ガーディアン白書

明智 颯茄

翌朝の襲撃事件

 ――――刻彩ときいろ 瑞希みずきはただいま混乱中である。朝起きた時には、そうではなかったのだ。


 ちょっと、時間を巻き戻してみよう。


 ――と、その前に、彼女の暮らしぶりを知っておいたほうがいいだろう。


 都会の一人暮らし。しかも、職業は現在、フリーターである。ゆくゆくは、人気アーティスト、シンガーソングライターとして活躍する。それが彼女の夢であり、目標だ。


 部屋の大きさは1K、6畳。机の上には、なけなしの金をはたいて買ったPC。それは今、シャットダウン中。ハードボイルドふうに言うと、いわゆる――おねんねの時間である。


 その隣には、飲みかけのジュース。携帯電話に、目覚まし時計に、辞書が数冊に、ペン立てに、ハードディスクに、食べかけのお菓子……。とにかく、乱雑が大展開している。つまりは、瑞希は片付けるのが大の苦手ということである。


 それでも、何とか確保している布団の中から、彼女の長い髪だけが見えていた。目覚まし時計のバックライトが、夕立の閃光せんこうのように突如オレンジ色を放った。それと同時に、電子音が朝の訪れを優しく、しかし、しっかりと存在感を持って告げる。


 ピピピッ!

 ピピピッ!


 枕元に置いておくと、二度寝してしまう恐れがある。そのために、わざと、わざと! 机の上に置いてある目覚まし時計。


 だがしかし、1Kという御伽おとぎの国のお姫さまは目覚めなかった。


 すると、次の王子さまがやって来るのだ。お目覚めのキス――いや、デスメタルという、朝から聞くには少々ハードな音楽を奏でる携帯電話のアラーム。そんな異色の王子さまが白馬に乗って登場である。


 ♪==!!!! 

 ♪==!!!!


 ツインバスドラムスで、ドリルでアスファルトに穴をあけるがごとく、ドドドドドッ! と爆音を響かせている携帯電話。音量はもちろん、最大限である。


 モソモソッと毛布が動き、ガバッと上半身が起き上がった。それは、まるで化学の試験管実験で、誤った液体同士を反応させてしまい、大爆発を起こしたみたいなボサボサの頭だった。


 意味がちょっと違うが、彼女の目は完全に着席――いや座っている。絶対、正気しょうき沙汰さたではない。瑞希はそのままフラフラと、いつも通り、布団を左手、右手の順で踏みしめる。


 そうして、クマが鮭を狩るがごとく、右手をバッと伸ばして、デスメタルを闇へほうむり去ろうとする。こうやって、停止のボタンをタップという方法で、楽勝にやっつけられるはずだった。


 だが、半分目が閉じている彼女にとっては、超難関。砂の中から砂を見つけるようなもの。いや違う! それはすでに見つかっているというより、意味不明な捜索である。


 そうではなくて、意識が呼び起こされていない視界。その中で指先がむなしく動く。携帯電話の画面という小さなものに何度も触れようとするが、落としたり、ふちをかすめたり、裏側を押してみたり……全然、ヒットせず、どこまでもデスメタルのライブが盛大に続いてゆく。


 だがしかし、意識が現実へと眠りの底から少しずつ戻ってきた瑞希は、とうとうリングへ沈めてやった。デスメタルを奏でていた携帯電話のアラームを、カウンターパンチという攻撃で見事なまでに。


 携帯を持つ手で、眠い目をこすり、彼女の瞳に日付が映った。


 ――7月19日。


 それは、この際どうでもいい。バイトに行く前の朝の忙しい時には、必要のないことである。シフトもきっちり頭の中に入っている。忘れるはずがない。なぜなら、しがないフリーターのさが、今日でめでたく7連勤だからである。


 それよりも、大切なのは曜日だ。


 ――金曜日。


 今日を逃したら、この1K、6畳の部屋はあるがたい地獄へとされる。それは腐臭という悪魔。あれと来たら、嗅覚を再起不能なまでにボッコボコにするのだ。


「燃えるゴミの日……」


 瑞希の歌う時は全然違う声質で、規格外の高い音が出ます。それが私の売りなんです。的なものは、今は地べたをはい回るほど低かった。


 タオルケットのザラザラ感が好きではない彼女。瑞希の体から毛布がフワフワと落ちてゆく。すると、彼女の貧相ひんそうなボディーがご開帳。


 胸がないのが丸わかりなタンクトップ。だが、仕方がないのだ。彼女は暑さに弱い。油断すると、アイスクリームのようにその身が溶けてしまうほど。


 夏はシャワーだけ。浴槽にかるなんぞ、五右衛門風呂並みに拷問であると思っている。下はショートパンツ。最低限のところしか隠れていない服装。


 女の一人暮らし。こんなものだ。しかも、瑞希はブラはつけないで寝る派。ヨロヨロと立ち上がり、布団に足を引っ掛けながらも到着した、まず最初のとりでに。


 部屋とキッチンを仕切る引き戸。それを横へずらして、半透明の20Lの袋に向かってゆく。中身の大半はお菓子の空袋か、惣菜の空きパック。生ゴミはほとんど入っていない軽量な燃えるゴミ。


