第128話  進むべきか、戻るべきか



 




 イースは歩く屍のような敵群を眺める。

 どいつもこいつも同じ表情をしていた。

 顔形はもちろん違う。しかし、おそらく感情がそっくり同じなので似たような人物に見えるのだろう。


 光神教団の従僕兵たち……およそ二千人だった。

 武器は粗末なもので、三つ又になった藁鋤などを手にしている者すら多くない。

 大多数は木を削り出しただけの木槍、棍棒、包丁などが道具だった。

 鎧を着けた者は皆無。

 木板で作られた即席の楯がいくらかあるが、あのような粗雑な代物は打撃が加わると簡単に壊れる。


 彼ら従僕兵と呼ばれる戦力は前哨戦のための消耗品だった。

 雑巾のような使われ方をされる。

 まず二級の戦力を敵にぶつけてから、次に神聖兵と呼称されている本物の戦力を送り込む。

 それが光神教団の基本戦術だった。


 光神教団は教祖ムシュアのため聖戦に身を捧げ、敵を殺せば、あらゆる罪は消えて清浄なる天界に行けると流布していた。

 逆に教団に従わず、教祖を信じなければ汚穢の冥界へ落ちるという。

 信者はそれを信じているらしい。

 

 イースには理解できないことだった。

 様々に想像してみるが、何も具体的にならない。

 どうして教祖の指示通りに戦ったり死んだりすれば、死後に安寧が得られるのか……。


 光神教団の信者は聖戦から逃げることが許されないのだという。

 死ぬまで戦うことが信心の証になる。

 同じく逃走を許さない組織として最たるものは軍だろう。

 軍には勝利という明快な目標がある。負ければ国は滅んでしまう。


 では宗教団体とは軍隊と同じであるのだろうか。

 分からない……。

 そもそも死んだ後のことなどまるで興味が無い。

 死後の世界があったとして、何か行動を変えることはないはずだ。


 光神教団の教祖ムシュアこそが神の一部だと信者たちは口を揃えて言う。

 イースは捕えた信者たちの言葉を思い出す。

 苦しみと穢れに満ちた地上を、美しい神の王国とするために全権能神が聖浄なる左腕を切り離してそこから生まれたのがムシュア様なのだ……。

 その証拠に強大な魔力をムシュア様は御身に湛えている。


 教祖ムシュアは天才的な魔術師でもあるらしい。

 魔力が高いと神に選ばれたことになるとも光神教団は言う。

 だから光神教団の司祭になるためには、最低でも魔素を感知する能力を持っていなければならないらしい。


 イースは光神教団へ襲撃を繰り返し、殺す前に司祭へ質問を重ねだが、いったい彼らのどこがどう神の代弁者であるのかさっぱり分からなかった。

 少なくともアベルの役に立つ教えではなかった。


 アベル本人に確かめたわけではないが……聞かずともそれくらいは分かる。

 教団に捕えられた人間を助けるなどしている内にイースは、彼らから凶悪犯として狙われるようになった。


 だが、ほどなくして光神教団と対抗している氏族連合がイースを戦士として雇いたいと申し出てきたのだった。

 そうして、この戦場にいる。


 イースが身を置く氏族連合。

 教団を相手に戦っているが、戦況は悪い。

 まず、数が違う。


 誇張されているのかもしれないが、光神教団の軍勢は神聖兵がおよそ五万人はいると噂されていた。

 さらに数すら分からない従僕兵がいる。

 膨大な数であるのは間違いない。

 

