友がき
文久元年八月末。
──多摩地区にて。
「どうして私は試合に出られないの!」
沖田宗次郎がさけんだ。
近藤勇の天然理心流四代目襲名披露の野試合がおこなわれるにあたり、多摩地区の有力門人が多数参加するこの試合。当然のことながら土方歳三、沖田宗次郎や井上源三郎をはじめ、食客である山南敬助、井上松五郎(源三郎の実兄)、佐藤彦五郎も参加することになっていた。
しかし──。
「おまえは本陣の一員なんだからあきらめろ、宗次郎」
「どうして、なんでェ!」
全員参加といっても、近藤は総大将として。沖田は本陣にて勝敗の決着を告げる太鼓係、源三郎は鉦役としての参加により、試合には出ることができないのであった。
だれよりも試合で、ひとりでも多く打ち負かしたいと考えていた宗次郎にとって、それはとても不服な取り決めだったのである。
「駄々をこねるな宗次郎。立派に本陣の仕事を勤め上げるのもちゃんとした役目だ」
「だってあっちのが楽しそう!」
「馬鹿やろう、考えてもみやがれ」
不平をもらす宗次郎の肩をぽんとたたき、土方歳三はにやりとわらって彼の耳元に口を寄せる。
「公衆の面前でこんなガキに打ちのめされる大人の気持ちにもなってみろ。お前の剣はそこいらの上品道場とはちがって手荒なんだぜ。ちょっとは大人の事情ってのも汲んでやれ」
「…………」
出まかせを口からこぼした歳三の頭に拳骨をいれてから、近藤勇は「宗次郎」と言った。
その声にすこし怒気が含まれている。宗次郎は敏感に感じ取ったか、口を尖らせたままうなずいた。
「トシ、てめぇは」
「いいじゃねえか。あながち間違ってもいねえだろ」
「わかったよ。やるよちゃんと──源さんもいるなら、まあいいや」
試合は、源平の合戦になぞらえた紅白二軍に分けられて、本陣総大将である近藤勇が行司として立ち会いを仕切る。
この試合、三試合にて勝負を決する。
紅軍大将:萩原糺
白軍大将:佐藤彦五郎
このふたりを筆頭に、天然理心流の門人どもが双方三十六名ずつ。
大将の中軍を中心に、朱雀、白虎、 青龍、玄武に分かれて四方に布陣した。
「両者ともども、よろしいか。いざ、はじめ!」
という宗次郎の声とともに太鼓が高々と打ち鳴らされて、試合が始まる。
紅軍、玄武隊隊長日野義順の下についていた玄武戦士のひとりが山南敬助だ。
歳三は中軍衛士として萩原のそばにつき、白軍と相対していた。
「頑張れェーッ。危ない危ないっ、あはははは」
「萩原どの、来てるぞ危ない危ない! あー」
初戦、宗次郎の太鼓とともに白軍の勝利が決まった。
宗次郎はともかくとして、源三郎も珍しく興奮した様子で野試合を楽しんでいる。
二回戦目は、紅軍も燃えてきたか、玄武隊の山南・井上一郎両人が活躍した。
「負けませんよ」
「山南さん、頼むぜ」
「合点承知!」
大将のそばにつく歳三の応援も背に、山南は井上一郎とともに白軍大将のもとへ駆け込み、彦五郎から面一本を討ち取る。
ここまでくると会場内のテンションはショート寸前なほどまでヒートアップ。
実戦のような野試合は、凄まじく興奮するらしい。
さて、三回戦は再び混戦することになった。
紅白双方引けを取らず、とうとう大将同士の一騎打ちにまで持ち込まれる。
しかしさすがは佐藤彦五郎。
一切相手に引けを取ることなく萩原糺を討ち取った。
討ち取った瞬間に宗次郎の太鼓が鳴り響き、試合は白軍の二勝一敗での勝利を告げる。
「いやぁ、いつになく興奮した試合だったな」
「こいつぁすげえや」
見物客が様々に勝負の余韻に浸るなか、近藤は「双方見事であった!」と嬉しそうに叫んで近くにあった松本屋という旅館を貸し切って飲めや踊れやの大騒ぎとなった。
──と、伝えられている。
さて、文久元年といえば。
小島鹿之助の日記を読んでみると、どうやら十一月に歳三(表記では石田歳造)が大病を患ったという一節がある。
病名は定かではないが、それは大層深刻だったと伝わる。
病が癒えたのは師走を迎えた頃だったようだ。
その日、歳三は快復したことを報告するため天然理心流道場までやってきた。すでに昼稽古は終わっていたらしく、道場は静かなものだった。
