(2)「僕だって、強くなりたいんだ!」
王都ヴィンツェンツィオ、雑踏。
「――ってェな、気ィつけろ!」
「は、はい! 済みません……」
僕、ウィリアム・ウィリアムズは、頼りない装備で身を守りながら人混みになすすべもなく流されているところだった。
こっそりと、漏れそうになった溜め息を噛み殺す。
……こんなはずじゃなかったのに……。
ローズブレイド王国。それが、僕が生まれ育った国の名前だ。
資源が豊富で、戦争とは無縁。人びとは基本的に温厚で、治安も悪くない。
もちろん、さっきぶつかっちゃった相手みたいに少しばかり荒っぽいひとはいるけれど。
何の問題もなさそうなこの国も、実はいくつかの問題を抱えている。
内の一つが、今、僕の眼の前にいる。
「……よしよし……お前、そのまま動くなよ……」
王都、路地裏。
僕はやっとの思いで追い詰めたそいつを前に、ぎこちなく身構えた。緊張でどきどきする胸を必死に宥める。
対峙するのは僕と相手だけ。邪魔者はなく、完全な一対一。
僕は木の棒よりはちょこっとだけマシという程度のぼろぼろの剣を正面に構えて、そいつに相対する。
猿の顔に兎の耳と足をくっつけたような生き物は、
キキッ、と僕を馬鹿にするように一声鳴いて、近くの果物屋から盗んできた林檎にこれ見よがしに齧りついた。
「あぁっ」
悲痛な声を上げる僕を前に、しゃくり、しゃくり、と二口三口。大口を開けて、それは美味しそうに食べている。
「や、止めろって!」
今さら取り戻してもどうにもなりはしないだろうけれど、僕はそいつに近寄って棒きれ寸前の剣を振り回した。もちろん頭上から降ってくる刃物に相手が何も反応しないわけはなく、あっさりと避けられてしまう。
「こらっ、待て!」
僕の頭に器用によじ登って髪の毛を引っ張ってくる猿? 兎? を、手でぺしりと叩く。あ、当たった!
「キイッ!」
痛そうな声を上げて、猿の魔物が地面に落ちた。転がる林檎を横目に、もう一度剣を振り上げる。
そいつは体勢を整え終わっていない。今度こそ!
「悪く思うなよ! ――あ、あれっ」
魔物を確実に倒すはずだった一撃は、当たる寸前に不自然にぐにゃりと曲がって小さな体の真横に直撃した。一瞬の隙をついて、林檎を拾いもせずに相手が逃げ出す。
呪いが発動したのだ。
「ああぁ、逃げるな!」
遅かった。そいつはあっという間に壁を駆け上がって、僕の追いつけない向こう側に逃げて行ってしまう。
路地裏には、呆然とする僕と、林檎だけが残された。
一気に脱力して、がっくりと肩を落とした。剣をしまって、林檎を拾って砂を払ってやる。
当然、あいつの食べさしの林檎なんか、もう二度と売り物になるわけがない。
「――勇者さん!」
声をかけられて、僕はびくりと肩を震わせた。振り返れば、今回の依頼者である果物屋の主人が路地裏の入り口で様子をうかがっている。
「どうです? あのにっくい猿もどき、懲らしめてくれましたか」
「……済みません……」
僕が林檎を差し出しながら首を振ると、主人は大げさに嘆いて見せた。
「ええ? 参ったなあ。最近、あいつが近くに住み着いちゃってずっと困ってるのに……」
がりがりと依頼者が頭を掻くのを、僕は首を竦めて見守った。ややあって、主人が溜め息を吐く。
「そんなんじゃ依頼完遂料は出せませんよ。前金は渡してあるし、もう良いでしょ。別の勇者に頼みます」
「……はい……」
あっさりと見切りをつけられて、僕は尻尾を巻いて退散するしかなかった。
ローズブレイド王国の抱える数少ない問題の一つが、これだ。魔物の存在。
豊富な資源と温厚な人びとのいる環境を下地に、王国内で魔物は急速に繁殖した。他の国にだってもちろん魔物はいるけれど、ローズブレイドほど多くはない。
魔物と言ったって弱いやつはちょっと知恵をつけた動物と変わらないから、王国を揺るがすほどの問題ではない。けれど先ほどの果物屋みたいに、迷惑をかけられることはある。
