第34話 社(下)


 シムカに抱かれて本殿二階の大広間『謁見の間』の襖を開ける。


 詰めれば二百人ほどが座れる長方形の中心に、二人分の人影があった。不安なのか、色白の少女が褐色の少年に縋り付き、少年は励ますように細く華奢な体を抱きしめている。


 初々しい。


 そして、微笑ましい。


 媚薬を放り込んで帰ろうか、一瞬だけ思案する。しかし、後ろについてきたアシィナの眼光が鋭くなり、圧を強めて来た。


 仕方なく、二人の前まで行って大人しく座る。


 シムカとアシィナは、私の後方に距離を置いて控えた。二人とも身体に異形を持つので、あまり近いと圧迫感が強いだろうとの配慮だ。


 それでも、少女の方は直視できないのか、少年の胸に顔を埋めていた。


 若干頬を赤らめているようにも見える。風邪でもひいているのか?



「私は繁栄の女神ヴィラの尖兵しなずち。君達の言う悪魔かどうかはわからないけど、まずは名前と用件を――――」


「その前に服を着ろよ!」


「え?」



 自分の姿を改めると、キスマークが十個付いた裸体がそこにあった。


 道中のお手付きでそこそこ猛ってもいて、少女の視線がチラチラ下に向いている。二人とも性を知るにはまだ足りない年齢のようで、いささか刺激が強かったようだ。



「ああ、ごめん」



 両手から血を吹き出し、軍服風の装束を身に着ける。


 和風の内装に合わせた質素な装飾で、ふと、床に座るよりソファーの方が合うのではと思い立つ。


 血の放出を続け、自分用の一人用と目の前の二人用のソファー、間に置くテーブルにグラス三つと水差しを形成する。意図を読んだシムカが水源池の水を操って窓から引き入れ、グラスと水差しにそれぞれに注いだ。


 ほんの十数秒での出来事に、少年と少女は顔いっぱいの驚愕を浮かべた。


 私は自分のソファーに座り、手で示して着席を促す。


 警戒しつつも、二人は大人しく従った。ただ、グラスには手を付けず、警戒も解いていない。当人達からすればどこからどうやって持ってきたのかわからないのだから、当然と言えば当然か。



「ようこそ、社へ。君達の目的は私の討伐か、それともそれ以外の何かかな?」


「あ、あんた、一体…………?」


「魔術だけが世界の真理ではない。魔力を伴わない奇跡に戸惑う事はわかるけど、だからこそ、君達はここを目指したのではないかな?」



 煽るように言葉を並べ、二人の反応を見る。


 これまでに社を訪れた者達は、流域の支配を進める私を討伐しようとする勇者か英雄。もしくは、繁栄の女神の祝福を求めて来た不遇の恋者達だ。


 この二人は、魔力こそ大きいが肉体も精神も未熟に過ぎる。


 おそらく後者だろうと予想をつけ、手っ取り早く話を進める為に話題を振る。私を見る少年の瞳をじっと見つめ、奥に宿す意志と覚悟を量り確かめる。


 強く、強く、真っ直ぐで、迷いのない、正しい思い。


 歳の割にしっかりしているな。



「俺はダークハイエルフのヒルディア。こっちはハイエルフのジルランカ。俺達の里は長年対立し続けていて、結婚を認めてくれない」


「どうしたい?」


「里なんて関係なく、俺達二人が暮らせる安息の地が欲しい。ここに来るまでにも、何度もハイエルフの追っ手が襲ってきた。朱い装束のケンタウロスが助けてくれたから何とかなったけど、あいつらまた、きっとジルランカを取り返しにくる」



 ギュッと抱きしめる力が強くなり、それに応えるようにジルランカもヒルディアの服を握りしめた。


 なかなか面白い状況だ。


 このまま匿ってハイエルフの襲撃を受ければ、里に侵攻する大義名分が立つ。それに、朱い装束のケンタウロスには心当たりがある。呼び戻して、二人の世話係をさせるのも良いかもしれない。



「では、『里なんて関係なく、二人が暮らせる安息の地が欲しい』が望みで良い?」


「――――ケンタウロスのお姉さんにも……お礼……したい…………」



 か細い声がしっかり聞こえた。


 機動力から領内の巡回警備を任せていたが、任せた以上に良い仕事をしてくれた。今度まとまった休暇を与えて、何日か私を好きにさせて褒美としよう。



「シムカ。朱巫女衆二番頭ヒュレインに招集命令を」


「あ、しなずち様。ヒュレインならしなずち様が戻ったって聞いて昨夜帰ってきたわよ。夜伽できていないのあの娘だけだし、きっと今夜激しいんじゃない?」


「呼ばれたみたいでワタシ参上!」



 襖が開け放たれ、姿を確認する前に暴風が走る。


 部屋の中を突風が吹き、グラスと水差しが吹き飛んだ。また用意し直すのも面倒なので、口を閉じて足を生やし、壁や床に着地させる。風が収まったらテーブルまで歩かせて、元の位置に戻して置いた。


 両手を上にあげ、頭上にあるであろう顔を挟む。


 背後に回るだけでいらぬ余波を振りまいた金髪ツインテールが、私の手に頬擦りする。口端から垂れた涎が頭にかかり、ハァハァと生温かい息遣いが手の平を舐め回すように纏わりついた。