母屋かな、と回ってみると案の定井戸端に沖田宗次郎の姿が見える。
「あーッ、トシさん」
歳三を見るなり、井戸で水を汲んでいた宗次郎は大声をあげて駆け寄った。
涼し気な目元を優雅に細めて歳三は宗次郎を受け止める。
「生きてる!」
「なんだそりゃ──死なねえよばか」
「だってずいぶん酷かったって聞いたよ」
と言いながら顔色を覗き込んでくる宗次郎に苦笑した。
すると宗次郎の声を聞きつけたか、母屋のなかで語らってでもいたのだろう見知った友人たちがひょっこりと顔を出してきた。
そのなかには先日襲名披露をおこなった道場主、近藤勇もいる。
「よう、四代目」
歳三がひょいと手をあげる。
みな一斉に立ち上がり「おお」と声を出した。
「トシィ!」
「おお歳三。元気そうじゃないか」
近藤と井上は同時に立ち上がり、土方の身体を労わるように手を添えて縁側に座らせた。
山南は読んでいた本を置いて土方の顔色を覗いている。
「よかったですね。かなりひどいと聞いていたから心配していました」
「ああ、死ぬかとおもった」
「そりゃあそうだろうよ。みんな、それこそ良循どの(歳三の実兄)も東朔さん(歳三が書道の手習いをしていた本田覚庵の長男)も、必死になって治療に明け暮れるほどだったんだ」
とうなずく井上のうしろから、斎藤一(山口一)がひょっこりと顔を出してきた。
無言で歳三の顔を見てから「さすがしぶとい」と言ってにやりとわらう。
「お前こそめずらしいじゃねえか、山口」
「今日はすげえんだ、たまたま永倉くんと伊庭くんも来ているんだぜ。いまは裏の庭に行っているんだ。そろそろ戻るころだと思うが──」
と近藤が嬉しそうに身を乗り出した。噂をすればなんとやら。楽しそうな話し声が聞こえてきたのもつかの間、永倉新八と伊庭八郎は縁側に座る歳三を視認して「おおっ」と声をあげる。
「元気になったのか、土方さん!」
「やァやァ。こいつァちょうど良かった、あんたへの見舞い品を持ってきたところだったんだよ」
はいお見舞い、と永倉と伊庭が歳三になにかを手渡す。
なんだこれと歳三がじっくり見て「こいつは」と目を輝かせた。
「たくあんか」
「そうだぜ、小野路のばあさんがつくるたくあんが好きだって彦五郎さんから聞いてよ」
「なんだ、わざわざもらってきてくれたのか」
「まさか。たくあんならなんでもいいだろうと思って買ってきた」
伊庭はにっかとわらい「ほかにも」と続ける。
「精の付くもんと思って鰻も考えたんだけどな、歳さんはそれ以上みなぎっちまうと女が大変だろうと思って。な、パチさん!」
「まぁな、千枚漬けよりはこっちのがいいだろ」
「余計な心配までありがとよ、このやろう」
歳三は伊庭の頭に拳骨を落とした。
「これから夕餉だ。どうだいっしょに」
この頃の歳三の日常──そして試衛館の日常は、残っている史料こそ少ないが、とても刺激的な毎日だったであろうことは想像にかたくない。
※
閑話である。
文久二年睦月の十五日。
江戸にて、坂下門外の変という事件が起こっていたのをご存知だろうか。
江戸城の坂下門外にて、老中安藤信正が幕政改革を目指していた水戸の攘夷派浪士六名に襲撃されたのだ。
安藤は桜田門外の変の後、幕閣の実権を握って公武合体を推進していたが、和宮降嫁や井伊大老から継承された開国路線などにおいて攘夷派の怒りを買っていた。
さいわいなことに桜田門外の変があったばかりで、警備も厳重だったため安藤は負傷したものの命に別状はなかったのだが──。
とはいえ、幕府の要人がまた白昼堂々襲撃されたことは、幕府の権威をさらに傷つけることになった。
そのため安藤は四月に老中を罷免され、八月には隠居・蟄居を命じられることとなる。
そしてそこに絡んでいたのが、なんと長州藩士。
桂小五郎と伊藤俊輔である。
坂下門外の変を起こした水戸浪士は以下の六名であった。
・平山兵助
・小田彦二郎
・黒沢五郎
・高幡総次郎
・川本杜太郎
・河野顕三
もともと計画が事前に漏れていたこともあってか、厳重な警備により浪士は全員その場で斬殺された。
しかしこの中に加わっていない襲撃メンバーがまだいたのである。
