大盤振る舞い

 いけ好かないレコードオタクに道で落としたベレー帽を返そうと追いかけたら、レコード屋さんに入り込んでしまっていた。いかにも「冷やかしお断り」な圧力を感じて、なにか買うまで生きて帰ろうにない。


 広くて狭い店内にはレコードの棚がぎっしりと詰まっていた。部屋は意外と明るく照明が焚かれていて、タバコの匂いがするほかは怪しい感じは全くと言って良いほど感じられなかった。白を基調とした内装に、小ぎれいな大学生や社会人バンドのポスターが並べられた壁は以外にも堅実な印象を与えたのだった。ただ、店中に得体の知れない雰囲気が漂っているのは確かだった。店員は見下すような一瞥をくれるし、他の客はレコードを探すふりをしてチラチラと「新入り」を確認するような動きを見せる。


 とにかくなんか買って帰ろうと思っても、レコードなんて阿呆みたいな趣味はないからレコードプレーヤーなんて持っていないし、CDも数えるほどしか持って無い。それも新聞の付録だったり、学生時代の合唱コンクールのものだったりする。どこから手をつけて良いものか全く見当がつかない。

 見当はつかなくとも、どうせなら良いもん買ってやろう、という気概がどこからともなく湧いてきた。どれくらいかかるんだろう? 財布の中には樋口さんが二人ほど居たはずだ。レコードの相場もわからないから、ひとまず十枚ほどランダムに調べてみた。

 新品だと二千円から六千円のものまで見つけた。気になって中古の棚も見に行ってみると、ばらつきがあるものの、全体としては破格で、五十円から高くても五百円の振れ幅に収まっていた。

 店内をしばらく見て回ったものの、そもそも音楽に興味のない僕が知っている曲は見つからなかった。節目節目で歌った合唱曲や、誰もが知っているような話題曲ですらうろ覚えな現実を思い出して、自分がなんにも知らない馬鹿に思えてきて、なんだか哀しい気分になった。


 ふと周囲を見渡してみると、ベレー帽の男は店員と楽しそうに話をしている。店内何処からでも聞こえる程の大声で話しているにもかかわらず、何を言っているのか全く理解できなかった。


 ベレー帽を観察していても仕方ない。何にもわからないから、いっその事俗に言う「ジャケ買い」を実行しようと考え、可愛い女の子でも見つけてみようと洋楽のポップスコーナーに足を進めた。


 まっすぐ通った硬い鼻筋に若干濃い眉毛。キリッと結ばれた唇はワインレッドに輝いている。かきあげられたブリュネットっぽいブロンド髪は、無造作に垂れて左目を隠している。イメージは完璧だ。

 これほど心躍る瞬間は、今まで経験したことなかったかもしれない。ドンピシャな歌手はなかなか見つからないが、パラパラと一枚づつめくって、気になった盤は抜き取って傍らにキープする。押しの強い外人の顔が一面にデザインされた盤などもあり、なんとも言えない迫力があった。


 一つ目の棚にはあまりめぼしいものがなかったが、二つ目の棚の一枚目を持ち上げた瞬間、あらゆる思考が停止した。

 重たそうな瞼は上品に瞳を覆い、柔らかそうな唇はどこまでも濃い赤で塗られている。こちらを見下すように突き出された顎は、どこまでもシャープなラインを提示していた。艶のある黒髪は先端の一部だけピンクに染められ、自らの首を絞める右手は何よりもしなやかだった。今まで想像すらしなかった世界がそこにあった。魅惑的な光彩に目をやると、深淵に引きずり込まれるようだった。

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