第172話  止まらない運命






 ガイアケロンは金杯の葡萄酒を飲み干し、そろそろ帰ると兄に伝えた。

 イエルリングは実に残念そうな顔をする。


「なんだ。もう行ってしまうのか」


 ガイアケロンは思う。

 兄イエルリングとは今のところ交渉が成立しない。

 彼が次代の王となる協力まで材料にしたが、ハーディアには諦めてズマの妻になれと言う。

 それどころかズマを操って見せろと提案してきた。


 その未来に希望は無い。

 絶対に選ぶことのない道だ。


「兄上、二度とは無いせっかくの機会です。父王様への謁見など予定を教えていただければ、このガイアケロンが弟として必ずお供させていただきます。長幼の序は守らなければなりません」

「ははは。英雄と戦姫が露払いをしてくれるのか。それは戦場でこそ頼みたいぞ」

「これは戯言ではありません。兄上が黙って王宮に上るようでしたら、こちらも考えが変わります。

 王族はこれから力を合わせて戦わなくてはなりません。それにも関わらず長兄と我々がばらばらに行動するというのは、おかしなこと。兄と弟妹が親しくすれば支援者たちも、余計なことを考えなくなるやもしれず。いかがでしょう」


 イエルリングは眼つきを変化させた。

 暗い青色の視線はガイアケロンを探るように、じっくり観察してくる。


 ガイアケロンは本心を隠す。

 兄が王宮で活動できる時間は限られている。

 せいぜい数日だ。

 そこを乗り切ればアベルと偶然に遭遇する事態は回避できるはずだった。


「本気のようだな。いいだろう。私が再度、父王様に拝謁するのは明日。ムシュアも来るが問題はないかな」

「無論です」

「ズマもハーディアに会いたがるだろうな」

「お任せします」


 ガイアケロンが応接間を出るとオーツェル、スターシャ、クリュテが休みもせず、立ったまま待っていた。

 それとは逆の男がいる。

 イエルリングの配下で、噂に聞く戦士ダレイオズ。


 戦場では好んで最前線に立ち、血に酔い痴れ、必ず数十の首を獲って来るという。

 その獰猛さに加え、蛮族であることを隠しもしない容貌のままイエルリングの傍に付き従っていることから、以前より話に聞いていたのだった。


 彼は放埓な態度で廊下に寝ていたが、ガイアケロンの姿を見ると勢いよく立ち上がる。

 そして、極上の料理を見つけたような視線を送って来る。

 ガイアケロンは語りかけた。


「お前、なかなか良い体をしているな。名乗りを許す」

「ダレイオズ」


 獣じみた男は、にぃと奇怪に笑う。

 口が裂けたように大きく広がり、人間というより獣人に近いが、もっと根本的に不遜かつ異様な気配が滲み出ていた。


「出会った時から物欲しそうな顔をしているが、見ているだけで満足か」

「では、王子がお相手してくださるので?」


 血に飢えた眼が歓喜に震えている。


「兄さえ許せば構わぬぞ」


 イエルリングが呆れたように言う。


「いくら治療魔術があるからといって手合わせなど許すわけがなかろう。俺の配下が弟と揉めたら、それは私の責任だ」

「では、ダレイオズを我に譲って下され。すれば何が起ころうとも我の責任」

「お前は面白いことを考えつくなぁ。だが、断る。そいつは私の護衛だ」

「ふふっ。これこそ戯言です。では、兄上。夜はゆっくりとおやすみください」


 イエルリングは夜の闇に消えて行く弟妹を見送った。


「ダレイオズ、お前、ガイアケロンの元へ行きたくなっただろう」

「はい。あの王子と戦えるなら何もかも捨てて惜しくない」

「ふむ。しかし、お前に脅しは効かぬだろうな。裏切るなら親類縁者を探し出して残らず首を刎ねると脅迫しようとも、お前は好きに動く男だ」

「ぐふっ。父だろうと妹だろうと弱い奴は殺されて当然。死ぬも生きるも本人の力次第です。しかし、俺はイエルリング様を裏切りはしませんぞ」

「なぜ?」

「ガイアケロン王子が……もっと獣のようになってから戦いたい。獣と獣のように食い合えば、もっと楽しい。そう感じたので」

「なるほど。だが、ガイも同じことを考えていたかもな。貪欲な奴らだな」


 イエルリングは久しぶりに心から愉快な夜であったと、微笑んだ。




~~~~~~~~~



 

「意外と元気そうじゃないか」


 ランバニアの邸宅で荷物を運んでいるアベルへ、そう声を掛けてきたのは見覚えのある男だった。

 奴隷仲間のホルモズ。

 彼は王宮内の雑用的な下級奴隷であり、アベルがランバニア邸に住み込みとなってからは会う機会がなかった。