川辺佐治右衛門という男。
彼は約束の時間に遅参(長州にも似たような奴いましたね)。
しかし彼は同志が討たれたのを見ると、桜田の長州藩邸に駆け込んで桂小五郎(あっ)に後のことを頼み、その場で自決したのだ。
そんなことがあって、長州の桂・伊藤は今回の件に関与しているのではないか、と幕府の嫌疑を受けることになってしまった。
「こういうのをとばっちりっちゅーがですよ、桂さん」
「仕方あるまい。川辺どのの意志を継ごうと決意したんは僕らじゃけん、あながち間違っちょらん」
しかしながら、公武合体派の長井雅楽の力添えもあり、
「こんな事件が続くのも幕府が不安定な政治ばっかり執ってるからだ。まずは水戸浪士に信頼される政治をしないと。嬉しいことに桂くんは水戸浪士に知り合いが多いから、彼に幕府と水戸の仲裁してもらえば?」
と提案までしてくれたため、桂や伊藤は詰問だけで済んだのだそうだ。
そしてこの時期にはもうひとつ、話すに欠かせない事件がある。
文久二年四月に起こった寺田屋事件だ。
藩をあげての国政進出を目指した文久二年──薩摩藩主の父島津久光は、公武一和推進などの理由により上京した。
しかし元来倒幕思想の色濃い薩摩の浪士。
久光の上京を勝手に討幕に行くのだと勘違いした彼らは、京阪に集った。
彼らの狙いは関白の九条尚忠と京都所司代の酒井忠義。
浪士たちは伏見の寺田屋に集合した。
しかしそれを知った久光が「やめろ」と言って藩士を寺田屋に送ったことで、藩士と浪士が殺し合いを始めてしまう。これが、寺田屋事件だ。
このとき、寺田屋を営む女将のお登勢は立派なものでたくさんの人間が死んだというのに黙って血の海を片付けていたという。
ちなみに、このとき酒井は襲撃を企てられたことに動揺して二条城に引き上げ、 別件にて久光が兵を率いて御所内に入ることも止められなかったとか。
もはや京に、幕府の権威なんてものはないも同然だった。
※
閑話休題。
文久三年一月七日。
老中の板倉さんから講武所剣術指南役の元へ通達があった。
それが、浪士組上洛のことである。
その話を聞きつけた永倉が、試衛館の面々の元へ慌ただしく駆け込んできたのだった。
「おい聞いたか。なんか知らんが志の高い者を攘夷のために応募するってよッ。幕府が!」
という声に、その場にいた宗次郎と近藤、遊びに来ていた歳三の三人はひょいっと顔を上げた。
「なに?」
「攘夷の意識がある奴は集まれってことか?」
「おう。なんか、前科持ちでもなんでも尽忠報国の気持ちがありゃあいいんだと」
「……百姓でも?」
「ああ、もちろん!」
「おい勝ちゃん、すげえぞこれは」
「おうい山南くん!」
近藤が嬉々として座敷の奥にいる山南を呼べば、彼はひょいっと顔を出して「私も先ほど伺いました」と珍しく興奮した様子で出てくる。
「近藤さん如何です。これはもう好機としか言いようがありませんよ」
「……攘夷のため、幕府のお役に……」
ぼそぼそと悩む近藤の横で、歳三はにやりと笑った。
「面白そうだ」
「だろ、やってみようぜ。源さんとか平助、伊庭も誘ってさ」
「山口も勘定にいれとけ」
「じゃあ九人で」
歳三の言葉にうなずいた永倉が両手の指を折ったとき、近藤がすこし低い声で言った。
「いや八人だ。宗次郎は行かせん」
「えっ?」
宗次郎がバッと近藤の顔を見る。彼は複雑な表情をうかべていた。
「宗次郎には、五代目天然理心流を継いでもらおうと思っているんだ」
「いやですよ。なにを勝手なこと」
「天然理心流の流儀をしっかりと身に付けているのはお前だろう。お前ならしっかりと継いでいける」
「継ぐ気なんてない。それだったら土方さんだっていいじゃないッ」
「俺はもっぱら我流の剣だよ」
「…………」
宗次郎はムスッと押し黙る。
永倉は申しわけなさそうに眉を下げてから近藤に顔を向ける。
「来月の四日、小石川伝通院にて会合がある。それまでに決めておいてくれな」
俺は伊庭や平助にも声掛けてみるから、と言うと永倉は颯爽と駆けていった。
いっしゅん漂うきまずい空気に、歳三は身じろぎひとつすることなくじっと近藤を見つめている。宗次郎はじっとうつむいたまま動かない。
