第177話  鍛えられた怒り





――父親を殺さねばならない。


 ガイアケロンは熱烈に望む。

 父親の死を。

 抑えても抑えきれない怒りと憎悪。


 何人もの実子を潰し続け、健気に戦っているハーディアの人生を捻じ曲げ、とうとう破滅寸前にまで追い詰めてきた。


 ズマという金と権力のためならどんな残虐もやってのける男の妻になどされたら、心を取り返しがつかないほど壊されてしまうに違いなかった。


 許せない。

 あの男。

 怪物のような父。

 殺さねばならぬ。


 いつも、いつも、それだけを考えてきた。

 だが、その方法は見つけられないでいた。

 

 ガイアケロンとハーディアは子供の頃から親子だけで面会したことなど一度として無かった。

 常に衛士が並ぶなか、一定の距離を置いて話すだけだ。

 それは肉親の会話というより、まさしく謁見でしかなかった。


 だから、これからも王と二人きりで会うことなど無い。

 父と子が、厳めしい衛士や油断のない魔術師のいない場所で何かしらを話し合うなどという、そんな日は来ない。 


 では、どうやって殺すか。

 考えられるのは少人数になったところで襲う、という手段。


 少年の頃から暗殺者に狙われ、戦場から戦場へと流転し、必然的に生き残りを賭けて磨かれた技術がある。

 さらにガイアケロンとハーディアは剣だけを鍛えているわけではない。

 特に騎士イースに格闘で敗北寸前にまで追い詰められた経験がある。

 よって肉体そのものを武器として戦うことも想定してきた。

 

 だが、ヒエラルクという男が現れた。

 付け入る隙の無い、恐るべき剣聖。

 奴がいては剣での勝算はあまりに減ってしまう。


 そして、もう一つの問題は間合いだった。

 根本的に父王が接近を許さないとなれば、剣の間合いを超えた攻撃を仕掛けなければならない。

 だが、魔術では察知され、不意打ちできなかった。


 他の手段としては飛び道具がある。

 だが、弓を所持して謁見を求めるのは不可能。

 疑われて取り上げられるだけだ。

 隠し持つのも難しい。


 そこで秘密裏に短剣を投げる訓練を繰り返した。

 兄妹とも天性、武術に素養があるため、並み以上には上達した。

 ところが、大謁見の際には寸鉄帯びることすら禁じらた。

 以前は刀剣の所持を認められていたというのにだ。

 これで短剣という手段も覚束なくなってしまった。


 殺す方法が分からない。

 夜ごと憎しみが深まる、あの男。

 諦められるわけがなかった。 

 だから、模索した。

 


 ガイアケロンとハーディアは二人きりで、とある準備を進めている。

 今日は誰にも知られてはならない鍛錬を行うためだ。

 エイダリューエ家の施設を借りて、いかなる理由があっても近づいてはならないと厳命した。

 見張りをスターシャとヴァンダルに頼んだので、命令は忠実に守られる。


 ガイアケロンは鉄球を掴んでいる。

 掌にちょうど良く馴染む大きさ。


 この球は二つに割れて半球状となり、装飾として鎧に付けられるようになっていた。

 簡単に一つの鉄球に戻せる仕組みだ。

 苦労の末に見つけ出した、とある細工師に身元を隠して発注した。

 それなりの金と脅しで、細工師の口は封じた。


 こうして用意した鎧は飾毛や布で華やかに飾ってある。

 誰に見せても不審がられることはなかった。

 美しい鎧だと称賛してきたものだ。

 これまでの謁見で鎧を調べられたことなどない。

 細工は露見しない確信がある。


 腕一本による鉄球の投擲という単純な手。

 だからこそ勝機がある。

  

 ガイアケロンは力を漲らせる。

 四肢の全てを連動させて鉄球を投げた。

 それは純粋な破壊力の塊。

 鍛え抜いた肉体から放たれた鉄球は、唸りを上げて飛翔する。


 激しい破断音。

 堅い材木をいとも簡単に突き抜ける。

 豚の死体でも試した。

 鉄球が命中した頭蓋骨は砕け散った。

 

 間違いなく、人の頭や心臓に当てれば一撃で絶命させる威力がある。

 そして、イズファヤート王は謁見にあたり鎧を纏っていたことなど一度もない。

 あの暴君を、あの憎い男を、とうとう殺せるのだ。


 ガイアケロンの密かな訓練は進んでいく。

 投げれば投げるほど理解が深まった。

 たちまち、この殺人技術は劇的に洗練されていった。


 すぐに上半身と下半身の動かし方に投擲の秘訣を見つける。

 足の運び方、体幹と体重移動。

 一つ一つと改善点を見出す。


 初めのうちは鉄球に妙な回転がかかり、意図しない軌道を描いた結果、狙いを外していた。

 そこで投げる際の肘の位置を工夫する。

 徐々に修正されていく。

 ついに十歩の距離なら必中となった。

 

 だが、まだ足りない。

 さらに速く、正確に心臓を砕く一撃にまで研ぎ澄ます。

  

 再びガイアケロンの脳裏にヒエラルクが蘇る。

 剣聖はこの不意打ちに対応してくるだろうか。

 してくると考えるべきだ。

 