 比べて氏族連合は、光神教団の教義に異を唱えた者たちの雑多な集まりに過ぎない。

 戦士は一万人いるかどうか。

 戦う能力のない女子供が数万人はいるのだが、それは戦力にはならない。


 光神教団は氏族連合に対して信者となり教祖ムシュアに忠誠を誓うか、死んで「浄化」されるかを迫ってきていた。

 信者といっても教団における最下底の存在にされ、過重労働によって死んでしまうような鉱山や荘園で働かされる運命だった。

 答えなど決まっている。


 イースの所属している部隊は約五百人の規模だった。

 現在、土塁と空堀で防御された簡易な砦に立てこもっている。

 氏族連合は広範囲な領土を防衛するため、こうした小規模の砦に戦力を分散配置せざるを得なかった。


 光神教団の従僕兵が砦に近づいてくる。

 砦から弓と弩による攻撃は既に始まっていた。

 イースは矢の行方を追う。

 屍のような従僕兵が矢に当たって転ぶ。


 敵の前列に防御人員が出てきた。枝を束ねた物を抱えるように持っている。

 束に矢が当たると威力は大幅に減殺されてしまう。

 そこで今度は火矢が放たれ出した。

 空に炎が軌跡を描く。


 光神教団は戦闘に疎いのか、枝の束を水で濡らしておくという知恵が無かったらしい。

 火矢が命中するとほとんど焚き木と同等のそれが盛大に燃える。

 堪らず従僕兵が手放したところへ、無防備になった体に矢が命中した。

 常識的にはここで攻撃は頓挫するところなのだが、光神教団は普通の軍団と違う。

 死ぬと分かって、さらに進んでくる戦法を使ってくる。


 イースは薄気味悪いと感じた。

 勇気とは完全に別物な何かで従僕兵たちは接近してくる。

 従僕兵たちは教祖ムシュアへの讃歌を奏でていた。


 やがて千人以上の死者を出しつつ従僕兵は砦の全周を囲む。

 空堀のない、土塁のみが防備の地点に群がってきた。

 激しい肉弾戦、槍や刀の突き合い。


 たちまち屍の山が築かれるが、敵方から増援らしき集団が現れた。

 イースたちの防御している砦へ向かって、歓喜の突撃をしてきた。

 砦に慌ただしく声が響く。


「残りの矢が半分以下だ!」

「接近戦! 準備を整えておけ!」


 氏族連合の守備兵たちが土塁の内側から槍を突き出す。

 従僕兵の浮かべる奇妙な表情……まるで寝ぼけたような焦点の定まらない中年男の顔面に穂先が刺さる。

 

 イースは不満を感じる。

 まるで手ごたえのない、羊のような相手だった。

 しかし、そのくせ家畜とは違って弛緩した殺意だけはある。鍬や包丁などで襲い掛かってくるから気色が悪い。


 イースは怪訝に思う。

 こんなものが神の教えなのだろうか。

 これが教団の言うところ、神の王国とやらを造る聖戦なのか……。

 疑問の最中、従僕兵を統率する前線指揮官の姿が見えた。

 そうした指揮官級の人物は神聖兵と呼ばれている立場の高い者である。

 矢数が減ったのを好機と見たか、最前線まで進んで来たらしい。

 神聖兵が指令の声を上げた。


「倒れている者を空堀に捨てよ! 堀を埋めよ!」


 従僕兵たちが息絶えた信者ばかりか、瀕死で呻いている仲間もまとめて堀に投げ捨てていく。

 千人分を優に超える人肉は空堀をたちまち埋め尽くしてしまった。

 指揮官の神聖兵は勢いに乗じたか、ますます前進してきた。


「もはや戦えぬ者も堀に飛び込め! その身を教祖ムシュア様に捧げ、清浄なる天界に行くのだ!」


 イースは機が巡ってきたと確信する。

 奴こそ我が敵、奴こそ戦うに値する者!


 大剣を手に土塁の上に飛び乗る。

 それから、堀を埋めた数千人分はあろうかという屍の上に降り立った。

 無言のまま剣を振い、敵を薙ぎ払ってイースは一人、敵中を突破する。


 イースが手にしている大剣は遥か千年前に鍛えられた。

 銘、孤高なる聖心。

 歴史に名を残す名匠グウィンの作品に相応しい斬れ味だった。


 これまで数十振りの剣を使い潰してきたイースにしても、これほどの業物は知らない。

 長い両刃の剣身は芸術品のごとく優美、鍔は華麗な百合の花弁を模して造形されている。

 今は血を浴びて、赤黒い大輪の華が咲いているようだった。


 烈風のように振るわれるイースの大剣。

 手足が飛び、頭蓋が割れる。

 動脈から噴き出した血飛沫の中を押し通ってイースは走る。


 従僕兵たちを指揮する神聖兵の顔が間近に迫る。

 最前線で下級兵士に指示を出す、皇帝国で言うところの百人隊長や千人将にあたる者だ。

 

