17 敵地潜入

 南部と北部の境、翼でもなければ飛び越えられないほどの高さの壁がそびえる。

 メイン通りの正面に唯一の出入り口である門が大げさに立っていた。門兵が五人もいるのは毎度のことなのだろうかとプルートは疑問に思う。


 教会への入り口ならまだしも、ここは街の入り口だ。凶器を持ち込みさえしなければ、出入りは自由のはず。

 もちろん凶器を持ち込むつもりのプルートは、メイン通りからはずれた小さな通りから様子を窺っている。大きすぎる剣はあまりに目立っていて、どんな間抜けな門兵でも見逃すことはないだろう。元より門から入る気のなかったプルートにはどうでもいいことだったが。

 さて、と呟き、袋から荷物を取り出そうとした時だった。


「……バレてたのか」


 呟くプルート。

 背中越しに立っていたのはアイリだった。


「ま、こんなことだろうと思ってたからな。お前ほどじゃなくても、人がいなくなった気配くらいは分かるさ」


 あくびをかみ殺しながらアイリはプルートに近づく。


「全く、やってくれるよ。ついさっき二人で乗り込むって話だった気がするんだけどな」


「やっぱりお前らを危険な目には合わせたくなくて、な。できれば一人で解決したかった」


 バツが悪そうにプルートが答える。


「ったく、自分勝手なやつだ」


「あんたもね」


 声に驚いて振り向いたアイリの目線の先にリオがいた。笑顔を浮かべてはいたが、怒っていることくらいは分かる。


「……あれ? リオさんもずいぶんお早いお目覚めで……」


 そんな顔のリオを目にしたら二人は汗を頬に伝わらすしかなかった。


「揃いも揃って私を起こさないで行くなんてね。覚悟は出来てるんでしょーね?」


 仕方ない。潔く殴られよう。いくらなんでも、足腰立つ程度では済むだろうとアイリは覚悟した。が、そんなことにはならなかった。


「……何も言わない、なーんていってたけどまさか乗り込む時まで言わないで行くとは思わなかったわよ……」


 言ったリオの顔は見たことのない寂しげな表情を浮かべていた。


「すまない……」


 たまらず謝るプルートの言葉を聞くや否やリオの顔が正反対に転がる。


「許してあげるわ。今度置いてったりしたら……、三日は立てなくしてあげるからね!

 いくら私だって何もしないで五十万も報酬もらったらさすがに気が引けるんだから」

「……あれ、五十万だったか?」


「さ、人間お金を稼ぐには働かなくちゃ。張り切って行くわよ! 五十万のために!」


「なあ、金額増えてないか?」


 もちろんリオにそのプルートの声は届かなかった。

 あらためて壁を見上げると到底超えるのは無理なように思える高さだ。意気込んでは見たものの、結局ここで引き返すことになるんじゃないかとアイリは思った。


「それでプルート、あんたどうやって忍びこむ気だったの?」


 リオも思いは同じだったようでプルートに尋ねると場にそぐわない様な調子で答えが返ってくる。


「任せておけ。これだ、持ってて良かった鍵縄!」


「「……」」


 予想外なアイテムの登場にリオもアイリも声が出なかった。


「見たところ門の前に兵は多いけど他の壁にはほとんど配置されてないからな。こいつで一発だ」


「確かに有効な道具だろうけど、まさかそんな方法だとは……」


「優れもんなんだぞ、こいつは。今までこれ一つで盗賊のアジトから、でっかい城までどこでも侵入してきたんだからな」


「なんで城なんかに……」


 いや深く聞くのはやめとこう。アイリは開きかけた口を閉じた。


 鍵縄は思った以上に使える道具で、こんなことで警備は大丈夫なのかと思うほど簡単に北部の街の中に入ることを可能にした。時間が時間だが、南部ではちらほら聞こえた人の声が北部ではまるでしない。


 メイン通りこそ魔術の外灯で明るかったが、一本でも道を外れれば光はほんのわずか。この暗闇なら少し注意すればそうそう携えた凶器が人の目に映ることはないだろう。


 真っ暗の中歩く北部の街は、荘厳を通り越して薄気味悪かった。建物は年季が入っていたが、がっちりとした作りで外部の人間を寄せ付けないかのように見える。少なくとも気軽に入れるつくりではない。


