侍が昼日向に街中を歩くことは、ままある。

太郎と昭子と違って侍は元人間で元幽霊なのだ。昼間の太陽を体いっぱいに浴びたくなるときもたまにはあるのだ。

陽のにおいも嗅ぎたいし、空気の暖かさも肌に感じたい。それに、長く霊としていすぎたせいもあってか、侍は己でも知らぬうちにふつうに生きている人と話せるようになっていた。

とはいえ、侍が望めばその姿が見えるようになり、望まなければ見えないといった調子のよい塩梅だ。

侍は死んでからも運は持っているのであった。


太郎も昭子も江戸の時代に妖怪として生まれた妖怪のサラブレッドだったが、侍に至っては少し事情が違っていた。

侍は死んでからもなお、遊びに興じた、根っからの遊び人であった。

死んだんだから金はかけずに賭場に入り浸れると思いついた侍は、すぐさま馴染みの賭場に入り込んだ。

最初こそ客と一緒に賭け事に興じていたが、何やら息のかかった客しか勝つことができないと知るや、その証拠集めに走るようになった。そこで見つけたのがイカサマだった。

かつて自分もこのイカサマの標的にされて身ぐるみ剥がされ殺されたとわかると、どうしてもこいつを殺してやりたいという衝動にかられたものだ。

しかしそこは生まれながらにしての、お気楽能天気、いくつになっても永遠の放蕩息子だ。悩んではみたもののどうにも取り返しがつかないんだとすとんと腑に落ちると、一晩だけは怒りに身をまかせることにして、一度眠って次の日に起きれば、昨日の怒りは昨日のことと、すっかりと忘れきっていた。


だったら今度は生きている間にできなかったことをしよう。と思いつき、日本全国津々浦々、北は北海道、南は九州まで旅をしてみようじゃあないかと思いたったのである。

北海道だったら冬だ。海の幸、魚介類も身が締まり、質の良い脂ものっていて美味くなる頃だ。行くなら冬だ。

いや待て待て、下関の河豚も捨てがたい。河豚刺しを箸でこれでもかというほど挟んで一気に食ってみたい。そこにキンと冷えた冷酒がありゃあ、幸せに体が溶けるであろう。さりとて熱燗に鍋も捨てがたい。さて、いかにしたら同時期に旬のものが食えるであろうか。と、丸一日座り込んで考えに考えを巡らせたこともあった。結局。

まず冬までに北海道へ上り、そこから一年かけて下へ降りるという計画を立てた。そうすりゃ一年後の冬には河豚にありつける。

宿もその土地で一番いいところに入り込み、一番いい部屋に勝手に泊まってみた。しかし一人じゃ寂しい。一番いい部屋に泊まりたくてもそこに誰もいないときには次にいい部屋に泊まっている人に着いて行き、ちゃっかりお邪魔して寝たりもした。

当初の予定では一年であったが、死んでしまえば時間も何も関係ない。結局何十年もかけて日本を一周二週三週と周っているうちに等々成仏できないくらいの年月が経過してしまったのである。


死んでからでさえも親に会わす顔もないので親元へは一度も帰っていない。もちろん弟にもどの面下げて会えばいいのか気がひける。実家をうまくかわしてふらふらと風来坊になっていたのだ。

しかし、そろそろ両親も弟も死んだだろうというほどに年月が過ぎたとき、興味本位に実家を訪ねたのであった。

そこで目にした光景に侍はへなへなとその場に尻をつけることになった。

目の前には懐かしい実家、大繁盛をしているはずであろう大店があるはずであった。見覚えのある立派な大店が佇んでいるはずであった。しかしながら目にしているところには懐かしい大店は跡形もなく無いのだ。

大店があったはずの場所は、なんと、道路に変わり果てていたのである。


丁度三叉路に広がった道に変わり果てていた。

自分の生まれた家がまっさらになって消えていた。

いつからこうなったのか、まるで検討もつかない。

親戚縁者がどこぞにいるのか聞きたくとも、なぜだか聞きたくないという気持ちも相まっていた。そのことにはふんわりと布を被せて見ないふりをしてきたのだ。

当初はまだ人には自分が見えないし、話しかけても帰ってくることばはなかった。

ここは一つ期待はしていないが、イタコと呼ばれる死者と話のできるという胡散臭い商売をしている老婆のところに出向いてみた。

しかし、目の前で繰り広げられていたのは、眉唾を絵に描いたようなお粗末なものであった。

子を幼くして無くした母親が我が子と話したいとやってきていた。

イタコの老婆に乗り移ったという子の霊と話をしているというものであった。

侍はそんな老婆を残念な目で見、子を失った母親に目を戻すと、その女はたいそう金持ちの妻であろうことがわかる身なりをしていた。

生前の己と重ね合わせ、なるほどと一つ大きく頷いた。

泣きながらに話す女は、老婆の嘘八百をまるっきり信じ込んでいる風であった。

侍はどこぞに子の霊がいるのかと辺りを見回してみたけれど、侍の他に霊らしきものはいなかった。むしろ、霊である侍すらこの老婆には見えていないのである。

期待した希望がなくなったので、早々に老婆の家を後にした侍は、今一度三叉路に引き寄せられるように戻った。

そして、実家がどうなったか聞く術がないことを己に叩き込んだ。根拠のない『大丈夫』にたかをくくっていた己に非がある。これは己の失敗であると強く言い聞かせた。ところで。