 目指す相手は髭を生やした、三十歳ぐらいの男。

 鏡のように輝く冑を被り、鎧の上から聖職者が纏う純白の祭服を羽織っていた。

 何の皮肉なのか、牧童が家畜を呼び集めるのに使う角笛を首に下げている。

 あの笛の音で、羊さながら従順に仕立てあげた信者たちを死に向かって前進させている。

 神聖兵の男は両手剣を持ち、血走った眼でイースを睨んできた。

 悪魔でも見つけた顔をしていた。イースへ怒鳴り声を浴びせる。


「光神様と教祖ムシュア様の敵め! 正義の裁きを受けるがいい!」

「なるほど。それがお前らの殺す理由か。私の殺す理由はお前らが醜いからだ。どれほど煌びやかな法冠と祭服で身を飾ろうとも、それは嘘を隠す偽装に見えるぞ」

「地獄に落ちろ、淫売めが!」

「お前らの正義と私の命。どちらが生き残るか、勝負だ」


 相対する神聖兵が詠唱を始めた。

 魔素の集中をイースは感じる。

 どんな魔術なのか察知するため、横に移動しつつ観察する。

 従僕兵が神聖兵の周りを壁のように覆う。

 肉体の盾というわけだ。

 単純な戦術だが効果は高い。


 神聖兵の頭上に炎が上がる。

 火魔術だ。怖気づいていてはかえって敵に機会を与える。

 イースは全力で接近した。


 強力な爆発を至近距離で起こすと術者自身が巻き込まれるため、様々な予防がされる。

 一つは魔力塊を遠くまで射出して、離れた所で爆発させる方法。つまり炎弾のような魔法。


 もう一つは爆発を伴わない炎の帯を噴き出すような魔術。

 イースは後者だと断定した。

 爆発させるには距離が近すぎる。


 もし失敗すれば全身が焼かれるだろう。

 死だ。それも惨たらしい、苦痛の極みに違いない。

 一瞬だけイースの脳裏にアベルが浮かぶ。


 神聖兵は一直線に突き進むイースへ魔法を発動。

 イースは最大限の力で横跳躍をした。

 着地と同時に前転して、さらに走る。

 火炎の渦が従僕兵も巻き込んで放射される。

 イースへ熱波が押し寄せた。

 体よ、前へ進め!