そういうときの便利屋が、僕たち『勇者』と呼ばれる職業だ。
『勇者』は日常の魔物による困りごとを、依頼者から直接、あるいはギルドを通して依頼を受けて解決する。困りごとじゃなくても、魔物の皮やら肉やら爪やら、もしくは魔物そのものを商売道具にしたいからという理由で受けることもある。
『勇者』は儲かるし、上手くいけば有名になれるから、王国の子どもたち憧れの職業だ。危ない依頼を引き受けなければ、そうそう命の危険に晒されることもない。
「僕も、憧れたんだけどなあ――」
子どもたちの憧れる、『勇者』様に。
現実の厳しさに、しょんぼりと項垂れた。もちろん、有名になれる何人かの勇者たちの影には、どんなに努力をしても報われない勇者たちがいることも判ってはいたけれど。
僕は、転生前の世界で言うところの『転生者』だ。
この世界に生まれ落ちた瞬間も、子どもの頃も、そりゃあとてもわくわくした。
だって、強くなれると思ったんだ。漫画やアニメで見た、格好良いヒーローになれると信じて疑わなかった。
僕に、絶望的に戦いの才能がないばかりか、魔術もろくに使えないと判明するまでは――。
おまけに妙な呪いにまでかかってしまっていて、泣き面に蜂とはこのことだろう。
『――苦難を乗り越えて誇り高き勇者になれるよう、三回に一回攻撃が当たらないようにしてやろう!』
僕を転生させた、謎の声を思い出す。やっぱり何度考えたって、これは祝福ではなく呪いだと思うのだ。
それでもどうにかこうにか十四歳で勇者の資格を取って、はや三年。
僕は以前の『僕』が死んだ年齢になった。
いまだに依頼の一つもまともにこなせないし、田舎の家族には心配をかけっぱなしだし、そろそろ本格的に進退を考えなければいけないのだけれど――。
「諦めたくないなあ……」
ぎゅっ、と頼りないおんぼろ剣を握りしめる。
この剣だって、両親が必死に働いて『勇者』合格祝いに買ってくれたものなのだ。剣は安い買い物ではない。
肩を落としていた僕にその声が届いたのは、本当に偶然だった。
「――『勇者』に王様からのお触れだよ! 一攫千金のチャンスだよ! ……」
気づけば路地裏から雑踏を過ぎて、王都を両断する川の近くまで来ていたらしい。橋の近くで、伝令が王様からの布告を報せているところだった。
ふらふらと近寄って、大きな看板に眼を止めた。突貫で作られたのだろう看板に並ぶ文字列が、僕の意識をあっという間に奪っていった。
視線と同時、口で読み上げる。
「第一のお姫様を助け出せれば――」
第一のお姫様。その存在を、僕は知っていた。
何年も前に賊に攫われたきり、ずっと行方知れずになっているこの国の長姫だ。
ときおりどこそこにいるらしいという噂が立っては、そのたびに王様が救助を差し向けている。しかし、いまだに王都に連れ戻せてはいないらしい。
最後に王様が軍を動かしてから随分と経ったから、てっきりもう諦めてしまったものと思っていたのだけれど。
どうして今、いきなり第一のお姫様なのだろう。考えながら、続きを読み進める。
「何でも願いの叶う魔法の宝箱が下賜される――」
読み上げた瞬間、天啓のように閃いた。
これだ!
「あの、布告書をください!」
布告は看板で伝える他に、紙でも配っているようだった。無我夢中で人混みをかき分けて詳細が書かれた布告書を受け取る。
何度も何度も読み返して、僕はじわじわと湧き上がる期待に震えそうになる手を握りしめた。後ろから誰かに押されそうになって、慌てて中心から抜け出す。
進退のことはいったん忘れよう、と思った。もう少しだけ、もう少しだけ頑張ってみよう。
魔法の宝箱があれば、きっと呪いが解ける。
せめて呪いが解ければ、僕だって今よりも立派な勇者になれるかも知れない――憧れた、ヒーローに!
「僕だって、強くなりたいんだ!」
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