 第2の関門も無事突破。次だ。かろうじて冷たい床を裸足でピタピタと歩いてゆく。と言っても、数歩で玄関に到着。第3関門突破。


 順調にゴミ捨て場という敵の総大将へ向かって、次々と敵をなぎ倒しながら進軍中だった。しかし、瑞希はバイト用の汚れたスニーカーに足を入れて、ふと気づいた。


「鍵……」


 そうだ。ゴミを捨てに行く。イコール部屋から出るである。それは持っていかないといけない。


 帰ってくるたびに、そのまま机の下に置いてしまうバック。中身は絶対に入れ替えない。なぜなら、持っていると思っていたのに、なかった事件が起きるからである。


 瑞希は出かける寸前で起きる、あの忘却という誘拐が絶対に許せないのだ。それは、鍵がない、である。急いでいるのに、それがなくて時間が悪戯いたずらに過ぎてゆく。あの下から火であぶられるような焦燥感は味わいたくないのだ。


 だから、絶対に何があっても、バックの右のポケットに入れる、にしている。今は部屋までと続く扉の向こうに隠れて見えないそれを、数秒見つめていた。


 敵の総大将を前にして、後退――殿しんがりを余儀なくさせられる。また、あの布団に足を取られるのかと思うと、瑞希はため息をついた。ボサボサの頭をさらに、めちゃくちゃにする。


「敷地内だからいいか」


 さあ、勝利まであと2つ。

 玄関の扉を開ける。

 ゴミ捨て場にゴミを置く。


 瑞希の右手がドアノブを回す。その美しい太刀筋たちすじで、敵の大将の首を取り――


「っ!」


 ドアの隙間で、勝利への行く手を阻む軍隊が1つ増えていた。彼女は息をつまらせて、ドアをパタンと慌てて閉めた。予期していないことで、いや、敵にしてやられたのだ。戦場の両脇に広がる林に別働隊が隠れていて、横入りしてきたのだった。


 ――というか、ここはいくさ場ではない。いたって普通のアパートで、ゴミ捨てという日常生活の1コマである。


「ん?」


 寝起き。ゴミ捨て。6時前の早朝。瑞希は考える。ドアの向こうにさっき広がっていた景色が、現実として成立するであろう原因を。だが、やはり見つからない、というか、身に覚えがない。彼女はこの結論に、チャチャッと到達。


「見間違い……だね」


 瑞希の右手は再びドアノブに伸びて、それを回す。そうして、扉を向こう側へすうっと開けようとした――


「っ! ちがっ!」


 速攻攻撃並みに、彼女はドアをバッと閉めた。のぞき窓の前で、彼女の瞳は右往左往、彷徨さまよい、あちこちに、呆然ぼうぜんと……とにかく、現実が飲み込めず、戸惑いという嵐に見舞われていた。


「どうして、いるんだろう?」


 物ではなく、何か生命体のようだ。ドアの向こうで、見えているもの。というか、彼女のゴミ捨てを邪魔しているのは。


 そんなことよりも、燃えるゴミである。瑞希は左手でつかむゴミ袋を持ち上げ、気合を入れに入れまくった。


「と、とにかく、これを捨てに行こう! よし、ひるむな、瑞希!」


 自分にエールを送る。そうではなくては、1人暮らしでは誰も応援してくれない。おのれふるい立たせて、燃えるゴミのために、3たび彼女はドアノブを回す。


 すると、男が1人立っていた。早朝に、玄関ドアの外に男がいる。波乱の予感である。だが、そんなことは序の口だった。瑞希がさっき見たのは、彼1人であったが、


「っ!」


 息をつまらせた彼女の手で、ドアの隙間が広がってゆくたび、出てくるは出てくるは、イケメンが続々と。そうして、全て開けきったところで、総勢9名。イケメン祭りと言っても過言ではないだろう。


 瑞希は思わず神に祈った。


(私は、このまま死んでも本望ほんもうです)


 そうして、彼女は成仏という名の天から降り注ぐスポットライトを浴びて、空へ昇っていこうとした。物語冒頭で、主人公がさっそうと死亡。


 そう、こんな話の流れはこう言うのだ。起承転結ではなく、最後だけ取って、けつ――――


 しかし、男たちが彼女を地上にしっかりと引きずり下ろしたお陰で、主人公は復活、いや無事に蘇生そせいしたのである。その方法は行動ではなく、言葉であった。彼らのこんな宣言、いやある意味、暴言と言ってもいいものだ。


 瑞希と一緒に住む――――


 1人なら、彼女も何をご冗談をと笑い飛ばしただろう。いや、公然わいせつ罪で警察に行っていただくである。だが、男9人全員が、若い女と一緒に暮らすと言い張って聞かないのだ。


 この物語の主人公、瑞希は燃えるゴミを片手に持ち、ドアは全開のまま、ボサボサ髪の頭で部屋へ振り返った。


(1Kに10人暮らし……。え〜っと、1人分のスペースは、幾つ÷9――! じゃなくて、私も入れるから……÷10=……幾つ??????????????)


 ――――と言うことで、瑞希はただ今、混乱中である。


 もっと違うところに問題がある気がするが、ひとまず、彼女の心配事は部屋の広さであった。


 だが、瑞希も気づいた。そもそも、なぜ、この男たち9人が、早朝に自分のアパートのドアの前に勢ぞろいしているのかと。そうして、彼女は記憶を巻き戻して、今朝までの経緯をたどるのだった。


 昨日の夕方。あの大きな駅のロータリーで自身が選んだ帰路。そこで出会った不思議な出来事の、数々を――――

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