第30話 チェルシーの魔法
俺は咄嗟にチェルシーの腕を掴む。そのままこの場を離れたかったが、チェルシーが動こうとしない。
「ダメですラルク様。皆を助けないと」
「確かにそうだけど。まずは自分たちの安全を確保しないと!」
モンスターが唸る。完全に俺たちを標的とみなしたようだ。こんなのを相手に助けることなんて出来るわけがない。リーゼやルキナがいてくれたら。もしくは俺がちゃんと魔法を使えたなら、多少救出を試みようとはしたかもしれない。けど、今の俺には何も出来ない。イケメンに転生したとしても、俺は俺だ。無力なのは変わらない。
最悪俺だけでも。そんな最低な考えが頭を過る。チェルシーの腕を掴む手が、僅かに緩む。その時、突然頭痛が襲った。同時に横っ腹にも痛みを感じた。ズキズキとする嫌な痛みだ。なん、何だよ。これ。
戸惑う最中、モンスターはいつまでも待ってはくれない。地を蹴り、大きな口を開けて襲い掛かる。
「くそっ、チェルシー!?」
「ラルク様っ!」
勝手に体が動いてしまった。何処かで見た光景。小さな女の子に襲い掛かる、鉄の塊から助けようと飛び出したように、俺はチェルシーへと掛ける。
咄嗟に駆けた勢いのまま、俺はチェルシーと一緒に倒れ込む。すぐに喰われてないことを確認して、チェルシーの安否を尋ねた。
「だ、大丈夫か。チェルシー」
「は、はい。ありがとうございます」
またもや押し倒すような形になってしまったが、不本意だ。それに、役得だと感じる余裕すらない。すぐに立ち上がり、モンスターの動き、状況を再確認した。
モンスターは喰らい損ねたからなのか、一際大きく吠える。ビリビリと空気が震えた。いやそれだけじゃない。俺自身もぶるぶると震えていた。漫画とかならこいつは武者震いだとか言うんだろうな。
そんな軽口を内心に留め、俺はどうすればいいのか頭を動かす。敵はデカイのが一体。動けるのは俺とチェルシーだけ。二人だけなら逃げればいいが、廊下に倒れているのは三、四人の生徒。ダメだ。何も手立てが思いつかない。せめて転生したんだから魔法でも使えたら。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ッ!?」
「っ……」
モンスターの咆哮。さらに轟くモンスターの怒号は俺に恐怖を植え付ける。同時に俺は、少しだけ自分の状況を見直せた。
何、やってんだ俺は。そもそも、ただのニート同然だった俺が、何故こんな窮地に挑もうとしているのか。チェルシーにかっこいいとこ見せたいとかか。異世界転生したからには、サクセスストーリーに違いないと、危機感が抜けてしまっているのか。バカバカしい。逃げろよ。俺は今までそうだったはずだろ。今更こんなモンスター相手に、どうにかしようと思う方が間違ってる。
「ラルク様っ!?」
ようやく、呼ばれ慣れ始めた名前を耳にして、顔を上げる。だが視界にはもう、モンスターの牙が迫っていた。
「うわああぁぁ!?」
無理だ。間に合わない。それでも咄嗟に、何とか逃れようともがく。かっこ悪いことこの上ないが、死にたくないものは仕方ない。既に一度死んでようが、絶対に慣れないと思う。けどそんな心配をよそに、俺はまだ死んでいなかった。
「……あ、れ?」
掲げた腕も何ともない。反射的に閉じた目を開くと、そこにはモンスターを押し留める熊の姿があった。いや、本物の熊じゃない。これは……。
「ま、間に合った……」
「チェルシー……」
見ればチェルシーから光が溢れていた。大きく伸ばした腕。踏ん張るように直立する姿から、チェルシーが魔法で助けてくれたんだと分かる。
「ラルク様。早くこっちに」
「あ、うん。ありがとう。そ、それでこれは?」
当然気になるのは、俺の前に立ちはだかってモンスターを止めた物体だ。熊っぽい姿には違いないが水色に違い青い体色。何処か気の抜けるようなゆるいデザイン。予測はつくものの、まさかとは思わずにはいられない。
「はい。ベアちゃんです」
「いや、名前はどうでもいいんだけど。……あ、ごめん。可愛いと思うけど。でもこれってまるで……」
「はい。熊のヌイグルミです」
やっぱりか。虎みたいなモンスターは見上げるほどデカイ。だがそれに劣らず、熊をモチーフにしたヌイグルミもデカかった。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ッ!?」
虎のモンスターは四つ脚でヌイグルミに対して力を入れる。だが、ヌイグルミはそれ以上の力を以て踏ん張っていた。
凄い。ヌイグルミとはいえ、チェルシーの魔法だ。全然負けてない。むしろ少しずつであるが、虎を後退させるにまでに及んだ。
「や、やるな。チェルシー」
これで何とかなる。そう思ってチェルシーを見れば、苦しそうに膝を曲げていた。
「くっ……」
「だ、大丈夫なのか」
「凄い力です。今の私だと、これ以上は耐えることしか……」
チェルシーは気を持ち直す。右腕を高く掲げ、僅かに帯びた光を強めた。けれど、モンスターも負けじと押し合いに挑む。
そしてついには、モンスターはヌイグルミに対して牙を突き立てた。己の武器を用いた、当然の選択である。普通のヌイグルミよりは強度があるのかもしれない。破けるようなことはなかったが、それでもそれを境に、ヌイグルミは、いやチェルシーは、より苦戦を強いられてしまう。
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