近藤は眉を下げた。
「……宗次郎、わかってくれ」
「いやだ」
「宗次郎!」
「いやです!」
「べつにええじゃねえか、そう何年も行くわけにゃァあるめえし」
「そうですよ。跡継ぎなんてもの帰ってから考えればいいじゃないですかッ」
「向こうへ行ってなにかあってからでは遅いんだ────」
言いかけて、近藤はちらりと歳三を見た。
いまのはお前が言ったのか、という目をしている。しかし歳三はずっとだんまりを決め込んでいたのだ。不可解な顔をして首を横に振ってから、ちらりと裏門の方へ目を向けた。
裏門から顔を覗かせて、そこから声を張っている。なんと声の大きい男だ。
「…………」
「危険になったら戻ってこさせりゃあええ。何事も経験した主のが弟子もついていくじゃろて」
「…………」
「んあ?」
場の空気が止まった。
誰だろう──この男。
いつの間にか話に参加していたこの見知らぬ男は、気の毒そうな顔をして近藤を見つめ、汚い身なりにボサボサ頭で縁側に近付いてきた。
敵意こそまったく感じられないが、近藤は身構える。
「だ、誰だあんた」
「うわさに聞いてよ。芋道場にすげえ面白ェ男たちが集まっとるて──数年前に紅白戦やっちょったろ。それを見かけたことがあったが、いやこいつァおもしろかった」
「いや、だからアンタいったい誰だよ」
歳三が不機嫌そうな声色で問う。整えれば美丈夫であろう男は、太陽のようなまぶしい笑顔を浮かべた。
「俺ァ伊予国から来た原田左之助ってもんだ。よろしくな」
「……伊予」
「あのときの紅白戦が面白うてよ、是非ともあんたらにお目見えしたいってな感じよ」
「ウチに入門したいってことか」
「入門ってわけじゃあねえ。俺は槍専門じゃけえ」
「へえ、槍を」
「まあでも今度手合わせ願いたいもんだ。得物は剣でもいいから」
「それは、かまわんよ」
近藤と原田が喋っているのを横で見ながら、宗次郎はキラキラと原田を眺めている。
自分に味方してくれた──つまりいい人だ、という認識に至っているらしい。
「で、話は戻すがよ。ええじゃねえか、別に何年も離れるわけじゃねえ。人生経験も大切だろ」
「しかし、すぐに戻れるとは言っても危険も伴う」
「んなの今の時代どこにおったって変わらん。かわいい子には旅させろと言うのはそういうことやろ」
「…………」
渋い顔で押し黙った近藤に、歳三も苦笑した。
「腕をあげるいい機会なんじゃねえのか、四代目」
「トシ、お前まで」
「だいじょうぶだよ、きちんと俺が面倒みる。やっぱりダメだと思ったら意地でも帰らせるから」
「…………」
しばらくの沈黙ののち、近藤はしぶしぶうなずいた。
「わかった。本当に危険となりゃぁ──問答無用で帰らせるからな。わかったか宗次郎」
「は、はい! やった! やったァ、ありがとう原田さん、トシさん!」
「おうおう、良かったなぁ」
原田はにこにこと笑ってうなずき、また来ますよ四代目、と明るく叫んで立ち去った。その後姿にうっとりした表情で手を振る宗次郎は、すっかり原田になついている様子だ。
「いい人でしたね。原田左之助か……あの人も応募するのかな」
「いや本当になんだったんだ、あいつ……」
まるで台風のようだった男を思って、歳三は戸惑いながらも口角をあげた。
きっとまたすぐに来るだろう。
近藤はそう言うとくもった表情を笑顔に変えて「四日に小石川伝通院に行けばいいんだったな」とわらった。
「よし、この際だから名前も改名しちゃおっかな。宗次郎だと子どもっぽい気がするし」
「遊びに行くんじゃねえんだぞ、宗次郎」
「分かってますよ。宗次郎……そうじろう……そうじ……そう……うーん」
「宗次郎だかそうじだかどうでもいいが、これは」
「そうじ──ああ、そうじにします。沖田そうじ! うん、なんか大人になった感じ」
「…………勝手にしろ」
歳三も呆れたように微笑んだ。
こうして、試衛館の面々は浪士組として京へ上ることになるのであった。
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