第26話 旗をひるがえせ

 見知った男が縄を打たれ、今まさに処刑されようとしていた。一体彼にどのような罪があるというのか。正直、彼の事は好きにはなれなかった。それでもそれなりに善良だとは知っているし、少なくとも死罪を与えられるような人物とは到底思えない。


「フン。相変わらず横暴な連中よの」


 有るか無きかの声が僕の耳に騒がせる。それは嗄れており、乾いた響きが侮蔑を助長するように感じられた。そちらの方を向くと、厳めしい顔をした老人の姿が見えた。高齢だが背筋の伸びた、心の芯らしきものを感じさせる人だった。


「おじいさん。何かごぞんじ……」


「声を落とせ。それとも連中に目を付けられたいか?」


「す、すいません」


「まったく、胸糞悪いなんてもんじゃない。人を殺して憂さ晴らしとはな」


「どういう事ですか?」


「よそ者を罪人に仕立てあげて殺す。それが無能な騎士団の仕事よ。いや、娯楽に近いか。暇と体力をもて余した結果がこれよ。盗賊だと喧伝して処刑すれば、さも取り締まっているように見えるだろうしな。なんとも呆れた発想だと思わんか」


「つまり、無実の罪だというのですか?」


「貴様も流れ者か。知らんなら教えてやる。これまでに数えきれぬ者が殺されておるよ。それこそ大陸中で、ろくな証拠や詮議も無く」


「そんな……酷すぎますよ。助けてあげられないのですか?」


「お前さんは出来ると思うのか。武装した騎士連中に真っ向から逆らう事が」


 この時になってようやく把握ができた。街の人が悲痛な表情を浮かべているのは、冤罪での処刑である事を知っているのだ。そしてその過ちを正せずに、ただジッと成り行きを眺めるだね。その立場も辛いものがあるだろう。


 僕は改めて壇上を見た。商人の男が喉を嗄らしながらも叫び続ける。自分は無実だ、何かの間違いだと。その必死の嘆願も長続きはしない。騎士の突き出した槍の柄が腹に突き刺さり、嗚咽にも似たうめき声に変わったからだ。


「何かの間違い、だと? 人聞きの悪い。それでは我らが不正を働いているようではないか」


 最も年かさの騎士が鼻で嘲笑った。それからおもむろに顔の向きを変え、周囲を取り巻く群衆の方を見た。


「そこの貴様。この沙汰についてどう思う?」


「へ、へい! 盗賊連中には散々迷惑をこうむっております。死んでくれた方がみんな喜ぶってもんです!」


「そうだろう、そうだろう。隣の女。貴様はどうだ?」


「はい! 騎士様に間違いなどありえましょうか! 異論などありません!」


「そうだな、そうだな。聞いたか罪人よ。咎なしと叫ぶは、この世でお前ひとりくらいだ」


 彼らの追随が本意でないのは明らかだ。権力に屈し、自身の身を守るために飛び出したデマカセでしかない。公正性なんかカケラもない言葉。それを年かさの騎士は当然だと言わんばかりに、胸を反らしつつ受け入れたのだから、性質の悪い冗談にしか見えない。しかし、彼らは大真面目だった。


「そんな……ゲホッ。私は、何も……」


「これだけの人間が貴様の死を願っている。周りを見てみよ。助けようとするどころか、静止の声すらかからんではないか」


「どうかご再考を、今一度弁明の機会を……」


「くどい! まだ減らず口を叩くか!」


 騎士の靴が商人の腹に深々と突き刺さった。苦悶の表情が浮かび、今にも気を失いそうに見える。それでも彼は口を閉じる事はない。不明瞭な訴えが、涙と涎を纏いながら広場に伝わっていく。


 これは一体何なのか。彼は謂れなき罪で暴行を受けただけでなく、命まで取られようとしている。何の落ち度があるというのだろう。今すぐにでも壇上に飛び込みたくなる。その横暴を力づくで止める衝動に駆られ、握った拳が熱く、そして湿っていくのが分かった。


 だが相手は公爵家直属の騎士団だ。真っ向から衝突したなら、こちらの命まで危うくなるかもしれない。その一事が僕の心を抑え込んだ。激情に身を委ねて戦えば、オリヴィエたちを取り返しのつかない事態に巻き込んでしまうからだ。