 イースが振り返ると炎に包まれた従僕兵たちが激しく地面を転がっていた。

 自身は無事である。火傷一つ負っていない。

 逆襲。


 再び急接近したイースは神聖兵を守る肉の壁を大剣で斬り捨てる。

 目標の神聖兵は狼狽えていた。敵は魔術の威力に怯えて逃げると確信していたらしい。

 さらに予想外。次々と従僕兵が撫で斬りにされていった。

 神聖兵は角笛を咥えて吹き鳴らす。


 砦を四方から攻撃していた従僕兵たちが笛の音を聞き、攻撃をやめて指揮官である神聖兵の元へ戻ってくる。

 イースは砦に逃げようか考えたが、あくまで神聖兵を攻撃することに決めた。


 光神教団の最大の弱点は上意下達を重視するあまり、指揮官級の人物がいなくなると全く判断力を失うところにある。

 特に最下級の従僕兵は、自分が何をすればいいのか分からなくなって棒立ちなるところをイースは何度も目撃した。

 かの神聖兵を殺せば、生き残る機会は残されている。


 ここで止めては意味が無いのだとイースは心に念じた。

 おのれの真の敵は何だ……。

 教祖ムシュアか。

 それとも、いつか出会った強敵たちか。

 そうではない。


 まず他者ではなく自分を超える。

 自分の中の弱さ、狡さ、不純さ。これらを殺さなくてはならない。

 不要なものを極限まで削ぎ落としたその末に……、もしかしたらアベルの求めていたもの「救い」が何なのか分かるかもしれない。


 剣術はおろか、初歩的な戦闘方法すら知らない従僕兵は敵ではなかった。

 雑草を刈り取るようなものだった。

 頭が割れ、首が宙を飛ぶ。

 凄まじい突入に誰しも驚愕するほかなかった。


 肉の壁を裂き、剥し、顔を真っ赤にして角笛を吹いている神聖兵にイースは肉薄する。

 相手は危険を察知し、笛を口から離して急ぎ剣を両手持ちにした。


 もうイースにとって神妙な剣界に神聖兵は包まれている。

 緩慢な相手の剣先、足捌き、全て見抜けた。

 イースは巻き上げ技を使って、瞬間的に相手の両手剣を自分の剣先で捩じり上げる。

 がら空きになった胴に飛び蹴りを入れた。

 鎧など意味をなさない。

 激しい衝撃に耐えられなかった神聖兵が仰向けに転倒した。


 慌てて立ち上がろうとしたところで、イースは大剣を一閃。

 頸部を守る板金ごと大剣を振り切る。

 頭がごろりと転がる。

 動脈から血が噴き出た。

 イースは首を掴み上げ、掲揚する。


「討ち取ったぞ! お前らの指揮者は死んだ!」


 角笛の音に寄せられてきた従僕兵たちが動揺していた。

 それまでは弛緩した顔つきのまま動いていたが、神聖兵が死んだことで怯み、慄く。

 悪魔と呼ぶ声、教祖の名を唱える叫び、意味不明な悲鳴が上がる。

 それは砦を取り巻く千人を上回る従僕兵に伝播していった。


 すると砦から鬨の声が響く。

 立て籠もっていた戦士たちが、一斉に反撃を始めた。

 死体で埋まった堀の部分から百人を超える、屈強な戦士たちが飛び出てくる。


 戦闘は一方的な様相になった。

 神聖兵が角笛によって集結の合図を出していたから従僕兵たちは攻撃を止めていた。

 そして肝心の神聖兵はイースに殺されて新たな指令は無い。

 呆然と立ち尽くす従僕兵を氏族連合の戦士たちは戦斧で殴り、槍で突き殺す。


 ようやく恐怖心を感じた従僕兵は、逃げ出していった。

 あくまで自分の考えを持てない者は、その場に留まり、ただ殺されるのを待つという奇妙な行動をとっていた。

 イースはそんな者は相手にしない。

 戦うに値しない。


 攻防戦が終わってイースは砦の守備隊から称賛を浴びる。

 流れを読み、瞬間の隙を突いて逆撃、そして敵指揮官の首を獲った。

 最大級の功績だった。

 部隊を束ねるベルトランという人間族の戦士が大声で労ってくる。


「イース! やはりお前は凄い戦士だ……! 惚れ直したぜ」

「相手は我々を疲れさせるために送られてきた従僕兵たち。戦士とも言えないものだ。機会が無いはずがない」

「しかし、砦を出て、身を危険に晒すのは簡単じゃない」

「光神教団の指揮官……。あれこそ敵だと確信した。躊躇う理由は無い」

「何にせよ、最後まで戦った奴だけが勝利を手にすることができる。もっとも負ければ命を失うが……現に生きているのは俺たちだ」


