第二十六話『未熟さと焦り』

 執務室に入ると、何やら分厚い資料を手に持ったセシリアさんが出迎えてくれた。夜通し作業していたのか表情に疲れが見え、あまり調子が良さそうには見えなかった。


「済まないな、わざわざ出向いてもらって」


「やはり領主の仕事場は大変そうだね」


 フーリエさんもセシリアさんの疲れた様子に配慮してか、小声で手を上げて挨拶する。彼女はフーリエさんの様子に苦笑してみせた。


「そうだな。今回のサハギン襲来による被害は最小限に抑えたとはいえ、修繕に中々に資金を消化させる結果になってな。まだこの世界に来たばかりで、ここのプレイヤー達から集めた街の運営資金も心もと無いというのに……」


 ため息をついて執務室の奥にある領主が作業する椅子に座るセシリアさんは背もたれに体重を掛けて天井を仰ぐ。顔に掛かった艶やかな黒髪を背中に流すと早速本題に入った。


「君たちはフーリエから明日にはここを出ると聞いている。奴と今後の事を色々話し合ったが、残念ながら資金や人材での援助は不可能だ」


「それはそうだね、僕としても無茶な要求はしたくはない」


「だから今回は手伝ってくれたお礼としては少ないが、私個人の依頼の報酬という名目でポケットマネーから当面の旅に困らない分は支払うよ」


「君ってそういうとこは妙にマジメだよね……」


 セシリアさんが重たそうな袋を取り出したのを見たフーリエさんが首を振るが、彼女の眼光が鋭く変わる。同時に部屋の空気も冷え込んだかのようにオレの背筋に寒気が走った。


「心配するな、ポケットマネーの大半はこの町の資金として寄付している。そこに手は付けない」


「いや、そういう意味じゃないよ……」


 会話が微妙に噛み合わない中でセシリアさんがオレたちが座る前にあるテーブルに金属の音が袋の中で奏でられる。


「お金ってこんな音しますかね?」


 オレは目の前の袋に手をかけて持ち上げようとすると、


「………っ!」


 声にならない叫びが漏れた。一瞬ピクリとも持ち上がらないそれに対してオレはすぐさま両手に持ちかえるも、余りの重さによろめくほどの重さに額から汗が垂れる。


「これは相当入ってるね。本当にポケットマネーの域なのかい?」


 オレから手渡された袋を片手で持つフーリエさんですら顔をしかめた。余程の大金らしい。


「当たり前だ、クロノスの副団長である私が横領なんてみみっちい事はしないぞ!」


「いや、そういうことじゃなくてね……」


 頬を膨らませるセシリアさんにフーリエさんもたじたじだった。


 その後、旅の途中でお金の管理を成り行きで任されたグレースにお金を渡してチェックを頼むと、これまた彼女も目を丸くする。


「セシリアさんって手持ちこれでも少ない方なんですかね?」


「ん? そうだな、寄付は手持ちの八割以上出したからな。これでは不満か?」


「いえ、もう要りませんよ……」


 グレースの呆れ声を聞いてか聞かずか、セシリアさんの表情は不機嫌なものに変わるが、これ以上のやり取りも不毛なものだと判断して話を変える。


「さてと、話を戻して次は物資についてだが……」


「あれだけお金を貰えばここで十分に買えるから大丈夫だよ」


 セシリアさんが言おうとしたことを読んだのか、フーリエさんが慌てて遮る。と同時に執務室の一角に積み重なった資料の山が盛大に崩れてグレースの足下まで流れ込んできた。


「うむ……そこまで渡したつもりは無いのだが、君たちがいいと言うなら無理にあげなくても良いのか?」


「セシリアさんってこの世界の金銭感覚が狂っちゃっているのね……」


 そんな声を聞いたグレースは呆れたような表情でセシリアさんに聞こえないように、指で髪をいじりながら呟く。


「これで君らの側と私たちの側、双方の要求を満たしたということで良いかな?」


「そうだね、僕らとしても君たちの求める事はちゃんと果たすことは出来るから心配は要らないさ」


 およそ一時間強のセシリアさんとフーリエさんの会話がひとしきり終わった。セシリアさんの要求は他の種族やヒューマン族の里との外交を取り付ける事だった。


 現状では外交の為に領主自ら外に出ることは難しく、使者を出すのにも、それなりの旅の資金と交渉が上手い人を決めるなど、手間も中々に必要だ。


 そこにホームタウンを出ざるを得なくなったプレイヤーがここを通りがかったのだ。その上自分が知っている交渉上手なプレイヤーも含めてだ。


 プレイヤー間で貿易ができれば、今後の攻略の為に装備を強化する為の材料アイテムや、他のホームタウンのプレイヤーと未知のダンジョンを共同攻略する事ができるようになる。


