14

「お前が、〈青の吸血鬼〉なんだな」


 銀の声は、自らも切り裂いてしまうかのような鋭さを帯びていた。返ってくる言葉はなく、銀の声を拒むように重たい沈黙が車内を満たしていた。

 バックミラー越しに巧の表情を伺う。しかし窓の外に広がるホログラムに照らされる巧はただ無表情で流れる都市の景色を眺めていた。

 銀は沈黙に痺れを切らし、再び口を開く。それはまるで犯した罪の責苦に追い詰められた囚人が不必要に祈りの言葉を口にしてしまうのに似ていた。


「どうなんだっ? どうして黙ってやがる」


 銀の声は震えていた。願わくば、これがただの憶測であり、間違いであってほしいと願った。誰よりも青血障害の痛ましさを目の当たりにしてきた男が、〈青の吸血鬼〉であるはずはないと信じたかった。

 だが続く沈黙こそが答えだった。


「場所を、変えようか」


 巧はそれだけ言って唇を結んだ。ナビゲーションをいじり、目的地を変える。どこへ向かうのか銀には分からなかったが、車が車線を変え、来た道を引き返すようにターンした。

 そこからは二人とも一切言葉を交わすことはなかった。

 都市の煌びやかな景観は背後へと置き去りになり、さっきとは別の廃区へと入る。人の気配は感じられるのに、姿は全く見当たらない。まるで外へ出てはいけないと、きつく言いつけられているかのようだった。

 崩れかけた建物。雑草が繁茂して罅割れたアスファルト。置き去りになったゴミ。

 車は沈黙と闇のなかを進んだ。

 やがて開けた場所に出る。そして一際暗い影が落ちる一角で、緩やかに停車した。

 巧は無言で車を降りる。銀も背もたれから身体を起こし、全身の激痛に歯を食いしばりながら後に続く。

 少し間を開けながら、二人はゆっくりと闇を歩いた。

 巧は比較的かたちを残している建物の前で一度立ち止まり、銀を顧みる。きちんと後をついてきていることを確認し、外れた扉を跨ぐようにして中へと入った。

 どこか見覚えのあるつくり。もちろん銀がこの場所を訪れるのは初めてだったが、足を踏み入れてまず、そう感じた。

 左手側にある階段へと向かう巧が、そんな銀の心中を察したように振り返りざま口を開く。


「ここは、青田学院大の旧キャンパス。僕らの母校は、震災の感染爆発パンデミックの影響で《東都》成立を機にキャンパスを今の場所に移設している。敷地の大部分は廃区の住民たちに明け渡されているけれど、まだ三分の一は震災当時のまま残っている。あまり知られていないけど、おかげで都市を覆う追跡可能性トレーサビリティの穴になっている。この薬学研究棟もそのうちの一つ」

「どうりで見たことある風なわけだ」


 巧は階段を降りていく。銀は身体を引き摺り、壁と手摺に縋るように後を追う。

 足音が響く。巧のそれは規則正しく短く響き、銀のそれは荒い息遣いと混ざり合い、不恰好に歪んで響いた。


「ねえ、銀」

「なんだ?」


 銀を呼ぶその声にはどんな感情も感じられない。もうとっくに心など殺したと、暗に告げられている気分になる。銀のよく知る巧は、もはやいないのかもしれない。


「君は、命は平等だと思うかい?」

「いいや」


 銀は即答する。《東都》は理想を標榜し、命は平等だと高らかに喧伝している。だから《東都》という都市に住まう人々は、命が平等に尊く、かけがえのないものなのだと信じている。

 だが実際は違う。理想は理想で、現実は現実だ。命は平等だと喧伝する《東都》の統治者たる《リンドウ・アークス》でさえ、稀有な薬学研究者と廃区のホームレスの命、二つに一つを選ばねばならない状況に陥れば、どちらを選択するかは明白だ。命は平等だと言いながら、誰しもがその命に価値づけをする。だから差別や争いはなくならない。それがいくら不毛だと知っていても、人はその在り方に抗うことはできない。