 イースらは砦に戻って再び戦いの準備をしたが、どうしたことか敵の後発攻撃が始まらない。

 従僕兵によって堀を埋めるところまでは成功していた。

 矢も消耗させている。

 あともう一回大規模な攻撃を仕掛けられると、守備している氏族連合は耐えられるか分からない。


 ところが絶好の機会なのに、後詰めにいると思われる神聖兵たちは姿を現さなかった。

 もともと後発行動は企図されていなかったのだろうか。

 しかし、それなら何故、従僕兵を消耗品のようにして砦を攻めさせたのか。

 理由が分からない……。


 守備部隊は一丸となって立てこもりを続けた。

 情勢は変化しないまま夕刻になった。

 堀を埋めている死体を退かす作業は徹夜で行われることになる。

 二交代で全ての人員が陰気な仕事に精を出す。

 再び死体を掘りに投げ捨てられると厄介なので、馬車に積載してわざわざ遠くまで捨てに行かなくてはならなかった。


 夜も更けてから料理が配られる。

 食べ物が悪いと士気に関わるため食事の質は良かった。

 豚の燻製肉や根菜の炒め物。パンなどが豊富に配られた。

 イースには特別な料理が与えられる。

 余分な脂身を切り落とした上等な肉や、香り高い葡萄酒。

 すでに酔っぱらったベルトランが親しげに話しかけてきた。


 彼の年齢は二十歳ほどだろうか。人間族の男でシャムマーク族という氏族に属している。

 族長の継嗣だというのだから、かなり高位の人物ということになるのだが、気さくすぎる性格だった。

 強いて言えばガトゥに似ているとイースは感じていた。


 ベルトランは茶褐色の毛髪を短く刈り込んでいて、いかにも歴戦の闘士を感じさせる強面だったが、イースに対しては終始表情を和ませる。

 そうすると大きな眼に愛嬌があって、意外と優しそうにも見えた。


 そのベルトランは、どういうつもりなのか最近ずっとイースに言い寄ってきた。

 素晴らしい女だとか、比類ない戦士だとか……。

 ついには自分の妻になってほしいと突飛な要求をしてくる。

 イースは妙なことになったと呆れたが、我慢できないほど不快でもなかったので放っておいた。

 ベルトランは炙って焼いた鳥肉に齧り付き、麦酒を飲んで上機嫌。

 陽気にイースへ話しかけてくる。


「光神教団なんか本当なら敵じゃない。あんな邪教徒ども。たまたま王道国や色んな地方で飢饉が続いているから、あいつらが力をつけているだけさ」

「教祖ムシュアはどんな男だろうか」

「魔力は強いらしいが……。神を名乗るとは不遜な男だ」

「我々は苦戦している。援軍がなければいつか完全に負けてしまう。もっと同盟は増やせないのか」

「諸氏族は元来、関係が悪い。簡単なことではないが……このベルトランなら束ね上げる自信がある!」


 明るく宣言するベルトランは法螺吹きじみていたが、まるきり嘘というわけでもない。

 連合の戦力不足には危機感を感じていて、方々の亜人氏族などに使者を送って同盟を呼びかけていた。

 今のところ良い返事は少ないが……。

 イースは提案してみる。


「いっそ皇帝国へ使者を派遣してみたらどうだ。ディド・ズマと皇帝国は仇のようなもの。光神教団とディド・ズマは協力関係にあるようだ。上手くすれば味方にできるかもしれない」

「皇帝国は悪い国だ。外の人間や亜人たちを差別している。イースだって騎士を辞めたんだろう」

「別にそれが理由じゃない。それに皇帝国にも訳があっての差別だ」

「……どんなだよ」

「亜人界から勝手に様々な者たちが越境しては街や畑を荒らす。属州とは戦争をする。それでは皇帝国も黙っていられない」

「それはウェルス皇帝が悪い皇帝だからだ。俺たちが飢饉で困っているのに助けてくれないから仕方なく盗ってしまうだけだぜ。飢え死にするぐらいなら余っている分だけ持って行って何が悪い。属州との戦争にしても我らにとって長い遺恨あってのこと。無関係の皇帝国に口出しされる謂われは無かった」

「……」

「だいたい皇帝国はお終いだと思うぜ。ウェルスが死んで次代すら決まらないというじゃないか。皇帝国ってのはもともと諸族を統べる皇帝の国という意味だったんだろ。それなのに肝心の皇帝が決まらないとは全く笑い種さ。しかも、王道国に負けている」