「ホルモズか。久しぶりだな」

「実はさ、頼まれごとで来たんだぜ。伝言だ」

「へぇ、誰から」

「エイダリューエ家のお方だと思う。男の人で、たぶんご一族の方だろうな。俺に銀貨を下さって、他にも手を回して、ここまで俺が来るためのご用事まで手配してくれたよ。

 お前ってやっぱりガイアケロン様の親衛隊だけあって認められていたんだな。今も気にしてもらってるのか」


 アベルは緊張する。

 間違いなくオーツェル、そして、ガイアケロンからの連絡だ。

 賄賂と人脈を使って送り込まれた伝言。

 どんな要件なのか。


「あ、ああ。だけれど、褒められたことではないよ。僕はしくじって奴隷だ。それで内容は」

「お前の親戚にイールとリングって人がいるだろう。その親戚たちがバルティアから王都に戻って来たそうだ。明日、王宮に来るらしいぞ」

「バルティア……」


 イールとリング。それにバルティアときて思い当たるのは一人だけ。

 ガイアケロンの兄イエルリングだ。

 そうでなければ、こんな符丁を送る理由など絶対にない。

 あの印象深い王子が王宮に戻ってきている……。


 数年前、最前線の属州バルティアでの王子と出会った。

 ゼノ家の長女シフォンを助けたのが切っ掛けだった。

 暴発的に起った戦闘、徐々に不利になりつつあったがイエルリングはイースに強い興味を持った。

 結果的に、それが幸いして助かったのだ。 


 途方もなく巨大な力を持つ男だった。

 人間を素材として見る、冷酷で不気味な視線。


 会話をしたのは短い時間であり、さらに王子の興味は同席していたイースにばかり傾いていたが、こちらの顔を忘却しているとは思わない方がいい。

 あれから肉体は成長しているが近くでよく見られたら……。


 アベルの背筋が冷えてくる。

 やはり、綱渡りだ。


 それにしても、この伝言は助けになる。

 なんと貴重な情報か。

 ガイアケロンは、ずっと助けようとしているのだ。


「ホルモズ。助かったよ」

「たっぷり銀貨を貰っている。これぐらいな。それにエイダリューエ家の方に睨まれたくないぜ。まぁ、それでも伝言が精一杯だけれど」


 アベルは頷く。

 エイダリューエ家は歴史ある大貴族であり、王宮にもそれなりの影響力を持っているのだ。

 奴隷一匹が逆らっていい相手ではなかった。

 奴隷暮らしが長い彼には、そのあたりの機微が理解できている。


「じゃあな、アベル。用事は済ませたぜ。あと、お前からの伝言もあれば聞いておくけれど」

「感謝していると。あと、もしかしたら僕も闘技大会に出るかもしれないと伝えてくれ」


 そうしてホルモズと別れた。

 何も知らず利用されているだけの彼に、これ以上重大な件など頼めるはずもない。


 すると物陰から誰かが近づいてくる気配。

 ランバニアの護衛であるジャバトだった。

 奴とは険悪な関係が続いている。


「何の話をしていた」

「奴隷の軽口さ。重たい荷物で腰が痛いとか」

「出て行った、あの男。締め上げるか」

「あいつはただの奴隷だ。もう十九年間も勤労しているそうだよ。そんな男を虐めたら、あんたこそ後で厄介なことになるんじゃないか」

「関係ないな。指の二、三本も切断すれば何でも喋る」


 アベルは自分の中で、ぷつんという音が聞こえた気がした。

 ジャバトを睨んだ。

 抑えても抑えきれない、どす黒い殺意が溢れてくる。


「相手は奴隷だからやりたい放題と言いたいようだが。やったら、お前を必ず殺す。殺す前に手足の二、三本は潰してやるよ。嘘じゃない……」


 我慢の限度を超えていた。

 最近はいくらか監視は緩んでいたが、今も目敏く見つけてきた。

 この男は強いが、殺せない相手ではないと自然に感じる。


 睨み合い。

 ジャバトの頬が痙攣していた。

 興奮か、恐怖か。


「……奴隷仲間を守りたいなら余計なことはするな。ランバニア様がお呼びだ。ついて来い」


 ジャバトは退いた。

 かなりの荒事に慣れた人間でも本当の危機は避けようとするものだ。

 小さな理由で命を捨てる選択は、普通しない。

 


 邸宅の執務室に入る。

 客はいない。

 秘書ダリアの姿も無かった。

 主である王女は、ぽつんと煌びやかな象嵌の椅子に座っていた。 

 ランバニアの視線はアベルを捉えて離さなかった。


「来ましたね、アベル」


 服従の意を伝えるように恭しく首を垂れる。

 ランバニアは少し考える素振りをしてから話し始めた。


