、体格に見合った肉厚のバトルアックスを振り回す。威力は、少なくとも軽い一振りで少年の剣をへし折る程度。
剣と一緒に心もポッキリと折れたようで、少年は尻餅ついたまま涙目で後退りする。
黒い騎士鎧を着込んだ全身に巻きつく、半透明の……実体がない鎖を忌々しげに睨みながら悪態を吐いた。
「クソクソクソ! こいつが、この呪縛さえなければ……!」
「それじゃあ『試練』の意味がないだろうが、馬鹿が」
ただの力量不足、心構え不足で死ぬのは戦士として完全に自業自得だ。しかし指導・監督を任された立場上、見殺しにするわけにもいかない。
仕方がないので、俺は少年とミノタウロスの間に割って入った。
今まさに少年を挽き肉に変えようと、振り下ろされたバトルアックス。そいつを俺の得物である
流石に正面から受けては剣が持たない。手首を返し、力を流す動きで捌いた。
剣の上を滑るようにして軌道が斜めに逸れるバトルアックス。互いの刃を黒く染め上げる《闇》が反発し合って火花を散らした。狙いを外された一撃が床を砕く。
『ブモオオオオ!』
「おうおう、威勢が良くて結構なことだ。……こいつらにも見習って欲しいね」
事あるごとに保護者の助けをアテにしやがって、なんのための試練なんだか。
鼻息荒く、威嚇で吠えるミノタウロス。尻餅継続中の少年を始め、《聖騎士》候補たちが揃って後方で縮み上がる気配に、こっちはため息をつきたくなった。
見たところ、このミノタウロスは生まれたて。すぐ追撃に来ないのも慎重さではなく、初めて攻撃を捌かれたことへの動揺が理由だろう。ロクな戦闘経験も積んでいない、ただ体格と筋力が大きくこちらに勝っているだけの相手だ。
この程度に怖気づくような体たらくで、どうして騎士が務まろうか。
「お前らなあ、俺たち騎士は『守る者』だ。国にせよ民にせよ、仲間や家族にせよ、誰かを背に庇って戦う者だ。それが、ちょっと自分より強そうな敵が現れただけで逃げ出すのか? 守るべきモノも置き去りにして?」
「そ、それは……」
「どれだけ敵が強大でも、どれほど不利な状況であっても、俺たち騎士には後退が許されない、勝利以外は決して許されない戦いがある。そのときに備えるために今、呪縛を課された状態で『試練』を乗り越える経験が必要なんだ」
「無茶苦茶だ! 《スキル》がこんなに弱体化した状態で勝てるわけないだろ!?」
「試しもしない内から勝手に結論を出すな。お前のそれは、嫌なことから逃げたいガキの言い訳でしかない」
反論した軟弱少年が、屈辱に顔を歪めるのが振り返るまでもなくわかったが、どうでもいいので無視する。
「《
言葉を尽くすのはどうも苦手だ。実戦で示す方がまだやりやすい。
俺はスキル【威圧】と【萎縮の眼光】を重複発動。
俺の戦意が形ある波動となってミノタウロスの肌を打ち、視線を介した暗示がミノタウロスの恐怖心を刺激する。
呪縛のせいで効果は軽微だろうが、誤差にも等しい隙に活路を見出すのが騎士だ。
「――来い」
『……ッ。ブルモアアアアアアアア!』
自分の尻を蹴りつけるように咆哮し、ミノタウロスがバトルアックスを振るう。
頭上からの振り下ろし。二歩分のサイドステップで最小限の回避。
瓦礫を跳ね上げつつ横に薙ぎ払い。ほとんど四つん這いに近い体勢で身を伏せて掻い潜る。石の礫は鎧で受け止め、衝撃が骨まで響くが根性で耐えた。
そして、返す手で俺の首を斬り飛ばそうと戻ってくるバトルアックス。
ここだ。こいつに合わせて、俺は片手半剣を振るう。呪縛が全身の動きを阻害し、まさしく鎖でがんじがらめにされたようだが、慣れた感覚だ。構わず、剣を振り抜く。
交差する影と斬撃の軌跡。飛び散る血飛沫。
宙を舞ったのは、ミノタウロスの指だった。苦悶の声を漏らし、ミノタウロスがバトルアックスを取り落としかける。俺が斬り落としたのは人差し指と中指だ。残った指では重量級のバトルアックスを保持できない。
片手で持てないとなれば、次の行動は決まっていた。
『ブモオオオオ!』
落としかけたバトルアックスを左手でも掴み、両手持ちに切り替える。
苦痛を怒りに変えて、ミノタウロスは猛り狂った。膨れ上がる全身の筋肉から《闇》のオーラを蒸気のごとく噴き出す。
そして渾身の一撃を放とうと、大上段に構えた。両腕の筋肉がはち切れんばかりに隆起し、小癪な小細工ごと粉砕してやろうという気迫が見て取れる。
尤も、ここまで全てが俺の計算通りだがな!