「もし命が平等だって言うなら、血の色が違うはずがねえ。みんな赤いか、みんな青いかのどっちかだろ」

「その通りだ。僕らの命は決して平等ではない」


 無機質だった巧の声に、冷ややかな色が垣間見えた。その背中は生きる意味を問い続け、その果てに意味などないことを悟って死に至る文学者によく似ているような気がした。


「命には明確であれ、不明確であれ、価値の序列が存在する。ならば、それは何によって決定されていると思う? 社会への貢献度? 哀しむ人の数? 有する資産の多寡? 他者との代替不可能性? どれも正解で、どれも違う」

「何が言いてえんだ、お前は」


 銀は鋭く問う。だが巧が望む以外の言葉は、届きはしなかった。


「僕は気づいた。これらの要素は全て、人の主観に過ぎない。命の価値を構成する要素は結局のところ、僕らの主観によって積み上げられた無数の欠片なんだ。つまり、命そのものにはどんな価値もない」


 ほとんど独白に近い言葉を並べながら、巧は奥へと進んでいく。銀は必死に後を追った。もはや真実を追うためではなかった。どこか知らない、遠い場所へと行ってしまった巧を、繋ぎ止めるようにぼろぼろの身体を前へと運んだ。


「だが事実、僕らの命には価値の序列がつけられる。他でもない僕らの主観によって。僕は否定するつもりはない。命が無価値であるという事実に不安を覚え、懸命に価値を見い出そうとする人の営みを。たとえそれで、何かを排除せずにはいられないのだとしてもね。……さあ、到着だ」


 巧は頑健な鉄扉の前で立ち止まり、鎖と南京錠による厳重な施錠を解いていく。その間に銀は巧へと追いついて横へ並ぶ。


「ここは何なんだ?」

「見れば分かる」


 言って、巧は扉を押し開ける。刹那、鼻の奥を突き刺すような薬の匂いが香る。

 巧は表情を変えることなく、部屋の暗黒へと進んでいく。銀は目を凝らしてその闇を凝視した。


「おい、お前これ……」


 銀は息を呑み、だがすぐに空気を吸い込んでしまったことを後悔するように、慌てて口と鼻を手で覆う。

 部屋に並んだ無数の機材。血の成分を濾過させる装置に、巨大な冷凍装置や旧式の遠心機。何に使うのか分からないが、いくつものチューブを生やす機械。あるいはステンレス製の台の上に並ぶ、ペンチやメス、人間を解体するための悍ましい道具たち。

 直近の苦痛と恐怖が脳裏をよぎり、銀は眉を顰める。だが部屋にあるのはそれだけに止まらない。

 極めつけは部屋の中心――一段高くなった床の上。まるで神聖な場所であると言わんばかりに鎮座する手術台。その上には肉体を切り刻まれ、チューブに繋がれたまま横たわる傷だらけの女の姿。

 巧は手術台へと歩み寄り、青い血に塗れた女の手首に指先を当てる。そしてかぶりを振って深い溜息を吐く。

 女は死んでいるようだった。一一人目の被害者――。そんな単語が思い浮かび、銀はそれを破り捨てるように叫ぶ。


「おい、巧! これは何なんだ! 一体何なんだよっ!」


 狼狽える銀に、巧は全く動じることなく振り返る。まるで最初からこうなることが分かっていたかのような、達観した表情。そして一度は銀が口にし、だが心の奥底で何度も否定しようとした答えを告げる。憶測は現実となり、真実が紡がれる。


「君の言った通りだよ、銀。僕が、〈青の吸血鬼〉だ」


 そして巧は腰後ろから拳銃を抜く。解薬士が都市を守るために使うものではない。向けた者の命を摘むための、冷たい銃口が銀を覗く。

 かちり、と撃鉄を起こす音が静かに響いた。


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