 三人は教会を目指し小走りに夜の街を行く。朝になれば受ける印象が変わっていることを走りながらアイリは願った。


 出し抜けにプルートが止まる。上げかけた声をアイリは慌てて押し戻した。ぎっしりと立ち並ぶ家々と大きすぎる教会のせいで遠近感を失っていたようだ。

 見ればいつの間にか教会にほど近い路地まできていた。


 北部の街への侵入を拒む壁よりはいくぶん背が低かったがそれでも軽々超えられる高さではない。それにもっと厄介なのは周囲をうろつく兵士。


 先ほどの門兵と制服も違うが立ち振る舞いも違う。おそらく正規軍だろう。アイリがそう考えていると押し殺した声でリオが話し出す。


「あれは聖堂騎士団ね。ロギンも言ってたけど、ドリス親衛隊って言えば優秀で有名よ。

中でも史上最年少で初の女性隊長が鬼人のごとき強さらしいわ」


「しかし、この数はおかしくないか?」


 先ほどの南北の境界でもプルートは見張りの数が多いと感じたが、この大聖堂においては門どころか周囲の防壁にも一定間隔で兵士が配置されている。


「たぶん警戒されてるな。オレ達のせいかどうかは分からないけど」


 自分達がバジル達の正体を教会だと検討をつけたことは知られてないはずだが、考えれば分からなくもないことだし、ただ念のためかもしれない。それどころかもしかしたら全く関係のないことで増員されているのかもしれないが、今重要なのはこの事実でありこの状況だ。


「どーやって壁を超えるか。鍵縄でもいいけど、あんまりちんたらやってると見回りの兵に見つかりそうだな」


 アイリは顎に手を置きながら考える。


「あの程度なら飛べるだろう?」


「飛べねーよ!」


 いくら先ほどの壁より低いとは言え飛び越えるのは無茶な高さ。あるいはプルートなら飛んでしまうのかもしれないが。


「そのまま飛ぶんじゃなく、オレを踏み台にすれば飛べるだろう?」


「そーいうことね。それなら飛べるだろうけど――」


「じゃあ行くぞ。オレが手を組むからそこに足をかけろ」


 まだ言葉を紡ごうとしていたリオを押しのけ、プルートが行動に移る。確かにあまり時間をかけていれば離れているとはいえ、見つかってしまう可能性はある。

 方法が見つかったなら素早く動いた方がここは得策だろう。


 プルートは二度三度左右を確認すると一度だけこちらを見て目で合図した。音に気を配りながら路地から勢いよくプルートが飛び出し、やや遅れてリオ、アイリと続く。

 壁までたどり着くと、振り向いたプルートは壁に背を預け、手を組む。二人はそれを足場に飛んだ。ポーンという音でもしそうなほど、思ったより簡単に二人は壁の上へと上がれた。


 プルートがタイミングを合わせて上げてくれたようだ。残ったプルートは二人が上がったのを確認すると荷物をアイリに投げ渡し、すぐに数歩、助走用に下がる。そのまま走って飛んで来たプルートにアイリは手を差し出したが、必要なさそうなほど飛んで来たプルートに、逆に驚いて落ちそうになったほどだ。


「なんてジャンプ力してんだよ。手、必要なかったな」


「いや、いくらなんでも助けなしにここまでは上がれないさ」


「ほとんど来てたわよ……」


「そうか? それより、確か東の塔だったか?」


 プルートは別段、得意になるでもなく、その方角を見上げると暗闇にうっすらと影が浮かぶ。


「ロギンはそう言ってたけど。本当に信用できるか? とても部外者が入り込める場所には思えないぞ」


 一体どこから得た情報なんだろうか。


「どっちにしてもアテなんかないんだ。信じてみよう」


「そうね。とりあえず東の塔にいるっていうドリスの教会長に会ってみましょ」


「話し合いで解決すればいいけどな。アイリもリオも、見つからないように気をつけろ。見つかったらひとまず全力で逃げることにする」


 その言葉に頷きあった後、プルートを先頭にリオ、アイリと続いて壁を飛び降り、三人はやっと大聖堂の敷地内に侵入した。壁から三人が横並びに歩けるほどの幅を挟み、すぐ建物の外壁が来ていたが簡単に入れそうな場所はない。

 まさか侵入されるとは思っていなかったのか、先ほどの壁の外側に比べ、内側には見張りは少ないようで、少なくとも見える範囲に兵士の姿はない。


 さすがに持ち歩くのは厳しいと感じたのか、プルートは武器だけ手にすると荷物の入った袋を草むらに隠す。まだどでかい剣を携えているというのに、走り出したプルートの速度はさっきまでとは比べものにならないほど速い。