 イースは会話を止めて、ベルトランや部隊幹部たちの議論を黙って聞き続けた。

 皇帝国は亡きウェスル皇帝が指示した一国主義的な政策のせいで亜人界の諸氏族から評判が悪い。

 それに対して王道国は亜人に対して差別政策をとっていないが、かといって亜人界の諸種族に好意的というわけでもなかった。

 むしろ、凶悪なディド・ズマを手懐けているのだから油断ならない。

 結局のところ亜人界の多様な勢力は、強力な連合も組めないまま光神教団に圧迫されている。


 イースとベルトランのもとには、砦の強者が集っていた。

 鉱人氏族のビア・デア。

 老齢の魔術師ランゴバル。

 女戦士のオルフェミは男勝りの肉体を誇っている。


 それぞれ湯気の出る臓物の煮込みだとか牛の心臓など、ご馳走に舌鼓を打っていた。

 それに酒を大量に飲む。

 うんざりするような戦いに死体処理までやり遂げたとなれば、あとは飲むより他にやれることなどなかった。


 暗い話題は尽きない。

 戦乱に加えて、いまイースのいる亜人界のウルグスク地方で竜が暴れていた。

 悪名轟く邪竜。黒鱗火炎ノ蛮竜である。


 ここのところ頻繁に魔獣界の深い森から姿を現し、人界に入り込んで村を襲っている。

 理由は捕食であった。

 見つけた人々を貪欲に貪っているという。


 強大な、かの邪竜に対抗する者はいない。 

 食事が終わると深夜、ベルトランは再びイースを口説いてきた。


「なぁ、イース……。俺の妻になってくれよ。お前ほど美しく強い者は見たことが無い。俺と結婚すればシャムマーク族の半分はお前の物だぞ。身の回りの世話をさせる奴隷なら二十人は必ず付ける。家畜は羊が五千頭だ。広い家もあるし、上等な狐の毛皮も用意する。蜂蜜だって毎年樽に一杯だ。このベルトランは約束を守る」

「すまないが、全て興味が無い」

「……」


 ベルトランが苦虫を潰したような顔をしていた。

 それから頭を掻いて思案げにする。


「ベルトラン。私に言い寄るのはそれぐらいにして他の女のところへ行け。すぐそこにもお前を心配している様子の女がいるな」


 ベルトランはそちらへ視線を向けて複雑な表情を浮かべた。

 そこには同じシャムマーク氏族の女性がいる。

 リピンという名の若い娘で、ベルトランとは浅くない関係だったらしい。

 詳しい事情をイースは知らない。関心もなかった。

 ただ、物陰からじっと見つめられていれば嫌でも気が付くというものだった。


「あいつは……いいんだ! 妹みたいなもんだった」

「私は食事が終わった。あとは休みたいから放っておいてくれ」





 イースはベルトランを置いて砦の隅にある小屋の屋根に登った。

 満月を眺めながら、自分の心の内を探る……。

 今日また百人は下らない数の敵を殺した。

 しかし、少しも成長した気がしない。

 敵に不足がある。

 それ以上に、自己にはもっと深い迷いがあった。


 やはり激しくアベルを求める気持ちが存在していた。

 引き裂くように別れた時は互いに依存する関係を斬って捨てたつもりだった。

 あのままでいれば、まるで二人して狭い檻の中に閉じこもるようなものだ。

 広さと厳しさだけが己の心技を成長させると、何度となく自分を叱咤した。

 しかし、後悔に近い想いが粘ついていた。


 今から皇帝国へ戻りハイワンドを訪ねればアベルがいるかもしれない。

 たとえ居なくとも行き先ぐらいは判明するか。

 もし、この気持ちのまま再会したのなら、もはや自分はアベルに跪いて許しを乞うぐらいしかできない。


 自分は到底、師の器ではない、まして救いとはどうしたものであるのか不明であると伏して告白する。

 ただの奴隷女としてアベルに仕えさせてくれと懇願するに違いない。


 この上もなく甘美な誘惑だ。

 今ひと時ある仲間たちや光神教団など、全て捨てて去ってしまっても良いと思えてしまうほど……。


 もともとハイワンドに雇われていたのも、祖父と父ヨルグが属していたからにすぎない。

 騎士という立場に程好い感覚があったのは確かだが本当に忠誠心があったかと自問すれば、極めて曖昧だった。


 他にすることが無かったというのが真実だ。

 無為に過ごすよりは、それなりの遣い手がいる騎士団にいたほうが修行になった。

 皇帝国で亜人の血を引く者がまともに扱われるには、騎士という身分が必要だった。

 いつの日か父ヨルグが妄念を乗り越えてくれるかもしれないという、小さな期待。

 せいぜい理由と言えばそんなところだった。


 祖父と父を度外視してしまえば皇帝国に拘る必要など一つもない。

 ひたすらどこまでも、心を探す旅を続ける他はないはずだった。

 なぜか、この地上に命を授かったのなら出来るだけ自分を研ぎ澄ましたい。


 長生きなどしなくていい。

 歴史に名を残せば偉人であるのか。

 そんなことはないはずだ。

 動物と等しく、名も無き者として野垂れ死にで充分だ。

 


「私は神や皇帝に見出されなくていい。むしろ無視され見捨てられたい。それより死ぬまで自分の足で歩き、自分の目で確かめたい」


 だが、それとは矛盾するアベルへの想念。

 この傾倒した心理を言い表す言葉は、やはり、愛なのだろうか……。

 躊躇いがある。

 愛などと、分かったように一言で割り切りたくなかった。


 別れ際にアベルは救いを望んでいた。

 大きな謎だ。

 あれほど独立した確固たる心の持ち主が……どうして救いなどに執着しているのか。

 だいたい救いとは何だ?


