0100110111100100001は逃げた

ブリモヤシ

第1章

第1話 デジタル土方の会社に入社

 勤めていた商社を辞めて、二年間猛勉強し、僕はやっと、憧れていたコンピュータ・プログラマになれた。だが、研修を終え、自分の席が正式に決まってから三日目に、おまえは人生を間違えた、と先輩に言われた。

「は……?」

 僕は、目の前で落ち着いてコーヒーをかき混ぜる越谷さんに聞き返した。彼は会社で席が向かいの先輩で、髪は真ん中分け、ムーミンのように太っている。

「だから、バカだって言うの」彼は上目づかいで僕を睨んだ。

 ……仕事中に、わざわざ喫茶店に連れ出しておいて、いきなりバカはないだろう。

 一応全国で名の知れた大学を出た僕は、一部上場の丸友物産に入社し、数年前までは、多少の自惚れを差し引いても、エリートコースの入り口に立っていたのだ。プログラマへの転職は、飛び込み台から飛び込むような気持ちだった。

「バカ、ですか?」

「君さァ……さっき、商社なんかには将来性無いからうちへ来た、なんて言ったけど、うちなんて、もっと将来性ないんだぜ」彼は口先で笑い、人さし指で、落ちかけたメタルフレームのメガネをずり上げた。「だって、あるわけないじゃん」越谷は喫茶店の中を素早く見回してから、声を少し低くする。「うちみたいな下請けの、そのまた下請けの、その下請けの下請けみたいなところに、何があるっていうんだよ。何もないでしょ」

 僕は、この先輩が何を言っているのかわからなかった。入社面接では、東芝やNECなど大手一流企業から仕事を受けている、としか聞かされていなかった。

「……でも下請けだって、ちゃんといい仕事をすればいいんじゃないですか? コンピュータ産業は、今、一番伸びているわけだし」

 その年は西暦1999年、不況のただ中でコンピュータ業界だけが猛烈な勢いで伸びていた(※1)

 越谷は苦笑する。「松岡君だっけ、君、早稲田だよね。それで、丸友物産だっけ?」

 僕はうなずく。

「あのさぁ、言っちゃ悪いけど、川の上流からじゃ、見えないことがいっぱいあるんだよ」教え諭す口調で彼は言った。

「どういうことです?」

 彼の口がへの字に曲がった。笑いをこらえているのだった。「デジタルドカタ、って、知ってる?」

 僕は首を横に振る。

「プログラマのことよ。実態は土方(ドカタ)だからさ。でっかいお城の、石垣積んでるってわけよ。一個一個、手作業で石組んで、出来上がったところで、下の方にある石が気に入らないって得意先に言われてさ、それだけ抜き出して取り替えるわけにいかないから、また全部崩してやり直して、それで工事が遅いって文句言われて、ようやく出来上がったお城は、誰が作ったかって言うと、お殿様が作った、ということになるわけ」

 確かに、一個一個の石のようなブロックを積み重ねていくようなところが、プログラミングにはある。しかも、それぞれのブロックは、相互にきっちりと組み合っているので、途中の一個を変えるとなると、全体が崩れてしまう。

「でも……、工事現場ほどじゃないでしょう? 肉体労働じゃないわけだし」僕は反抗的に笑った。

 越谷は目を剥いた。「君、給料、いくらもらってるの?」

 ぶしつけに聞かれ、僕は言いよどんだ。

「どうせ二十ちょっとってとこだろ? その給料で、何時間働かされると思う? 朝から晩まで十八時間以上だぜ。徹夜だってしょっちゅうだし」

「はあ……」確かに、まだ仕事のない僕が定時に帰る時、部屋の全員が居残っていた「でも、その分残業が付くんだから、いいじゃないですか」

「ハァ?」越谷は、口をポカンと開け、そのままたっぷり五秒間は止まっていた。

 馬鹿にしやがって。

「残業、つかない……んですか?」前の会社では、それ目当てで居残る奴もたくさんいた。「それって、法律的に違反なんじゃないですか?」

 越谷は、ふふん、と鼻で笑う。「それじゃ、社長にそう言えば? 明日からもう、君の机、無いよ」

 僕はスプーンを取り、ブラックのコーヒーを意味もなくかき混ぜた。動揺していた。僕の人生の行く手に、暗い雲がたれ込めている。カップを持ち上げ、一口啜ったが、何の味もなかった。

