第22話 出来る夫の思いやり


 ずんずんと荒い足取りで、セレストは庭を突き進む。


「セレスト様!」

「……妻殿」


 追いついたヴァイナスが呼びかければ、セレストは思い出しても腹立たしいと顔を歪め、吐き捨てた。


「やはり、貴方を参加させるべきでは無かった……! なんだ、あの物言いは……! 馬鹿にしてっ!」

「マヤ様には、そのような意図などなかったはずです。私達の結婚が想定外だったのも、事実ですから」

「たしかにそうだけど……! でも、僕は迷惑と思った事など、一度も無い……!」

「……ありがとうございます。私もそんな風に考えたことなど、ありませんよ」


 迷惑と思った事などない。


 セレストのこの一言が、ヴァイナスには救いだった。

 このような場面で嘘をつけるような相手ではないと分かってきたからこそ、彼が言う言葉は素直に受け止められる。


「セレスト様にとって、この結婚が迷惑でなかったのなら……それで良いのです。私は、それだけで嬉しいのですから」

「……迷惑なんて思わない。この先も、思うはずがない。――……だが、貴方は本当によかったのか」


 ちらり、とセレストがヴァイナスをみた。


「……先ほど、妹を思い出したと悲しそうな顔をしていた……。貴方はもしかして、ノーゼリアが恋しいのではないのか?」

「えっ」

「……無理もない。ここに貴方の知り合いはいないし、……突然の輿入れで、準備もままならなかったのだろう? 思い出の品も持ってくる暇もなく、こんな異国の地で心細く……」


 セレストの中で、茶会でのヴァイナスの悲しげな様子は、故郷に対しての恋しさからと言う事になっているらしい。


 確かにノーゼリアは懐かしい。

 駆け落ちしたアイリスの事も気になる。

 だが、茶会のヴァイナスは、勝手に拗ねていじけていたに過ぎない。

 しかし、馬鹿正直に告白するには、大人としての羞恥心が邪魔をする。ヴァイナスは、何と言ったらいいのかと迷った。


 その沈黙が、セレストの誤解をさらに深めてしまった。

 彼は、ヴァイナスを気の毒そうに見上げると、おろおろと視線を動かし始める。


「……ぅぅ……えーと……ああそうだ、妻殿! 馬は好きか!」


 そして、もごもごと何事かを呟いていたかと思うと突然、不自然なまでの棒読みで声を張った。


「馬、ですか?」


 ヴァイナスは四足歩行でヒヒーンと鳴く生き物を思い浮かべた。


(なぜ唐突に……馬?)


 話題がそれて助かったとは思うものの、行きついた先が馬と言うのが分からない。


「好きか? 嫌いか?」


 しかし、セレストは身を乗り出す勢いで、ヴァイナスの答えを待っている。


 正直ヴァイナスは、馬というものに触れる機会は少なかった。

 しかも、その少ない機会の中で馬に散々な目に合わされたという記憶が色濃く残っている。


(馬って、馬車をひく、あの動物よね……)


 セレストが出した二択は非常に答え難い問いかけだった。

 しかし、若干の勘違いは含まれていても、故郷を恋しがって落ち込んでいるヴァイナスを元気づけようとしてくれているのだ。その好意は、純粋に嬉しく思ったため、ヴァイナスは、自然と笑顔になった。


「恥ずかしながら、遠目でしか見たことがなくて……」


 ぱっとセレストが顔を輝かせる。


「そうなのか……。それならば、見に行こう!」

「はい? い、今から行くのですか?」

「大丈夫、僕の馬は大人しいから、安心してくれ」


 笑顔で手をひかれつつも、ヴァイナスの脳裏によみがえるのは、過去の散々な記憶である。


 馬というものは、ヒヒーンと鳴き四足歩行で動く。その上、ヴァイナスの髪をわしゃわしゃと飼い葉のごとく噛んでくれた生き物だ。


 子供の頃の話と笑うなかれ。よだれでべとべとにされて大泣きした事まで、はっきりと覚えているのだから、実は相当な苦手意識がある。


 なので、さぁ行くぞと言われると腰が引けるのだが、満面の笑みで手を引くセレストの手は拒めない。

 どうしたものかと悩むヴァイナスは、結局セレストの勢いに流されるまま厩舎に向かったのだった。

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