これはまいった。とお茶目におでこを叩いたのである。

こうなっちゃあどうしようもねえ。うん。仕方がねえ。と開き直った。

それならば旅を続けても誰にももんくは言われやしないだろう。よし。

今までの旅路で特に気に入ったところを再訪するという旅を計画し、旅路についたのだ。上は青森、下は山口までの本州に絞って行動したという、やはり死んでからも根っからのどうしようもない楽観主義を地にいく放蕩息子なのであった。

そんなこんなで数年の後、再度実家のあった三叉路に戻ってきたときに、昭子と太郎に偶然ばったり出会ったのである。


昭子と太郎もこの世に飽き飽きしていた頃であった。

そこに人見知りをしない侍が、己が見えていることに感動し、話しかけてきたものだから鬱陶しい。半ば面倒臭がる二人をあの手この手で説得し、三人で何かしようという話に引き込んだのであった。このとき既に二人は人じゃあないということを侍は知っていた。

昭子は紅色の綺麗な着物を着てはいるが、雪のように白く、同じように白い目をみりゃわかるが、見たまま、雪女そのものだったし、太郎は粋な格好をしていたが、後ろに隠すことなく炎を纏っていた。

実は、侍は太郎の知らぬうちに全国あちこちで太郎に何度も出くわしていた。

太郎の仕事っぷりには身震いをするほどの怖さがあったのを覚えている。

悪事はしてきたが、太郎に出くわさなくて良かったと胸を撫で下ろしたこともあった。

そんな恐ろしい太郎が今、己の目の前にいるのだ。この機会を逃すまい。好奇心いっぱいだ。なんとかしてこの二人の仲間に入りたい。そう思って、侍お得意のあることないこと面白おかしく最大限に膨らまして話し始めたのだ。

話を聞いているうちに昭子と太郎の顔にも、こいつは面白い奴だという字が顔に浮かび上がって見えるほどに興味をそそられていた。


それじゃあ、この世に彷徨っている霊を助けてやるってのはどうだろう。俺は長旅をしてきてそういう彷徨える霊をたくさん見てきた。この世にとどまってるのがたっくさんいる。という、霊助けの案を口からのでまかせに言ったのが引き金となり、それじゃあこの懐かしの三叉路に家を構えて夜になったらここに集まって三人で仕事と決め込もうじゃないかと話がまとまったのであった。

もちろん侍は家なんて建てられない。なので、

「俺の実家がここにあってな、それはそれは大店で誰もが知っている店だった。今はまっさらだけどな。できりゃあここに家が欲しい」

と、己の実家の自慢を始め、己の希望を述べたのだ。

そうかい、だったらここに我らの家を置こうじゃあないか。そこを拠点にその面白そうなことをしよう。闇夜に紛れて集まろうじゃないか。

太郎の一言で話がまとまった。


侍は初めて集まったときにこのこぢんまりとした家を目にして、なんだこれは? 俺の実家はこんなちんけな家じゃあないぞ。大店だったって言ったじゃねえか。ともんくを言ったが、「三人しかいないんだ。これで十分だろうが」と昭子に切り捨てられた。

太郎は、「俺は料理が得意だから、なんでも作ってやるぜ」と出刃包丁をぎらつかせた。侍はそれを見て、襟元で首を隠したりもした。これは刃物を見るとついついやってしまう癖であった。昭子は、「まあ、料理を作ってくれるのは嬉しいが、太郎の料理は美味いからねえ。でも、作るのは食べ物だけにしとくれよ。じゃ、あたしは気味の悪い霊が来たら迷わず凍らせてやるさ。それに、女の霊が来たときに綺麗な女がいたほうが何かと安心もするだろう」と自分の役割を決めた。

「それじゃあ、俺が彷徨える霊を連れてくるぜ。どうやって死んだのかを肴に一杯やろうじ

ゃあないか」

と侍が胸を張れば、あんたもいい趣味をしているねえ、と昭子と太郎に気に入られて仲間になった。

そんな馴れ初めがあっての三人とこの家なのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る