 イースは考えれば考えるほど困惑する。

 アベルの激しい欲望、時に垣間見せる周囲の人間を皆殺しにしそうな倒錯した気配。

 何故か自分に向けられていた、神聖なものを見る視線。


「私が清らかだとか、穢れが無いなどと……、そんなわけがない。これほど殺生を重ねた私が。それなのに、どうしてアベルは……」


 答えの出ない夜は深まっていった。

 そして、明け方。

 西の空が煤けている。

 それほど遠くない地点で大規模な火災が起こっているようであった。

 派遣した偵察隊はしばらくして戻ってきた。


 後方の、女子供を避難させていた街が光神教団に襲われているという。

 ベルトランや部族連合の幹部たちは短い協議を終えて、砦を放棄することにした。

 後方を遮断されてしまっては絶望的な籠城になるだけだ。

 しかも守るべき家族が襲われていては防御の意味が無い。


 約五百人の戦士たちは慌てて準備をする。

 昨日の砦への攻撃は陽動作戦だったらしい。

 光神教団の本隊は迂回路を進んで街を襲った。

 だから砦への攻撃は中途半端だったのだ。


 イースは最先鋒を務めた。

 林と原野の交じりあっている風景。

 数種類の鳥の鳴き声がしていた。

 季節は夏の手前なので植物たちに勢いがある。

 踏み固められただけの道から外れて行軍するのは不可能だった。


 敵の姿は見えないまま街に着く。

 街と言っても村を大きくしたようなもので、城のような建物はない。

 土壁と木材で造られた家が連なる田舎の街であるはずだった。


 長閑な景色は一変している。

 全ての家は放火され、至る所で人が倒れていた。

 血塗れで、全身を槍や剣で突き刺された惨い姿。

 酷い者になると顔が刃物で刻まれていた。文様めいた傷跡である。

 光神教団が悪魔祓いと称して行う儀式の一つだ。

 教祖ムシュアを罵った者には例外なくこの虐待を行うという。


 土着の神を祀っている神殿は特に火災が激しい。

 ご丁寧に薪で回りを囲み、油まで注いで火をつけたようであった。

 戦士たちが叫びつつ家族を探して走り回る。


 イースは疑問を感じる。

 光神教団のやることは理解しがたい。

 戦いに勝つためには、まず相手の軍団と戦って勝利しなければならない。

 老人や女子供を襲ったところで戦争に勝てるわけではない。

 というよりも支配するべき民間人が失われては戦争の意味がなくなってしまうのではないか。


 光神教団の聖戦とやらはこういうところが不気味だった。

 どれだけ家族を探しても見つからないわけが、やがて判明した。

 イースやベルトランは瀕死の老人のしわがれた声を聞く。


「やつら……女子供、赤ん坊まで神殿に閉じ込めて……火を……、激しく燃えて中から悲鳴が聞こえると……奴ら拍手喝采をしおった。笑って、善行積んだと讃えあっていた」


 戦士たちは怒り狂う。目を血走らせて吼えるように声を上げた。

 イースの五感は異変を察する。

 大勢の人間が歩く音がした。

 街の外からだ。

 確かめるべくイースは駆けるが、矢の飛んでくる音が正体を明かしてくれた。


「矢が来るぞ!」


 驟雨のように矢が空から落下してきた。

 イースは大剣で矢を払う。

 街の周縁部に光神教団の軍団が姿を現していた。

 盾を持った戦列が作られつつある。

 ベルトランが大声で指揮を執る。


「敵を突破して西に逃げる。さぁ、戦列を作れ!」


 怒りに震える男たちが横列を作るや突撃をする。

 敵は従僕兵ではなく、教団戦力の中核をなす神聖兵たちであった。

 武器が優れている。

 長方形の大きな盾と槍。

 体には青銅の小札を合わせて作った鎧を装着している。

 

 声を合わせて聖歌を怒鳴るように歌っていた。

 教祖ムシュアを神と讃え、善行を積み、清浄なる天界へ行こうという絶叫のような歌。


 イースは微笑する。

 大剣を空へ掲げ、敵に向かって走り出した。





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