 おそらく刀で打ち落とそうとしてくるはず。

 ならば、どうするか……。


 ガイアケロンの直感は告げる。 

 鉄球の軌道は、あえて曲がるように投げるべきだ。

 すると急所に当てることはますます難しくなるが、想定外の方法を重ねなければ出し抜けない敵だった。

 そして、鍛錬はさらに高まっていく。

 

 ガイアケロンは考える。

 絶好の機会は、いつやってくるか。

 帰国における謁見はもうすでに済んでしまった。

 先日の光神教団教祖ムシュアと父王の会見には鉄球の細工が間に合わず、さらには隙を見つけられなかった。


 数日後に開催される闘技大会が終われば王族らは素早く最前線に戻らなければならない。

 しかし、この滞在で決めなければ、次の時機がいつになるか分からなかった。


 ガイアケロンの心に焦りが生まれつつあった。

 そして、状況がまた動いている。


 イエルリングの使者がエイダリューエ家を訪れていた。

 使者が携えた封書には、明日に再び王宮へ行き謁見する予定であるとしたためられていた。

 

 これはガイアケロンの頼みに答えた連絡であった。

 長幼の序を守るためにも長兄が謁見するのならば供をさせてくれとの願い。

 そうでもしなければ王族兄弟らの確執はさらに広がり、支援者たちが良からぬ感情を持ちかねない……。

 それを防ぎたい、というガイアケロンの申し出。


 無論、それは全て建前であり隠された真の目的。

 父王を狙う機会が欲しい。

 そして、囚われているアベルを助けたい。

 それが真実だった。

 

 そうと知らずにイエルリングは頼みを受け入れた。

 長兄はハーディアとズマとの婚姻を推し進める意思を崩さなかったが、それ以外については妥協の態度を示している。


 イエルリングは計算高い。

 さすがにガイアケロンとの関係が決定的なほど悪化するのは避けたいと見えた。

 なにしろ、皇帝国との戦争に勝たなくてはならない。

 ガイアケロンの協力は喉から手が出るほど必要としていた。

 

 鉄球の投げ込みを続ける。

 心は氷のような冷静さと火焔のごとき憤怒に分かれていた。

 怒りと憎悪は、際限なく膨らんでいく。

 父親にして王である、あの男を殺す。

 その一念が純度を高めながら渦巻く。


 イズファヤート王は誰からも恐れられていた。

 完璧な王として民からも貴族からも畏怖されている。


 多くの者は偉大な暴君に慄きながらも、それでいて心酔している。

 陰では不満を漏らし、だが、本気で抵抗しようという気力を失っていた。

 虐げられているはずなのに、イズファヤート王の姿を見て感激の涙を流す者も珍しくない。


 だが、己は違うとガイアケロンは心で唱える。

 必ず父親を殺す。

 そうしなければ夥しい数の人間が殺され、遠くないうちにハーディアは破滅してしまう。

 

 なにより自分自身が許せない。

 あの男に踏みつけられ、利用されるだけの人生など……。

 

 ガイアケロンの投げる鉄球は、さらに速度を増していた。

 動作に手応えを感じる。

 これまで身につけてきた全ての技や経験が肉体の中で統合されていく。


 強靭な四肢が躍動し、鉄球を放つ。

 意図して加えられた回転。

 狙いに従い、奇妙な軌跡を描いて的に命中した。


 ガイアケロンは投擲に閃きを感じる。

 まだ、完全ではない。

 だが、一つの技が自分のものになりかけていた。

 練り込まれた血肉と憎悪は技術へ昇華しようとしている。


「ハーディアよ。明日がその日になるかもしれぬ」


 ハーディアは兄の顔に決意を見出す。

 後先など考えては動けない。

 だからこそ捨て身になるしかなかった。




 兄妹は鍛錬を終える。

 あまり長い時を費やしてはギムリッドらに不審を感じさせてしまう。

 豚の死体は地中に埋め、砕けた木材は燃やすようスターシャに命じた。


 夕方、ハーディアは沐浴を所望した。

 エイダリューエ家の奴隷たちが急ぎ用意を整える。


 明日のために身を清めておきたかった。

 身の回りを世話する奴隷も断り、たった一人で広い浴室に入る。

 あえて魔光は使わない。


 今日は二つの月が共に満ちる、双満月の夜。

 蒼い月光がハーディアの裸身を照らしていた。


 ふと、水面に映る自分自身を見つめる。

 あらゆる尊い血脈を集めたアレキア王家の末裔として、相応しい肉体と自覚する。

 そして、どうしたわけか男を惹きつけて止まない引力があるのだという。


「どうせ寄って来るのならアベルが良かったのに」


 しなやかな四肢と張りのある乳房。

 美しい曲線を描いたくびれた腰、ふくよかな丸い尻。

 長くて肉感的な太腿。


「悪くはないわね……」


 小さな自己満足から唇に微笑を浮かべる。

 それから戯れとして色々な表情に変えてみた。

 喜んでみたり驚いてみたり。

 そうして最後に水面へ映るのは悲しみを感じさせる笑顔。


 明日は死ぬかもしれないと思った。


 この肉体が男を抱き締めたことは、ただ一度きり。

 アベルの逞しく、それでいて柔らかい体を思い出す。

 あの熱い血潮の温もりが、もう一度だけでも欲しくなった。

 叶わぬ願いであると知りつつも……。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る