 このことはこの世界から現実世界に戻る為に重要なポイントになるということだろう。


「私自らが出張って他の街に転送されたプレイヤーも纏めるのは何分難しくてな。このゲームで死んでも大丈夫だろうが、空腹とかもリアルに感じるとなるとな……精神的にもかなりの悪影響を及ぼすだろうし、せめて私たちの身の回りから整えなくてはな」


「それもそうですよね。私も初めに転送された街から出てきてここまでの道中、お腹空いたときにすごくイライラしましたよ」


「正直にデスしたときに体感する不快感と合わさることで、プレイヤーの精神が病むのだけは避けたい。戦う者が減ってしまったら脱出の為の人手も減る」


「今後の攻略は僕たちプレイヤーのメンタルが最重要課題な訳だね」


 現時点でここから脱出するには、どこにあるかも分からない古代の神殿とやらを探しだして魔法陣を起動しなければならず、探すには多くの人が必要だ。しかし強制的にフレンドを解除されてからというもの、他のホームタウンのプレイヤーとやり取りができるのはグレースのように相手のIDを覚えているごく少数のプレイヤーだけだ。


 それ故に今求められていることは、突然この世界に迷いこんだプレイヤー達に、安心した生活を保証することに加え、広範囲を捜索する為にデスペナルティーを避ける必要性による安全マージンを確保したレベリングだ。


 これらを整えてからこそ、この世界を脱出する足掛かりになるのだが、これらを整備するのに掛かる時間は膨大になる。


 それを整えながら外交を進めるための最大のチャンスが成り行きで旅をすることになったオレたちなのだ。


「今後は多くのホームタウンからプレイヤー達が各地で交易を進めるだろう、だがそのが来るのは私の予想では恐らく数ヶ月、いや半年は後になると考えている」


「その根拠は?」


 フーリエさんが厳しい目で問いかける。珍しいフーリエさんの姿にこの場も一気に緊張感が高まった。


「昨日のモンスターの襲来だよ。レベリングが終わらない限りは、サハギンクラスのモンスターが街を襲う度に多大な損害を被る。このゲーム全体の平均レベルも二十に満たないことからして、それほどこのゲームは戦闘に重きを置くプレイヤーが少ない今はレベリングが必須要件だ」


 セシリアさんの的を得た答えにフーリエさんも納得した様子でうなずいた。


「確かにね……もしもホームタウンにモンスターが攻める事が無ければ、多分一月で外交が始められただろう」


「たらればの話は無しだ。前を見るとしようかフーリエ」


 このゲームで最前線を駆け抜けているプレイヤー同士の会話に超初心者のオレに口を挟む余地など無かった。


 ――こんなに真剣に考えているなんて……。


 一体リアルではどんな人なのだろうか? オレと近い歳と思われるグレースやレナだってそうだ、ちゃんと前を見て行動している。


 ――じゃあオレはここまで何をしていたのか?


 緊張感の為に喉を潤すために紅茶の入ったカップを掴むと手が震えていたのか紅茶の水面が波立っている。この場で何も先のことを考えられない無力さか、今後への不安によるものか……。


 ――くそ……何も言えてないじゃないか。


 オレがしたことと言えば、親友のコーネリアに頼るばかりでレナと対峙した時なんて良く言ってしまえば正義感に置き換えられるただのエゴイズムで、初心者だから見捨ててほしくない気持ちが強かった。


