第二幕 三場 見えぬ愛
全ては、二十年前から始まる。
二十年前の百合村でも同じことが、起こっていた。寸分も違わず、全く同じことが。
時間軸が異なっていたのだ。全て。松彦の見た記憶。あれは全て二十年前の出来事である。村長との会話、友との思いで、愛した妻の姿、それらは全て二十年前の追憶だった。
―――――――
大量殺人を行ったその後のこと、松彦の目の前に神と名乗る声が聞こえた。
「罰を与える。解放してほしくば、人を愛の尽きるまで愛せ」
神の気まぐれだ。あるいは、暇つぶしか。こうして、松彦は神の操り人形のようになってしまった。当時の狂ってしまった脳では勿論正常な考えなど出来るはずもない。
松彦は、神の言葉を無視し、手にしていた小刀を、心臓に突き立て、死を試みた。が、失敗してしまう。これこそが、神の与えた罰。
“死ぬことを禁じる”という罰だ。
松彦はそれに気づかずに、何度も何度も、体中に刃を突き立てる。しかし、どうあがいても死ぬことが出ないのだ。死のうとすればするほど、無駄だと言わんばかりに、どこかから笑い声が聞こえ、身体が再生していく。
全ては、神の気まぐれなのだ。
まだこれでは終わらない。死ぬことが出来なくなり、いよいよ崩壊しつつあった松彦の心は、いつしか自身を守るためか、人格を全て構成し直した。
二十年前、それ以前、現在に至るまでの記憶を全て混濁させ、異なる人間を生み出す。と言うことを無意識下で行っていた。
その結果として松彦の中に生まれた人間こそが、“村長”という人間である。
まるで夢を見ているようだった。松彦は、いつのまにか自らを村長と名乗り、身なり、動き、口調、癖に至るまで。記憶のどこかにいた村長という人物を再現、もとい、再演していた。
それでも狂っていたことに変りはない。居もしない人間を見ていたのだから。
それは、村長の見ていた世界さえも、だった。経験したこと思ったことまで。
あのとき起きた、事件までも村長の視点で再演されていた。唯一、村長と異なるのは、妻の存在である。妻を失い悲しみに暮れていた村長などは、本来存在していなかった。消えていたはずの松彦の人格がそうさせたのかもしれない。
――――――――
これによって、現在に至る説明が、ようやく付くようになった。
あのとき、村長を再現した松彦は、自分の首に小刀を突き刺した。だから目の前に墓があったのだ。
それがさっきまでの話だ。その後、一度死んでしまった村長の人格は消え去り、また狂った松彦の人格が呼び起こされてしまった。そこで、気を失い、今に至る。
これが、二十年にもわたる殺戮劇のあらましだ。
「そうなのか、あれから二十年も経つというのか。その間僕はずっと狂ってしまっていたのか。偶像を作り上げてまで。僕は一体何だったんだよ。なぁ、椛」
何もかもに気づいてしまった先に待っていたのは後悔でも、悲哀でも、絶望でもない。
ただ、無限とも呼べるような、終わることのない、虚無感だけだった。
思えば、自分自身によって作られた世界の中、のうのうと過ごしていた自分に、心底恐怖を感じる。観客、演者、誰一人としていない中、自分一人で作り上げた虚ろな劇を演じていた。何も生み出さない。何も残らない。滑稽で荒唐無稽な、一人人形劇。
神様に操られていただけの無様な喜劇。
「もうこりごりだ。今度こそ。今度こそ死んでやる」
意気込んだ松彦は、歩き出し、祠に向かった。
祠にたどり着いた途端、頭を大きく振りかぶり、勢いのまま、思い切り祠に直撃した。
視界が臙脂色に染まる。とんでもない出血量だと一瞬で分かるほどだ。
痛い。痛い。でもこれでようやく死ぬことが出来る。長い長い呪いもここで終わる。もう操り人形はごめんだ。
強い意志の中、松彦はいつの間にかこう呟いていた。
「まただ。」
聴きなじみのあるような、そんな言葉は消えていく意識と混ざり、闇の中に流れていった。
これで、もう終幕だ。
と、思っていた。
もうこれでおしまいだ。ようやく死ぬことが出来ると。ようやく人に戻ることが出来るのだと。終わらない輪廻に終止符を打てるのだと。そう思っていた。
どれもこれも無駄な話である。神の提示した条件も満たさぬまま罪を逃れるなど、まず不可能だ。至極道理にかなった方法であるのにも関わらず松彦は、それを放棄してしまったがために、また“戻ってしまった”のだ。
松彦は、いかにも絶望している顔で、扉越しに“こちら”をのぞき込んでいた。その眼は暗澹たるもので、口もどこか震えているように感じた。
松彦は“ようやく全てを理解した”のだ。自分に逃げ道がないこと、この条件を甘んじて受け入れるしかないこと。そして、この条件を満たすことは不可能なこと。その全てにようやく気がついたのだ。
始めから無駄だったのだ。永久に死ぬことのない命。その末路は、永久しかないのだ。どうあがこうと、どう考えようと、何を探ろうと、全ては無駄。
何も生み出さない。何も残らない。
何故ならば、人間の感情に底など存在し得ないからだ。単純且つ明快な答えである。
つまり、愛の尽きるまで愛する事などは、出来る、出来ない、以前の話として、根本的に不可能なのだ。
たとえ器が消えようとも、感情とは無限にあふれ出す。
それにさえ気づくことなく、松彦は、妻である椛に今生の愛、無償の愛を注ぎ続けた。その結果として椛は、精神的重圧に追い込まれ、病により死んだ。踏み違えた独りよがりな愛は、他から見ればどうやら、完璧なほどに美しい『愛の形』に見えたことだろう。
松彦の見聞きしていた今までの世界は全て偶像でしかない。何もかもが作られたものにしか過ぎない。
「待て。それはおかしい」
松彦は、重々しく口を開いた。一体何に気づいたというのか。
「僕がこの身体にされたのは、二十年前の話だ。しかし、貴様の話を聞くと、この身体にされた後に椛を愛したように聞こえる。この身体にされた後は、村長の人格となっていたはず。一体どういうことか」
―――真実に触れようというのか。松彦よ、悔やむならばもう遅い。真実を知りたく思うか
「かまわない。失うものなどもはやない。どうなろうと覚悟は出来ている」
松彦は、畏れることなくこう言い放った。神は、松彦に見せることにした。現実でもなく、事実でもなく、真実を。
―――これも、神の気まぐれだ。
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