 着々と処刑準備が進められていく。壇上には大きな木枠に、巨大な刃物。断頭台だ。やはり脅しではなく、本当に殺すつもりのようだ。固唾を飲んで成り行きが見守られる中、突然群衆の一角が割れた。殺伐とした空気には不似合いな、幼い泣き声が聞こえて来る。


「父ちゃん、父ちゃん!」


「うん? 何だあの汚らしい小僧は」


「私の、倅にございます」


「そうか。貴様の子か。ではこやつも始末しなくてはな」


「お、お待ちください。ジョシュアは、倅はまだ4つにございます」


「それがどうした。悪の根は絶やさねばならんのだ。父が悪党なら子も同様。生かす理由などあるものか」


 年かさの騎士が酷薄な笑みを浮かべると、即座に少年を虜にした。両手でその首を絞めながら頭上に掲げている。少年は浮いた足を大きく動かすが、それで自由が取り戻せるとは到底思えない。その姿を見た瞬間、僕は動き出してしまった。


 一呼吸遅れてグスタフが続いているのがわかる。そして、体が軽い。これは俊敏魔法(クイック)の効果だ。この瞬間に僕らは気持ちをひとつに出来たのだ。話し合いどころかアイコンタクトすら必要としない。


「その汚い手を離せ!」


 騎士の前に降り立った刹那も、子供を害しようとする腕は未だ高い位置にある。それ目掛けて抜き打ちを浴びせかける。肘から先が別れ、地面へと落ちていく。そこへ遅れてやってきたグスタフが子供を抱きかかえ、すかさずオリヴィエが治癒魔法を唱えた。青白く染まった少年の顔に生気がゆっくりと戻っていく。


「反乱だ、団長が斬られたぞ!」


「敵には聖職者がいる! 魔術無効(アンチマジック)を使え!」 


 その声とともに、不気味な体中を撫でるようにして駆け抜けた。すると、体が重みを感じた。どうやら俊敏魔法の効果をかき消されてしまったらしい。グスタフが唾棄する顔で言った。


「まずいな。これで魔法が使えなくなったぞ。流石は兵種の揃う騎士団だ」


 さらに状況は悪化する。見張りだけでなく物陰からも増援がやってきたのだ。何十もの槍の穂先が壇上に向けられ、全方位から取り囲まれてしまう。死角を埋めるべく、グスタフと背中合わせのようにして態勢を整えた。


「チィッ、思ったよりも数が多い。さては反乱分子の炙り出しまで狙ってやがったな?」


「全部を相手にするのは……難しそうだね」


 迂闊に攻めかかればこちらの隙を突かれる。きっと矛先はオリヴィエや、その腕の中に守られる少年へと向けられるだろう。だから動けない。グスタフもそれが分かっているようで、終始守りの姿勢を崩さなかった。明らかな窮地にあって、オリヴィエは悲痛な声をあげた。



「魔法が使えない今、私は足手まといでしかありません。どうか構わず落ち延びてください。お二人であれば血路を開くことも可能でしょう」


「嫌だよ。君を置いて逃げる訳にはいかない!」


「レインさん……」


 とは言ったものの作戦は無い。向こうも戦力を測りかねているのか睨み合いが続く。その間に隙を見い出そうと、双方の鋭い視線が交錯する。


 互いに構え、ただ向き合う。その間中は団長と呼ばれた男だけが騒がしく、奇声をあげながら輪の外へと引き下がった。腕を持ってこいと叫ばれるあたり、魔法で腕を接合する気のようだ。ここに治療を終えた指揮官が復帰されたなら、僕らは一層不利になるかもしれない。そして、そうなるよりも早く、戦況の悪化を知らせる言葉が辺りに響いた。


「聞け魔法兵! 一人は魔法無効を維持、残りは火焔魔法の用意を急げ!」


 団長とは別の男から下知が飛んだ。すると包囲の外、その宙に大きな炎が出現した。魔力の充填は完了しているらしく、後は狙いを定めて発動させるだけとなっている。いよいよマズい。どこかに活路は、逃げ道は無いか。


 蟻の這い出る隙間もない包囲網の中で左右を見渡していると、少し場にそぐわない姿を遠くに見た。それは先程まで側にいた老人だった。彼は小脇に壺を抱えており、ほどなくして十分に近寄ると、手の物を高く投げあげた。