「さて、アベル。以前から言っているように貴方が出世するには、わたくしの力添えが必要です。また、抜擢されてからも支援がいるでしょう。何と言っても貴方の家系ときたら下級も下級、貧弱そのものです。有力な親族すら一人もいません」


 アベルは頷き答える。


「その通りです。僕には後見人もいませんし、天涯孤独です」

「そんな貴方に機会を用意してあげたいと思っています」

「ご恩は一生、忘れません」


 ランバニアは微笑んだ。


「そうねぇ。そうだと良いのですけれど……。最近、大勢の貴族や有力者がハーディアとガイアケロンに面会して、あの二人に心酔しているみたい。これまで、わたくしが面倒を見てあげていたのに態度を変えた者もいます」


 アベルは内心、納得する。

 あの兄妹は常に客を歓迎し、僅かな時間も無為にせず人と会い続けていた。

 地道で疲れる政治活動が効果を上げているのだ。

 

 それにあの二人が持つ、見惚れるような肉体と洗練された様子に感化される者は少なくない。

 実利の面から見ても賭けるに値する存在だ。

 対してイエルリングの派閥は大貴族が固めているだけあって、新たに参入する隙は皆無だった。

 

 この政情にランバニアは当然、警戒する。

 自分の唯一の領分であった国内政治への影響力を、奪われてしまうからだ。

 しかも、皇帝国を攻略する指揮官としての能力に欠けているならば挽回する機会はあまりに少ない。

 ランバニアはそれを深く自覚しているようだった。


「昨日も親しくしていたはずの貴族めが、わたくしの誘いを断ってきました。どうやらハーディアと面会していたようです」


 ランバニアから余裕のある笑みは消えていた。


「どうやら、わたくしではハーディアに敵わないみたい。このままでは今の立場を失ってしまうかもしれません」


 ジャバトが息を飲み、狼狽していた。

 だが、何をすればいいのか分からず、おろおろとしている。

 アベルは声を掛ける。


「失礼ながらランバニア様は独自の地位をお持ちです。ハーディア様とは役割が異なるかと」

「競争相手であることに違いはないわ。劣った王族は全てを奪われ排除されるのが父王様の慣わしです。ハーディアは完璧なのよ。あれほどの美貌、才能、そして処女でもある」


 ランバニアは自嘲気味に笑った。


「あれに比べれば、わたくしなど草臥くたびれた古着みたい」

「ランバニア様は例えようもなく美しいですが」

「アベル。お世辞はもっと上手く使うことね。ハーディアについて、お前がまだ何か隠していたら……許さない」


 執念深い毒蛇さながら絡み付いて来る王女の視線。

 恐怖に値した。

 アベルは固唾を飲む。


 もし、こちらの真の目的を見抜かれたら……終わりだ。

 やはりランバニアも、ただの女ではないと思い知る。


 迷宮から戻った後、ランバニアは手厚く歓待してくれた。

 極上の料理と酒。みずから酌までして。

 艶やかさが匂い立つような肢体を見せつけてきた。

 以前は奴隷に身を任すことなどないと言っていたが、強引に迫れば案外と許してしまいそうな想像をさせた。

 

 ランバニアは自分が磨き抜いた篭絡の技術に自信がある。

 死にかけるような危難に会った直後、あれほど優しくされたら誰でも懐柔される。

 その自信があるからアベルの嘘を見逃していた。

 だが、アベルにとっては価値のない、ただの惑わしだった。

 

 ジャバトが大声を上げる。


「こ、こいつを締め上げましょう! 俺に任せてください!」

「お前は口を閉じていなさい」


 ランバニアは冷ややかな視線でジャバトを見る。

 あれほど荒々しい男が、その一瞥で委縮した。

 まるで犬そのものだった。


「……アベル。ハーディアへの忠誠と愛情は失せましたね」

「今は悔しい気持ちしかありません」


 ランバニアは満足げに頷いた。


「父王様に政務の相談があります。今日か明日にでも王宮に向かいましょう。ついでにアベルの推挙をしてみましょう」


 推挙というならば、再びイズファヤート王を間近に見る。

 忘れられなかった。


 あの尊大を超えたような眼。

 王気としか感じようのない威圧感。

 暴力の究極形としか思えない姿と行動。


 現に王族らに命じ、数十万の軍団を操っている。

 数百万の臣民、数え切れない奴隷を支配し、夥しい人間を殺していた。 


 アベルは熱い息を吐く。

 ついに待ち望んでいた機会が来るだろう。

 


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