Jackdaw(s).

赤首山賊

序章:あるいは影と光の物語へのイントロ

 

 結城陽菜子ゆうき ひなこは、この数時間で目にした非日常的な光景により、自分が非日常だと思う類の物事は全て、また他の誰かにとっては日常でしか無い事を強烈に痛感させられていた。

 ついさっき彼女は悪党達に攫われ、そして今彼らに口をガムテープで封じられ、結束バンドで後ろ手に縛られた陽菜子の眼前でその悪党達が血塗れになって倒れている。

 悪党達にとって彼女のような女子高生を攫う事が日常であれば悪党達を彼女の目の前で撃ち殺した二人、赤茶色のロングヘアの女と右目に黒い眼帯をした小柄な少女にとっても、恐らくそれは日常なのであろう。

 陽菜子は自分のキャパシティを遥かに超えた別世界の住人達の“日常”を眼前に、失禁し、足をガクガクと震わせる事しかできない程に恐慌していた。

 悪党達を殺した二人の内一人、背が高く、返り血が飛んでも大して目立たない...とでも言えそうな赤茶の髪をした女がへたりこんでいる陽菜子を見下ろし、言った。


 「オールクリア。と言いたいところだが・・・こいつは飛んだ不確定要素だな」


 パニックを起こしている上に、口を塞がれた陽菜子は、そんな女に何を応える事も、何か言える事もなく悪党達の血が水溜まりを作り始めている床をただ見ている事しかできなかった。

 

 「次は自分の順番かも知れない」


 陽菜子は視界の片隅に映る女がスリングで肩に掛けた自動小銃を強く意識せざるを得ず、そんな事を考えると足の震えがより強さを増した。


 「仕事を目撃されたとはいえこのナリじゃレイプ目的で拉致られた“善良な一般市民”ってとこだな。そうだろ?」


 女は陽菜子の一番近くに倒れる死体を足でどかし、側でしゃがんでから彼女の顔を覗き込む。陽菜子はその問いに呻いて応える余裕すら無い上に女の顔を見る事すらできず、ただ震えるのみだった。

 女はその様子を見て面倒だとでも言いたげに溜め息をつくと、立ち上がってもう一人に言った。


 「私は残りが隠れてないか探してくるわ。上の情報通りに確かにヤクはここにあるんだろうし確認するのもかったりぃ。さっさとこのボロ家ごと燃やして帰りてえもんだが・・・」


 言いかけて、陽菜子を一瞥してから続ける。


 「こんなカワイソーな子をほっといてそうする訳にもいかねえか・・・ジャック、とりあえずお前はこの子の拘束を解いて落ち着かせてやってくれ」


 ジャックと呼ばれた眼帯の少女が頷くと、赤茶の髪の女は部屋を出た。

 部屋は明かりが付いているが僅かに気化しつつある大量の血の為か、湿って暗いように思えた。

 ジャックは屍体が流す血の水溜りの上をぴちゃ、ぴちゃ、と鳴らしながら陽菜子に歩み寄った。新雪のように穢れ無き白い肌、輪郭でしかそれであると判断できぬ程色の薄いブロンドを短く切り揃えそれを覆い隠すように黒い衣服を身に付けてゆっくり進むその姿はまるで、戦場で倒れた男達の血肉を啄む為に降り立ったカラスを思わせた。

 小柄な漆黒の少女もまた、赤茶の毛の女の小銃より小ぶりな短機関銃をスリングで胸の前に提げている。

 彼女は陽菜子の後ろに回ると、自身のカーゴパンツのポケットからナイフを取り出して陽菜子を縛る結束バンドを切り、口に貼られたガムテープを容赦無く一気に剥がした。

 普通であれば彼女は口元の痛みに苦悶の声を上げるべきだろうが、心的なショックの為か虚ろな目で宙を見ているのみである。そんな陽菜子を見てジャックは彼女の肩を揺さぶりつつ抑揚の無い、静かな声で言った。


 「もう大丈夫だ。すぐに連れて帰ってやる事もできないだろうが、それでも君を傷付けはしない」


 ここまで来て、ようやく陽菜子の目に生気が戻った。彼女はジャックに彼女が倒れるくらいの勢いで抱き付き、泣き喚く。


 「怖かった...怖かった...本当に怖かった!」

 「わかった、わかったからそんなにきつく締めるな。鬱陶しい」


 ひとまずの安全が確保された今でも、陽菜子の足は小刻みに震えていた。ジャックをそのまま潰さんとする程の強さで抱き付く陽菜子に変わらない調子で言ったジャックはここまで恐慌している彼女に、いまいち感情移入する事ができずにいた。

