第38話 大蛇
湯沢
それに、湯沢由輝は違和感を覚える。
――鳩尾に蹴り入れたのに咳き込んだだけ?多少蹴りが浅かったとしても普通なら痛みで動きが止まるはず……。
「終わり? 」
佐藤剛は表情を変えることなく問う。
――あの蹴り受けて余裕があるのか?
湯沢由輝は警戒して動かず、2人は睨みあった。
それを新田義彦は楽しそうに眺めるが、彼に体を支えられている原川静香の方は恐怖から身じろぎすらできず、浅い呼吸を繰り返す。
そんな彼女の耳元に新田義彦は顔を寄せた。
「安心して。僕は君に何かする気はないよ」
囁かれた原川静香の体はびくりと震える。
「ただ あの子は 剛くんと君、それと
ふふっと新田義彦は笑った。
湯沢由輝は170センチ程度、佐藤剛は150センチ。
20センチの身長差はある湯沢由輝と佐藤剛は互いを睨みあっていたが、先に動いたのは佐藤剛だった。
佐藤剛は拳が当たる間合いに入ろうとする。
しかし、頭の左側面に衝撃を受け、すぐに距離をとった。
湯沢由輝が右足から放った上段回し蹴り、いわゆるハイキックを佐藤剛の左側頭部に目掛けて蹴りを入れたのだ。
佐藤剛は咄嗟に左手でガードしたが、それでも頭に衝撃を受けたのを感じる。
――この蹴りはモロに喰らったらまずいな――
それ以上 佐藤剛に思考する間を与えずに、湯沢由輝は蹴りを放つ。
攻撃を回避しつつ 佐藤剛は湯沢由輝との距離を詰めようとするが、湯沢由輝は突き飛ばすように前蹴りを放ち、5歩ほど後退させられた。
「これは由輝くんの勝ちかな」
この攻防を新田義彦は楽しそうに見る。
「なんで、そう思うの、よ」
原川静香は自分の背後で体を支える彼に対して、言葉を絞りだした。
「よくこの状態で喋ったね」
彼女の精神力の強さに感心したように言ってから、新田義彦は明るいトーンで答えた。
「由輝くんの方が圧倒的に身長が高くてリーチがあるんだよ。遠い距離からでも攻撃できる。対して身長が低い剛くんは接近して戦わないとパンチも蹴りも当たらないんだけど、由輝くんはその距離で戦わせないように前蹴りで突き飛ばしながら距離をとってるんだ。攻撃が当たらなかったら勝機はないよ」
「佐藤……」
新田義彦の言うように湯沢由輝の蹴りを避けるだけで佐藤剛は防戦一方だ。
しかし、闘いを見ているうちに原川静香は気づく。
――湯沢由輝の攻撃が、佐藤に当たらなくなってきてる?
湯沢由輝も中断蹴り、下段蹴りなどの蹴り技を織り交ぜての攻撃が空を切り始めているのはわかっていたが、彼に焦りはない。
彼はハイキックを放つと、佐藤剛は姿勢を低くして避ける。
その動きを湯沢由輝は狙っていた。
低い位置になった佐藤剛の頭を両手で掴み、彼の顔面に思い切り膝蹴りを放つ。
その膝蹴りが佐藤剛の顔面にめり込む、はずだった。
「なっ!? 」
顔面に当たるはずだった膝を片方の手の平で受け止めている。
すぐさま、湯沢由輝は距離をとるが、佐藤剛は無表情のまま彼に突進する。
突進してきた彼に湯沢由輝は前蹴りを食らわそうとしたが、佐藤剛は蹴りを横に避け 蹴り足をキャッチし――
体勢が崩れた湯沢由輝の顔面に大振りのパンチを浴びせた。
「がッ!! 」
重い1発のパンチを受けて湯沢由輝が後ろに倒れこむ。彼の背後に佐藤剛は回り込みバックチョークを極める。
首に巻き付いた腕で気道を絞められ、痛みからなのか、それとも悪足搔きなのか、湯沢由輝は抵抗するが、完全に極められいて徐々に動かなくなっていった。
「新田義彦、そいつを離せ」
佐藤剛は鋭い眼光を放ちながら言うが、新田義彦は原川静香を離すことはない。
巻き付けた腕の力を強めながら、彼はもう一度言う。
「離さないなら、こいつの頸動脈絞めるぞ」
「へぇ。剛君、気道の絞めと頸動脈の絞めを使い分けられるんだ。UGFCでは飛びつき十字固めで勝ってたから、関節技も得意みたいだね」
さらに佐藤剛の目に鋭さが増すが、気にも留めていないように新田義彦は喋る。
「もしかして、リングネームの『修羅の大蛇』の由来はその締め技からきてるのかな? 今の君の姿はまるで『大蛇』みたいだから」
「早く、離せ」
佐藤剛は、湯沢由輝の頸動脈を締め始めた。
「その子に死なれたら困るからね。はい」
新田義彦は原川静香の体から手を放す。
ふらふらとへたり込みそうな彼女の体を佐藤剛はすぐさま駆け寄って支えた。
新田義彦は意識を失っている湯沢由輝を背負う。
「剛君。また会えたら僕と一緒に遊ぼうね」
楽しそうな口調で言うと、湯沢由輝を背負い新田義彦は去っていく。
そして姿が見えなくなった。
「平気か?」
「あ、当たり前じゃん! 」
佐藤剛に訊かれた原川静香は今にも泣きだしそうな顔で笑顔を作った。
それを佐藤剛がじっと見つめていると、唐突に彼女は吹き出し くすくすと笑いだした。
「なんだよ」
「佐藤が、変な顔してるからよっ」
「……お前には言われたくない」
佐藤剛は視線を逸らして舌打ちをしたあと、口を開く。
「まだ俺と関わりたいのか? もうこんな目には遭いたくないだろ」
「関わるに決まってるじゃん。アンタの復讐の手助けをしたいから」
原川静香は恐怖から目に溜まっていた涙を誤魔化すように、笑った。
「そして何より私自身のために、ね。今後もよろしく 佐藤」
◇
駐車していた車の後部座席に新田義彦は座った。
そして、彼の隣には意識を失っている湯沢由輝がいる。
「そろそろ遊びたいなぁ」
ぽつりと言って、新田義彦は意識のない湯沢由輝の頭を撫でた。
途端、新田義彦は上気した表情に変わっていく。
「ふ、ふふ。はは……。はぁ、ダメだ。もうダメ」
もうダメだ。もうダメだ。と独り言を何度も何度も繰り返す。
「やっぱり、もう我慢できないや。遊ぼう」
新田義彦は画面が割れている湯沢由輝のスマホを手に取ると、ある人物の電話番号を入力し発信する。
長くコール音を鳴らし続けると、その人物が電話に出た。
無言の相手に新田義彦は努めて冷静さを保ちながら言う。
「こんにちは。湯沢浩君」
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