 アレスティアでもそうだ。彼女はオレのために残って戦っていたのに、である自分はそれに甘えることしかできかった。


 それなのに、どうして勝てるはずの無い戦いに、だけではない何かを持って挑むことができたのか。そういった自らを奮い立たせるものが理解できなかったのだ。


「オレって、本当に役に立っていたのかな……」


 そんな言葉が口をついて出る。自分だけが明確な未来ビジョンを持っていないことに罪悪感にも似た感情を心に抱いていた。


 皆が現実世界に戻れるように頑張っているのに、いざこうして未来の為の話し合いをしているというのに、オレはそこに入れていないのだ。


「……どうしたら良いんだよ?」


「全くよ。君って一体何を迷っているのかしらね」


 その声を聞いたオレが顔を上げる。そして気がついたのだ。


 あの時と同じように世界が止まっていることに……。


「この感じ、あの時と同じ……」


 グレースがフーリエさんとセシリアさんを見たまま動かないどころか、その二人すらも全く動く様子も無い。完全なる静止した世界だ。


「あんた本当に情けないわよ。あの時の女の子と戦っていた時とは大違いの別人だわ」


 呆れたという感情を含んだ声は以前聞いたもの。その方向を見ると、その時と同じ姿の女性がそこにいた。


「あの時の人……なのか?」


「そうね、一週間振りかしら? 随分と酷い雰囲気だから何かと思えば、そんな事つまらないこと考えていたのね」


「つまらない……だと?」


 その言葉はオレの心に苛立ちをもたらした。その姿はレナと決闘した時と同じ萌木色のコートを着た女性だった。嘲るような笑顔から表情を引き締めると、オレの額を人差し指で軽くつついてきた。


「ええそうよ。あんたどうせこのコートがあれば何とかできるなんて考えてた? 自分がこのコートを宿したメダルに選ばれたからってね」


「そんなこと……」


 否定をしようとすると、即座に切り返される。手厳しい言葉だが、彼女の


「いいえ違うわね。あんたは一緒にいた召喚士のウンディーネが言っていた事を真に受けすぎてるのよ」


「は……?」


「あんたそもそもさ、今の君が皆の足を引っ張るなんて分かってるはずよ。あんたが初心者なのみんな知ってるでしょ?」


 確かにそうだ、オレはだ。皆それを分かってくれた上で一緒に居てくれている。そんなオレを昨日はセシリアさんが頼ってくれた。


「君が役に立てているかを考えるのは、せめて一人前になってからにしたら? じゃないとメンタル持たないわよ?」


「…………」


 反論の余地も無かった。自分が足を引っ張っているのではないかという懸念を見事に看破され、そして説教されているのだ。はっきり言ってぐうの音も出ない。


「返す言葉も無いならきっと分かってくれたみたいね。あんたはまだまだ無力でちっぽけな駆け出しの剣士。世界を変えるような強い存在でもないし、別に何かしらの理想なんて掲げる必要も無いわ」


「それならどうすればいいんだ。 皆今後の事を話し合っているのに、オレは何言えば……」


「それはあんた自身の思うことよ。別にこの世界の初心者だからって、あんたが言うことが間違っていなければ誰も文句言わないわ」


 細くしなやかな指が再度オレの額をつつくと、女性は後ろを振り向く。その姿が薄くなってきたところでオレは一つだけ聞きそびれたことを思い出した。


「そういえばあんたの名前は?」


 女性はその質問に顔を向けると腰に両手を当てて自信満々な表情で答えた。


「私はフレリアよ。フレリア・アレスティア、しがない風の剣士よ」


「え、でもフレリアって……それにアレスティアは……」


「あの街は私の生まれ故郷なのよ。それともう一つだけアドバイスをあげる」


 オレの言葉を遮ってフレリアが最後に言葉を残す。その背中は英通と呼ばれたような大きいものではなかったが、前にあるというだけで安心感を感じる。


「あんたがケットシーの子と争ったのはエゴイズムに依るものとは言い切れないんじゃないかな? だってあんたの感情は自身一人じゃなくて、大勢多数の為によるものでしょ? それなら自信を持ちなさいな。それがあんたの中に通った一本のよ」


 そういって彼女の姿は瞬き一つの間に消える。時間が止まった空間の中、どこか心は穏やかだった。


「オレの芯か……」


 今は確かにしっかりとした意見は唱えられないが、いずれは真剣な会議にオレも入れるようにもっとこの世界の事を知らなくてはいけないのだと、ここで気持ちが強く固まるのをはっきりと感じ取れたのだ。

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