「貴様、今なにをした!?」


 異変に気づいた騎士が咎める。しかし、既に制止できる頃合いの過ぎた後だ。壺は火球の方へと吸い寄せられ、そして弾けた。次の瞬間には炎を纏った液体が辺りに飛散。中身は油が満たされていたようで、包囲陣のあちこちで火の手が上がる。突然の出来事に正規兵といえども酷く狼狽した。


「今だ半裸の若造ども! やっちまえ!」


「爺さん、ありがとよ!」


 グスタフの反応は早かった。向けられた槍の柄を掴むと、それを持つ槍兵ごと振り回した。味方同士で体をぶつけあい、鎧を砕かれた者たちが一人二人と膝を折る。


 そうして出来た包囲の綻びに、今度は僕が飛び込んだ。腕や足の鎧の隙間を見つけては、手当たり次第に斬りつけていく。殺す必要は無い。相手から継戦能力を奪い去る事こそ優先させるべきだった。


 炎が、グスタフが、そして僕が着実に相手の戦意を奪っていく。それでも敗走にまで至らないのは、騎士団の意地なのか、それとも何か考えでもあるのか。敵を崩すにはあと一手必要だと感じた。


「貴様ら、何をボヤボヤしておるか! はようこやつらに加勢せんか!」


 先程の老人が聴衆に向かって叫んだ。老齢とは思えない覇気があるものの、それに釣られて同調する動きは無さそうだ。


「爺さん、何言ってんだよ。逆らった事が国に知られてみろ。オレたち皆殺しにされちまうだろ!」


「寝ぼけた事を申すな! 今ここで立ち上がらねば、どうあっても我らは終いぞ!」


「な、なんでだよ?」


「わからんか? この騒動の連座で焼き討ちにあうか、そうでなくても公爵家による締め付けが一層強くなるわ! お前たちは目先を凌げば良いと考えているようだが、それはお門違いも良いところじゃ。この先暮らしが良くなるとでも思うか? 子の世代、孫の世代に良き時代が来るのか!?」


「そ、それは……」


「答えは否! 貴族どもは下層民など喋る家畜程度にしか見ておらん! 処刑されかけた商人親子は、明日の我らぞ!」


「その通りだ。この爺さんの言う通りだ!」


「お偉方はオレたちの事なんか何もわかっちゃいねぇ! 取るもんだけ取って威張り散らすだけじゃねぇか!」


「そうだお前たち! 今ここで怒れ! そして奴らを追い払え!」


 街の人たちは農具を武器に、雪崩をうって襲いかかった。数で言えば騎士団の10倍は居るだろう。それをキッカケに包囲は解かれ、隊伍を整える事もなく逃げていった。その背中に向かっていくつもの雄叫びが飛ぶ。老若男女問わずに、だ。何て勇ましい事だろうと思う。取り返しがつかなくなる程度には。


「これ、やりすぎじゃないの?」


 僕の不安にグスタフも同意する。制圧に手間取ってしまった為に、まさか街ぐるみでの反乱にまで発展しようとは考えもしなかった。そのまま呆然とする僕らに向かって、先程の老人の声がぶつけられる。


「シャンとせい。今後はお前さんらが我らを導いてくれるのだろう。無闇に弱気な姿を晒すでないわ!」


「待って、僕たちにそんなつもりは……」


「無い、とでも言うつもりか? では、あれは何だ」


 彼が指を指した先にはオリヴィエと、それを取り巻く聴衆の姿があった。街の人たちは熱心に彼女の言葉に耳を傾け、中には涙を流す者さえいた。


「みなさん、暗黒の時代は終わりを告げました。これは単なる勝利ではありません。あなたたち自らが掴んだ栄光なのです」


「オリヴィエ様! オリヴィエ様!」


「あなた方が慕うべきは私のような矮小(わいしょう)なる者ではありません。あそこにおわす聖者レイン様。あのお方こそが導き手となり、数多の邪を挫いてくださるでしょう」


「聖者様! 陰部様!」


 何と言う切り替えの早さだろう。オリヴィエはすでに人身掌握に乗り出しており、しかも成功しかけていた。これにて、僕たちはもうアルウェウスの街より離れられなくなった事を思い知る。


 こうまで事が大きくなると、自分の決断が正しかったのか疑問に感じてしまう。もちろん、商人親子が助かったのは素直に嬉しい。しかしだ。もう少しだけ思慮深く動けば良かったかなと、穏便な手段で解決できなかったかなとは思う。

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