 恐れるのは理解できる。こんなザマを目の当たりにする事に慣れていない人間だから。

 しかしこういった光景―――暴力、赤錆のような血の匂い、ヒューと嫌な音を立てながら自分の顔を銃弾が擦過する音―――がずっと彼女ジャックにとっての“日常”であったから、彼女は理解したくても上手にできないのだろう。

 この目の前で体を震わせ泣き喚く少女がいた日常は、ジャックにとっては非日常のような物であった。

 一向にどこうとしない陽菜子を、ジャックは力づくで振りほどこうともがいた。その刹那―――――――


 ジャックは、いや二人は、大地が大きく震えるのを感じた。大地が?いや、震えているのは私自身?大きな揺れだったはずなのに部屋の中はギシとも音を立てる事もなく、また、体の血を全て吐き尽くした死者達は依然として眠ったままであった。

 ジャックはその奇妙な感覚に怪訝そうな顔をし、目の前の少女を見た。


 目と目が合う。そして、ジャックは眼帯で隠した右目が疼き始めるのを感じた。しかしジャックは疼く右目を抑える事もせず、いや、抑える事もできなかった、が正解であろう。

 対する少女の見つめる目に釘付けになり、やがて自分と世界を隔てる物がどこなのか解らない、苛立ちに似た恐怖心がジャックの魂を侵食し始めた。そして対する少女の身体は宇宙に透過され、やがて見えなくなったが少女がそこに確かに存在するというのをジャックは、何故か理解する事ができた。

 気付けば、ジャックと陽菜子は裸体を晒して両の手を繋ぎ、ただひたすら回転し続ける緻密に描かれた曼荼羅図が幾重にも重なり、それが果てまで続く不思議な空間にいた。


 「なんなんだこれは...?」


 彼女達には自分が落ちているのか、上がっているのか、回っているのか、止まっているのかすら定かではない。しかし、自分達がどこに向かおうとしているかは解ってはいないが同時にわかっていた。ここまで来る頃には時間の感覚など二人には皆無であった。

 色々な空間を二人は旅した。それは一秒以下の瞬刻ときであり、また数万年の時でもある。やがて二人は宇宙とは違って星も無くただ真っ暗で、静かな、畏れがあり、また穏やかな川の流れのように魂を癒やす波動が、自分のようで自分でない所から湧き出す空間にいた。もう二人には目も、身体さえも存在していなかったが、二人は見つめ合っていた。そして感じる懐かしさのような感情に、二人の意識は遠くなり、そして、そして―――――


 


 「おい!ジャック!!大丈夫か!ジャック!!返事しろ!!」


 誰かが私の身体を揺さぶり、大きな声で叫んでいる。気にかけているのは私のはずなのに、必死に呼ぶ名前は私の名前じゃない。は、閉じていた目を静かに開けた。

 先刻の赤茶色の髪の女が上に跨って、不安げな顔で彼女を見つめている。


 「気が付いたか。何があった?あの女に何かやられたか?」


 そう言う女に、は応える。


 「あなたは・・・さっきの・・・」

 「は?何?」

 「貴女はさっき助けてくれた方ですよね・・・ありがとうございます」


 見当外れの返事に、女は目をぱちくりさせてから眉を寄せた。ジャックならきっとこう答えたはずだろう。「どいてくれ、桜。私なら問題ない」と。そっけなく。

 しかし、目の前の相方は別人のような口調で話す。あの無害そうなガキから何かしらの攻撃を受け、脳にダメージが?などと彼女が本気で考え始めた矢先。同じく横で気を失っていた“善良な一般市民”の少女が目覚めて、身を起こそうとしていた。それを見て女は怒声を浴びせた。


 「テメェー!ジャックに何しやがった」

 「何を言っている桜、私なら問題ない」


 は?とでも言いたそうな顔をして返す名も知らぬ少女に、桜と呼ばれた女は再び目をぱちくりさせる。“善良な一般市民”の少女は怪訝そうな顔をして桜の顔を見てから、彼女に跨られている真っ白な肌の、真っ黒な少女に目をやり、驚愕した。これは自分ジャックだ。


 「ッ・・・!?これはどういう事だ、桜。理解が追い付かない」

 「いや・・・そんなん私もだが・・・」


 幽体離脱でもしたかのように、自分の身体を他者の目で見ている。この非現実的な現実リアル。ジャックと陽菜子は受け入れるしかなかった。


 二人の身体が、入れ替わっている事を。



 この物語の名はJackdawジャックドウ


 幽顕の狭間で答えを追い求める、神の子供達に捧ぐ為のうた






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