「【炎よ】【穿て】」
一言目で俺の空いた手のひらに炎が生じる。二言目で炎は圧縮されて火球に変じた。
射出された火球は、踏み込みのため空中に持ち上がった、ミノタウロスの右足側面に内側から命中。毛皮を焦がす程度のダメージだが、踏み込みを大きく逸らした。
結果、両足を限界近く開いた形となり、上体が前倒しに崩れるミノタウロス。
渾身の力でバトルアックスを握っているため、咄嗟に手を突いて支えることもできない。加えて、俺の体を縛るのとは別の実体ある鎖が、地面から牛頭に絡みつき引き落とす。
俺は間髪入れず懐に潜り込んだ。
振り被った剣の刀身を《闇》が黒く染め上げる。同時に調整を加えて発動したプチ【狂化】が、俺の全能力と感情を増幅する。
面倒だ。イライラする。どうせ勝ったって。投げ出したい。腹減った。酒が飲みたい。美味しいご飯が食べたい。一人で寝るのが寂しい。人恋しい。恋人欲しい。――胸中を渦巻く、黒くてドロドロした雑念、負の情念、邪な欲望。
それら、俺自身のままならない感情全てを糧にして。
パズルのピースを組み上げるように、黒き力を紡いでいく。
跳躍から放つは、漆黒の剣閃。
「【ダークスラッシュ】」
技の威力に、ミノタウロス自身の重量が上乗せされるカウンター。ミノタウロスは自らギロチンの刃に倒れ込んだようなものだ。
結果、斜めに切断されたミノタウロスの頭が首からズリ落ちる。
遅れて胴体が倒れ、通路を揺らす重々しい震動と別に、硬いナニカの砕ける音が鳴った。すると巨大な亡骸は輪郭を失い、やがて泥のように溶け崩れていく。ブスブスと黒い塵が舞って空気に流された後には、腐敗した土塊が残るだけ。
「凄い……」
誰かが呆然と呟いたのを皮切りに、次々と聞こえる感嘆の吐息。
そこに水を差したのは、俺の制止も聞かず我先にとミノタウロスに挑んで、あっさり返り討ちにされた軟弱少年だ。
「ハッ。そりゃお強いだろうさ。なんたって最強の《暗黒騎士》様だもんな」
「最強の? そんなに凄い人だったのか?」
「バーカ。考えても見ろよ。《暗黒騎士》なんて《聖騎士》になるための中間職業、前座の通過儀礼みたいなモンだぞ? あの歳で未だ聖騎士に昇格してないってことは、したくてもできない適性ナシの無能ってことだろ。さっきのセンスない戦いぶりを見たかい? 敵一体倒すのにいくつもスキルを使って、魔法もダサイ詠唱付きだったしさ」
自分の醜態を他人の醜聞で誤魔化したい魂胆が透けて見えて、少年の舌はよく回る。
「見込みなんてない。もう続けるだけ無駄だって、子供でもわかる話じゃないか。なのにいつまでも未練たらしく浪人になってまで、薄汚い闇の力を振るう下賤な《暗黒騎士》なんか続けちゃってさ。まさにお先真っ暗なゴミ山の頂点に必死でしがみつく姿があまりにも惨めで、いっそ憐れみさえ覚え――げぶぇ!?」
段々興が乗ってきたように熱を帯びた弁舌が、唐突に止まる。
まあ唐突もなにも、俺が顎を砕かんばかりに掴んで黙らせたんだが。
「他人様を見下して陰口叩くとは、随分と余裕じゃあないか。それだけ余裕があるなら、向こうから迫ってる《ブラッドハウンド》の群れなんか一人で相手できるよなあ?」
「は、ちょ、ふざけるな! さっきから貴様、この僕を誰だと思って――アアアアァァァァァァァァ……!?」
文句と中傷ばっかご立派なクソガキを、真っ赤な目が六つある犬の群れのド真ん中へシュウウウウッッッ!
見事な放物線を描くクソガキ。殺到する犬。情けない悲鳴。
超が付くほどエキサイティングな気持ちで、俺は残った少年たちの方を振り返る。
「ん? どうした? お前らも群れのド真ん中に投擲されなきゃ戦えないか?」
さっさと行けや、という俺の意図は無事に伝わったようだ。
引きつった顔をブンブン横に振った後、少年たちは一斉にブラッドハウンドの群れへ突撃していく。
……うむ。少年たち《聖騎士》候補生がクソガキ含め十七名に対し、ブラッドハウンドの群れは五十匹前後。一人につき約三匹と考えれば温いが、あのクソガキがリーダー格やれるレベルのグループなら妥当か。
せいぜい死なない程度に苦労して欲しいところだ。
――本当の困難に出くわしたとき、『初めてで怖かったから仕方ない』じゃ済まされやしない。失ったモノは二度と戻らないんだから。
しかしクソガキのご高説に対する反応を見るに、今年も何人『裏口昇格』が出ることやら。
これで未来の聖騎士、人々を守護する英雄の卵だっていうんだから……。
深く息を吸って、吐き出す。胸に焦げついて冷めやらぬ負の感情を、燃焼し排熱するように。淀み濁りを焼き尽くし、平静で在るように努める。
ああ、全く世の中はままならない。
それでも生きていくのだと、俺は何度でも誓いを胸に刻み込む。
まだこの胸に燻る
《聖騎士》――それは聖なる光で闇を祓うとされる、騎士を志す者が目指す頂点。
聖騎士に至るためには、乗り越えるべき試練がある。
それは己の心に巣食う邪悪な闇と向き合い、打ち勝つこと。
そのために敢えて闇の力を授かり、多くの呪縛を己に課して、これを克服する。
内なる邪悪を消し去った勝利者にのみ、聖なる騎士への道が開かれるという。
つまり闇の力は、光の力に目覚めるための前座。忌むべき闇を振るう黒き騎士も、聖騎士への道に鎮座する通過点に過ぎない。聖騎士を目指す者にとっては必要性に疑問すら覚える、余計な障害物としか思えない中間職業。
それが、聖騎士への昇格を蹴って絶賛浪人中の俺、タスクの職業でもある《暗黒騎士》の、聖王国に於ける評価だった。
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