 全力疾走というわけではないので、ついては行けるが、ずっとこのペースはきつそうだとアイリは思った。

 加えてプルートは周囲の注意を怠りはしていないのだから頭が下がる。


 近くで見ると教会は所々で痛んでいて年月を感じさせる。ただそれが五百年もの年月だとはまるで感じさせないほど堂々とした立ち姿だった。


 窓自体の数も少ない上、すべからく格子が入っていたのでプルートは侵入経路を如何せん迷っていた。巨大過ぎるこの教会の一辺も走りきっていなかったが、このまま外周を走っても仕方ない。

 

 窓を破ろうかと考え始めたその時、格子の入っていない一際大きな窓が見えた。

 中を窺うと、都合の良いことに人影はない。礼拝堂の扉からはかなり離れているので、それではないだろうが、ここもかなり大きな部屋だ。


 アイリは窓を見ると不思議そうに首を傾げた。淡く緑色に光っているような気がしたのだ。一瞬辺りの光が映りこんでいるのかと思ったが、まわりにはそんな光源はない。

プルートが窓に手を伸ばそうとすると横から声がかかった。


「待って。今まで全部格子が入ってたのに、こんな大きな窓にわざわざ入れてないなんておかしいと思ったら、魔術で閉じられてるわね」


「分かるのか?」


「魔力は訓練次第で見えるようになるの。もちろん魔術の素養のある人に限るけど、私にも見えるってことはここに魔術をかけた人間はあまりレベルは高くないわね」


「あ、この緑の光って魔力だったのか」


「アイリも見えるの?」


「ああ、見えるぞ」


「あなた結構魔術に長けてたみたいね。なんにせよ、ちゃっちゃと破るから少し離れてて」


 言ってリオの胸に疑問がかすめる。……魔術に長けてる? 何となくそれが不自然なことのように思えた。いや、考えるのは後だと自分に言い聞かせるとリオは呪文の詠唱を始めた。カチリと小さな音が響く。


「開いたわよ」


 アイリは入るなりイヤな予感がしたが、今それを言い出してもしかたない。

 そろりと中に入ると、人のいないことを示すようにすっと冷たい空気が肌に触れる。昼と夜との温度差がかなりきつくなってきた。奥へと進むと暗闇が一層深くなる。


「講堂かなにかみたいね」


 夜目が利くリオはもう見えてるようだが、アイリとプルートにはうっすらとしか見えず、目が慣れるまで時間がかかる。

 確かに机が並んでいて講堂かなにかとしか言いようがない。


 入ってきた窓と反対側の壁にうっすら漏れる光は、扉の隙間からこぼれているのだろう。

 プルートがその光のそばへと歩み寄り、壁の外の気配を伺う。特に気配は感じなかったらしく扉を開け、そっと三人は部屋を出る。

 すると六、七人で並んで徒競走が出来るほどの広く長い廊下が左右に伸びていた。元は白が基調だったのだろうが、年月はそのかつての色を奪っていた。


 廊下は魔術灯で灯りがとられていて見通しがよすぎる。一人でも兵がいればすぐに見つかるだろう。


「これじゃ隠れながらなんて言ってられないな。見つかる覚悟で走っていくぞ」


 プルートの言葉に二人は頷く。いざ走り出そうとした時、長い廊下を反響しながらの声が響いた。


「いたぞ! 侵入者だ!」


 声のほうを見れば、騎士団の正装を纏った男がいる。


「うわ! もう見つかってるじゃねーか!」


 呆れるようなアイリの声。三人は驚きながらもプルートを先頭に走り出していた。

 男とはかなり距離があるものの、今の声を聞いた他の者も時期にやってくるだろう。そうなれば良いことは何もない。今はとにかく全力で走るしかない。


「もう! いくらなんでも見つかるの早すぎるわよ!」


「あのさ、さっきの魔術を解いたら誰かにそれが分かるとかってできるのか?」


 走り出しながら愚痴をこぼすリオにアイリが先ほど思った疑問をぶつける。


「そりゃ、ちゃんとそういう構成の魔術にすればできるんじゃない? ――そういうことね。さっきの魔術、やけにレベルが低いと思ったらワナだったってわけか」


 悔しそうにリオが小さく舌打ちをする。


「だが、こんな廊下ではどうせそのうち見つかっていたんだ。仕方ない」とプルート。

 そのいつでも前向きな思考回路を少し自分にも分けて欲しいとアイリは思った。後ろを振り返ると追ってくる人数は走った距離に比例して増えていく。


 待てー! 止まれ! 観念しろ! などといった人が人を追いかける時に放つ言葉がこれでもかと言うくらいに飛び交っていた。


「……こりゃ厳しいな」


「前からも来たようだしな」


「え?」


 先頭をいくプルートの言葉を確かめようとアイリが前に向き直ると確かに五人ほど、いかつい男が近づいてくる。


(はぁ……)


