春、そして修羅

阿部 梅吉

宛先:なし

差出:阿部


件名:なし


いかがお過ごしでしょう。突然の連絡に戸惑っていると思います。私にはあなたがこうやってネットをしていることの方が驚きです。何より、あなたがこうして生きていることを知れてとても嬉しいです。私はあなたに何か特別伝えたいことがあるわけではありません。


あなたはとても驚いているでしょうね。私にも何かあったのかと思います。6年前に急に私の前から去り、私は戸惑いましたが、今は元気に暮らしています。そうそう、引っ越しをしました。春とはとても不思議な季節ですね。


なんてったって、道端に咲いているサルビアを見て泣きそうになるんですもん。とても不思議な季節ですよ。この街にあるちょっと寂れた喫茶店や、風で倒れた自転車なんかを見ていると無性に泣きたくなります。そういうのってわかりますか?


かつては私もあなたの幻影を、そうですね、あなたが昼飯代わりに食べていたチョコレートや大好きな太宰なんかを見ると、もう本当に泣きたくなりましてね、恥ずかしい話ですが。そんな時期もありました。あなたが住んでいたと思われる家の近くまでフラフラと歩いてしまうこともありました。


そんなわけで、あなたと別れたとき、正確には18の春ですが、私はとりとめなく一日中エヴァンゲリオンを見て過ごしたり、狂ったように本を読んで過ごしていました。あなたの幻影がちらつくたびに、私はそれを排除し、心の奥底に沈めいていたのです。大学に入学しても、やる気はありませんでした。


あなたが生きた証を、私は心の深いところに沈め、金庫に入れて鍵をかけ、その鍵を破壊しました。19の頃だったとと思います。私は大学の勉強に精を出しました。特に好きだったわけではありません。でも、何かを頑張るということはいいことですね。何かを忘れるためには没頭するしかないのです。


そんなわけで、大学では特に勉強が好きではないのに特待生になりました。一時は浮かれましたが、まああれはバブルのようなもので、特に何も私にはもたらさなかったように思います。私は友を得て、人生で最も平穏な日々を過ごしました。しかし私の中では何かが足りませんでした。


私の心には何かしら空洞のようなものがいつもありました。それはあなたが私にもたらしたことなのでしょうか?わかりません。しかしあなたと出会って別れ、私は決定的に変わってしまったようにも感じます。それくらい、あなたは素晴らしい人間なのです。


誤解しないでほしいのは、あなたが私に何か悪い影響を与えたと思って欲しくないのです。確かにあなたと別れて春になるたびに、私はあなたと最後にあった日のことを思い出しています。しかしそれはとりもなおさず、とても素晴らしいことなのです。


何を言われようとも、あなたに会えなかった人生よりも、あなたに会えた人生のほうが何倍も尊いのです。そのことに変わりはありません。私はあなたが自死を選ばず、生きていると知ってどれだけ嬉しかったことでしょう。本当に本当に幸せなのです。


ウエブを見る限り、あなたの名前は変わってはいませんね。結婚はまだしていないのですかね?あなたなら素敵な奥様になれるとと思います。

結局あなたの両親もまだ離婚していないのでしょうか?私はあなたがあなたの両親と離れ離れになっていることを願っています。


あなたは昔からとてつもなくモテる人でしたね。パッと目を引くタイプでも無いのに、なんでかあなたのことが頭から離れなくなっているんですよね。不思議ですけど、私自身もあなたの虜になった一人ですからそんな野郎の気持ちは痛いほどわかります。今、あなたを支えてくれる方はいますか?


もしも、もしもですけれど、あなたが結婚することがありましたら、その時はあなたを祝福したいです。あなたを支えてくれる人を含めて、私はあなたを愛したいし、祝いたい。エゴですけど、わたしはそう思います。それに、もし子供ができたらあなたはとても良いお母さんになると思います。


あなたがかつて両親から受けた暴行を繰り返すとは思えません。あなたは思慮深い方です。あなたが母親と性行為をしていたことは知っています。そのおかげであなたのあらゆることが変わってしまったことも知っています。しかし、私はあなたに単純に、幸せになってほしいと願うのです。


あなたは兼ねてから、子供なんか欲しくない、子供なんて親のエゴの産物だ、なんて言っていましたね。私は毎回うまく返すことができずに、うやむやに、はあ、と言うしかできませんでした。でも私にはわかります。あなたは、たとえエゴであっても、自分の子供を一人の人間として尊重できると。


とりもなおさず、私達はいろんなことが変わってしまったみたいです。とにかく、私はあなたが幸せならそれでいいのです。何もいりません。

返信だっていりません。あなたの投稿を見て、懐かしくなってついこうやって衝動に任せて書いてしまったのですから。あなたが嫌ならばこの投稿も消します。


とにかく、私はあなたの幸せを祈っております。

あなたを支えてあげられるような人間にはなれませんでしたが、あなたを幸せにできるような小説を書くことがとりもなおさず今の私の目標になっています。

仕事は大変そうですがお身体に気をつけて。


              【送信】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る