「相変わらず派手好きだな、ヒュレイン」


「おかえりなさい、しなずち様。早速ですけど、浴場に参ります? 寝所に参ります? そ・れ・と・も、ここでしちゃいます?」


「元勇者の威厳はどこに行った? シムナと組んで私を襲った時のあの勇猛さと理知的な落ち着きは?」


「処女と一緒に捨てました! 今の私は、しなずち様の、しなずち様の為の、しなずち様の愛する専用牝馬ヒュレインです!」


「シムカ、アシィナ。ちょっと抑えといて。話進めるから」



 上げていた手を戻し、『し~な~ず~ち~さ~ま~……』という遠ざかっていく幻聴を無視してグラスを取る。


 シリアスに決めていた空気が台無しだ。


 きっと道中一緒だった時との落差から、ヒルディアとジルランカは目を丸くしていた。その気持ちは痛いほどわかり、私の前でも以前の高潔さを少しは取り戻して欲しい。


 ドM開発し過ぎた私が悪いんだけど…………。



「君達を助けたのはアレで合ってる?」


「あ、ああ。でも、もっと格好良くて、凛々しくって、キラキラしてて――――」


「勇者時代はそうだったんだけどねぇ……私の前でだけあの状態なんだと思うから、幻滅しないであげて」


「は、はい……」



 二人にグラスを勧め、私も一口嚥下する。


 良く冷え、良く澄んだ水だ。


 この為だけでも、この地を選んだ価値があると言っても良い。恐る恐る口をつけたジルランカも「美味しい……」と目を輝かせ、価値を共有する同志として笑顔が綻ぶ。


 ヒルディアも最初は少しだけ舐め、すぐ目の色を変えて一気に呷った。


 空になったグラスに追加を注いでやると、それもすぐに飲み干す。まるで授乳中の子犬を思わせ、飲まなくなるまで何度でも注ぐ。



「さて……君達の望みを叶えることは出来る」


「本当か!?」


「本当だよ。ただし、私は悪魔ではなく妖怪だ。妖怪の契約は悪魔と違う。はじめに対価を必要とし、対価が払えなければ代償を負って契約を成す。契約が成れば、その時点で君達は安息を手に入れる」



 少し強めに眼圧をかける。


 ココから先は半端な意志や覚悟は毒だ。安易に妥協しない、強く定まった心が要る。


 ヒルディアもジルランカも、私の圧に臆することなく視線を返した。


 強く強い良い目だ。互いを信頼し合い、共に歩もうとする意志を感じる。これなら、きっと大丈夫だろう。



「私から提示する対価は、『ハイエルフの里と縁を切る』、『ダークハイエルフの里から出る』、『一ヶ月の間、社の離れで暮らす』の三つ。呑めるか?」


「ハイエルフは縁を切るのに、ダークハイエルフは出るだけでいいのか?」


「追っ手がハイエルフだけってことは、ダークハイエルフは結婚に反対していないんだろう? ダークエルフ族は結婚にまで実力主義的な所があるから、むしろ『しっかりやれ』くらいは言いそうだ」


「…………アンタの言う通りだ。親父もお袋も姉さん達も、ハイエルフからジルランカを奪った事を誇りに思うって言ってくれた。今年は実りが悪くて大変なのに、あれもかれも売って旅の資金も工面してくれて……」



 ヒルディアの目尻に涙が浮かび、頬を流れた。


 南と同じように、北のダークエルフ達も家族を大事にするらしい。しかし、話を聞く限り、襲撃を待つだけでなく里の方も見る必要がある。


 社からダークハイエルフの里があると思われる場所まで、普通の足で一ヶ月。


 ゆっくりしようと思っていた所にこれか。それと、ハイエルフは後回しにした方が良いな。場合によっては雑に処理しても良いだろう。



「――――ヒュレイン、アシィナ。ダークハイエルフの里に向かうから供をしろ。出立は昼過ぎ。早めに昼食を取るか、弁当を作ってもらっておけ」


「「了解」」


「シムカはシムナ達の帰りを出迎えてくれ。何かあれば、巡回中の朱巫女達を経由して伝える」


「承知致しました」


「え? え?」



 状況について行けないヒルディアが困惑の声を上げた。


 まだ返答していないのに行動を始めたから戸惑っているのだろうが、こちらで急ぐ理由が出来た。『姉さん達』、『今年は実りが悪い』、『あれもかれも売って金を工面して』などと、いくつも弱みを見せられたら飛びつかざるを得ない。


 一人か二人か、いっそヒルディアの姉達を貰い受けて里の環境を改善し、支配域に取り込ませてもらおう。


 ただ、あまり時間はかけられない。


 飢餓と病は、命の簒奪を待ってくれない。



「急ぐ理由が出来た。契約の返答は我が女神にしてくれ。離れで暮らしていれば、すぐに声をかけてくれる」


「あ、えっ、え?」


「繁栄の加護に恵まれんことを」



 私は席を立ち、窓から飛び降りて自室に向かった。


 昼過ぎまであと三時間。その間に、溜め込めるだけ補給する。


 南のような失態は二度としない。ヴィラの為にも、巫女達の為にも、家族の為に涙を流したヒルディアの為にも。


 もう、二度としない。

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