【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない9

蒲生 竜哉

リリィの憂鬱

リリィには密かな悩みがあった。良いお魚がなかなか手に入らない。 駅前の魚屋では鮮度の良い魚になかなか出会えないのだ。 そこで、ある日リリィは魚屋の店主に相談することにしたのだが……

第一話

 リリィの朝は早い。


 朝は日が昇る前、小鳥が鳴き出す頃に起床。ベッドを整え、蜂蜜色の髪の毛を鏡の前で丹念に梳かす。髪が滑らかに、艶やかに輝き出すまで。

 午前の制服はピンク色か水色の綿の服に決まっていた。午前中は掃除をするので汚れが目立ちにくい制服と動きやすい短めの丈のエプロン、午後は人前に出るので光沢のある黒い制服と見栄えが上品なロング丈のエプロンを着けるのが決まり事だ。

 身支度を済ませ、ちゃんと洗濯済みのエプロンドレスを身に着けてから滑車を使って屋根裏部屋の階段を下ろし、静かに階下に降りる。

 まだ旦那様はお休みになっている。ドタバタして起こしてしまってはいけない。

 静かに一階に降り、とりあえず暖炉とキッチンのレンジに火を起こす。燃料は石炭なので少しコツがいるが、その辺に関してはもうリリィは慣れていた。

 それが済んだらとりあえず気になるところにハタキを掛け、雑巾で拭う。

 朝の掃除が一段落したところで続けて朝食の準備。朝のお茶にシリアルかオートミール、卵二個のベーコンエッグに焼いたトマトやマッシュルーム、ジャガイモ、豆類、時によってはソーセージ、それにトースト。いつも夕食が遅いから朝食は軽めだったが、ベーコンエッグとトーストは外せない。ベーコンエッグを軸にして、その日気が向いた品を付け合わせのようにしてワンプレートにしてお出しするのがリリィの流儀だ。


 八時少し前、日が登ってきた頃にダベンポートが起き出してくる。

 その頃には朝食の準備は整い、お茶に使うお湯も沸かしてリリィはダイニングに待機していた。

「おはよう、リリィ」

「おはようございます、旦那様」

 朝の挨拶を交わし、とりあえず朝のお茶を給仕する。朝は決まってミルクティー、お茶の種類はモーニングブレンド。

 ダベンポートが朝食を楽しむ間は話し相手にもなり、お茶が足りなくなればそつなく注ぐ。ダベンポートはリリィに甘かったのであまり無茶は言われない。言われてもせいぜいが「明日の朝は目玉焼きの代わりにオムレツにしよう」とお願いされるくらいだ。

 ゆったりとした朝食の後ダベンポートが魔法院に登院する時には必ずコートに袖を通す手伝いをし、お弁当のサンドウィッチを渡す。これもまた日課だった。朝は着るのを手伝い、帰って来たらコートを脱ぐのを手伝う。

 リリィにも理由は判らなかったが、不思議とこれをしないと寂しい気持ちになる。

 ダベンポートが事件で留守にしているときはどこか心に隙間風が吹くような気持ちになる。

(なぜなのかしら?)

 たまにリリィは不思議に思う。


 ダベンポートが魔法院に登院し、朝食の後片付けが終わったら本格的な掃除と洗濯だ。洗濯は毎日、掃除は場所を決めて順番に。

 小さな家とはいえ、毎日隅々まで掃除していると夕食に間に合わなくなってしまう。そのため、リリィはちゃんと掃除のスケジュールを決めていた。

 今日の掃除はダイニング。一旦椅子を片付け、ハタキを掛けてからモップで床を掃除する。途中ランチを挟み──リリィはいつもダベンポートと同じサンドウィッチを食べていた──、夕方前まで掃除を続ける。

(旦那様が優しい方でよかった)

 小鳥のように少しずつサンドウィッチを齧りながらリリィはしみじみ思う。

(厳しいお屋敷だったら旦那様と同じものなんて食べられない)


 三時過ぎまでパタパタとハタキを掛けたり、雑巾で窓や家具を綺麗に磨く。掃除が終わったら今度は晩ごはんの準備だ。

 掃除用具を地下の物置に片付け、一旦部屋に戻る。リリィは汚れたエプロンドレスとピンク色のメイド服を脱ぐとロングの黒いメイド服に着替えて晩に備えた。

 人前に出ても恥ずかしくないフォーマルな作り、光沢のある生地に肩を膨らませたパフスリーブ。包みボタンが並ぶ幅広の白い付け袖カフスにはちゃんと糊を利かせて。当然、エプロンドレスもそれに合わせてロング丈の上品なものにする。

 リリィは屋根裏の自室の鏡の前で一回転して服装をチェックした。

 大丈夫、ちゃんとエプロンドレスの紐はリボンのように結べている。この服だとお掃除のような活発な活動はできないが、お料理やお茶の準備には支障がない。

 リリィは屋根裏部屋への階段を元のように天井に仕舞うと、晩ごはんの買い物の準備を始めた。

(昨日は子羊ラムチョップをマスタードソースで和えて、ローストしたお野菜を添えたのよね)

 と昨夜のメニューを反芻する。

 リリィの考えでは、同じ種類のお肉が二日続くのは犯罪だった。それにお肉とお魚は交互に食卓に登ることが望ましい。

(だとしたら、今日はお魚?)

 前回の魚料理はなんだっただろう?

(この前のフィッシュパイは美味しくできた。ムニエルは定番だから少し月並みかしら。うーん……)

 閃いた。

(あ、カレイと魚介のワイン蒸しガーリック風味なんてどうだろう。ムール貝とエビをワイン蒸しにしてガーリック風味のソースを作って、カリッと焼いたカレイに乗せるの。ソースはパンにつけても美味しいはず。ソースにはつぶ貝を少し入れてもいいかも知れない……)

 だが、魚屋フィッシュショップの品揃えを思い出したとき、リリィはちょっとした問題があることに気がついた。

(でも、あのお魚屋さん、少し鮮度が心配。貝なんて大丈夫かしら?)

 駅前の魚屋の品揃えは日によってブレが大きい。

 アタリの日に店頭に並んでいる魚や貝の品質は本当に素晴らしい。鮮度がよくて、魚の身も厚い。一方、ハズレの日は悲惨だった。鮮度が不安だったり、魚の身よりも骨の方が多そうな魚が並んでいることもある。

 リリィにとって、魚屋の品質のブレは大きな謎の一つだった。隣のお肉屋ブッチャーさんは安定して良い品質のお肉を提供してくれる。果物や野菜はこの辺りの農園から直接仕入れているから食料品店グローサリーの鮮度は抜群だ。

(お魚だけお買い物が難しい……)

 リリィは少し考えた。

(一応、お肉料理も考えて保険をかけてからお買い物に出かけよう。お魚屋さんのアタリの日が前もってわかればいいのにな)

 早速、リリィは作戦を考え始めた。

(とりあえず、お魚屋さんには行こう。ちょっとご主人と仕入れについて雑談したら何かヒントがあるかも知れない……)

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