 迫ってくるのは女の子だけにして欲しいと、ふとアイリはとりとめもないことを思った。プルートは段々とスピードを落とし、迫る二組の間で足を止める。

 前から来た五人と、後ろからの十数人にしっかり囲まれる格好となった。


「アゼル! お前はシェリア隊長に報告! フォルハン! 他の持ち場のやつらも呼んでこい! 残りはこいつらの包囲を崩すな!」


 部隊長か何かだろうか。前から来た五人のうちの一人、髭をたくわえた一番年長の人物が迅速に指示を出す。後ろの集団のうち二人がかしこまった返事をすると、さっときびすを返し駆けて行った。


 遠くから、今駆けて行った二人のものとは別に足音が聞こえる。呼びに行こうが行くまいが、さっきまでの騒ぎでわんさか兵は現われて、すぐにてんやわんやの大宴会になるだろう。なら、


「黙って突っ立ってても仕方ないな!」


 アイリの言葉を皮切りに三人が動き出すと、先手を打たれ、やや慌て気味に声がかかる。


「逃がすな! 捕縛しろ!」


 同士討ちを恐れてか刃物こそ使ってこないが、一人に対して一度に三人程度ずつ襲いくる。きっと数的有利かつ狭小地という状況下を想定しての訓練もしていたのだろう。

 大聖堂に侵入されるというあまりないだろうシチュエーションの中、よく統制された動きだ。


 もっともこちらが剣を抜けば、さすがに素手で掛かってはきてくれないだろうから、アイリ達も剣は抜かなかった。切り抜けることが目的であり、倒すことはその為の手段というだけだったからだ。

 プルートはよけながら進んでは、その際に素手での一撃で相手を昏倒させていく。

 

 しかし相手は誉れ高い騎士達。その上やっぱり兵はどんどん湧いてくる。いかにプルートでもそうそう容易なことではない。倒してかわす人数より増えてくる人数が上回り、あっという間に人で溢れかえることとなった。

 さすがに面倒なことになったなとプルートは胸中でつぶやく。


「二人とも、はぐれるなよ!」


「……あの、もうアイリがいないけど」


「はい?」


 たしかに辺りは騎士団が着用している白い衣しか見えない。どうやらよけながら遠ざかってしまったらしい。


「もうはぐれてるのか! アイリ! 聞こえるか?」


 周りの兵達の喧騒もあり、返事はまるで聞こえない。


「仕方ない。リオ、突破するぞ。この連中相手ならアイリも何とかするだろう。と信じよう。ひとまずこいつらを撒いて、東の塔目指すんだ! 名付けて、捕まったら捕まってないやつが助けてあげよう大作戦!」


「全員捕まったらどーすんのよ!」


「もちろん、そうなったらお手上げだからそうならない方向で頼む」


「方向って……どこが作戦なのよ!」


「苦情は後だ、ちょっと離れてろ!」


 離れてろと言われてもそんな余裕はあまりない。それでもなんとか兵を押し込みながらプルートと距離をとると、


「うおぉぉぉー!」


 プルートはどでかい剣を背中から抜いたかと思うと一気に振り回す。ほとんど切れないとはいえ刃は避け、剣の腹を当てたようだが、風に倒れる草原の草花のようにプルートの周りにいた兵がなぎ倒される。


 円の中心にプルートだけが立つ様を、ポカンとリオと残った周りの兵達が見ていた。こんな離れ業を目の当たりにしたらさもありなん。今の一撃で六人ほど吹っ飛んだ。


「よし、隙が出来た! 走れ、リオ!」


 プルートの声にリオはようやく我を取り戻し追いかける。兵士達も構えるが先ほどまでの戦意はそがれ、完全に及び腰だ。包囲は崩れ、これならなんとか突破できるかもしれない。


「あんた、ほんととんでもないヤツね……」


「なにか言ったか?」


「なんでもないわよ」


 さっきの作戦、わざわざ自分に言ってはくれたが、最後まで捕まらないのはまずプルートなんだろうなと、片っ端から兵士をなぎ倒しつつ進むプルートの背中を追いながら、リオは思った。

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