「でも……」僕は、とにかく何か反論しなければと思った。「残業しなきゃいけないのは……」

 あんたたちの仕事が遅いからでしょう、と言いかけて慌ててやめた。

「……っていうか、能力があれば」これも慌てて訂正した。「っていうか、能力をつければ、もっといいところにも行けるんじゃないですか?」少なくともプログラマというのは、転職が自由な職業のはずだ。

「君さぁ、プログラマに能力の差があるなんて、思ってるわけ? あるのは、書いたものがちゃんと動くか動かないかだけ。君が書こうが、他の誰が書こうが、差なんか無いの。だからさっき、デジタル土方って言ったじゃない。石積んでくのに、差なんか出る? みんな同じよ。きれいに積もうが、汚く積もうが、崩れなきゃいいんだよ。まさか君さあ、きれいなプログラム書くことが才能だとか、思ってるんじゃないだろうねぇ」

「いいえ、そんなことは」それは本当だった。今までに、練習問題の整然とした解答例を見て、感心したことはあったが、自分もそういうふうに書きたいとは一度も思わなかった。プログラミングの才能は、整理術とは違うものだ。

「それならよかった。うちにも勘違いしてる奴が、約一名いるけどさ……」

 誰だろう?

 越谷は続けた。「君、今二十八だろ?」

「二十七です」

「歳なんかどうでもいいんだけどさ、ただ、先は短いぜ。わざわざ一流の商社から移って来た君に言いたくないけど」彼は顔を崩してヒヒヒと笑い「行くか」と言って立ち上がった。

 彼は、腹でテーブルを押しのけて通路に出、ゆうゆうとレジを通り過ぎ、喫茶店の外に出た。伝票は僕に残された。僕は、肉がつきすぎてなで肩になった彼の背中を見つめ、心の中で繰り返した。……あの人がそう言っているだけだ。ひとりの先輩が、そう言っているだけなのだ。


(※1 1999年、世界におけるパソコンの推定出荷台数が1億台を超え、その後もさらに伸び続けた。プログラマという職業は、需要はあったがほとんど知られておらず、合コンで「私プログラマです」と自己紹介されても、はあ、としか言いようがなかった。現在はブラックな職種として有名だが、当時、その現実は覆い隠されていた)



 それから一週間ほど経つと、越谷の言っていたことが嘘でないと分かった。

 僕の部署には六人のプログラマがいて、パーティションボードで仕切られた各自のデスクで、全員、夜十一時過ぎまで働いていた。隣の部屋のプログラマたちも同じだった。越谷のロッカーには、寝袋が入っていた。月曜日、朝一番に出社すると、机の上にハンバーガーの紙袋と紙コップが散乱していて、土日にも誰かが仕事をしに来ていたことが分かった。

 やがて僕も十二時三十六分の終電で帰るようになったが、五月の給料日になって明細を見ても、残業代は付いていなかった。

 仕事はまるで面白くなかった。出来上がったプログラムを点検するような仕事や、先輩たちが書いた核になるプログラムの隙間を埋めるような小さなプログラムを書くといった仕事ばかりだったので、面白くないのも当たり前だった。自動車のエンジンに例えれば、先輩たちが作っているのはエンジン本体やトランスミッションであり、僕が作っているのは、ボルトやネジだった。

 僕は、先輩たちが書いたソースコードを、禁じられてはいたが、コピーして家にまで持ち帰り、読んで勉強した。実際に企業で稼働しているシステムの、生のコードを見るのは初めてだったので興奮したが、よく読んでみると、そこに新しいアイディアは何もなく、ただ決まりきったパターンが、気が遠くなるほど積み重ねてあるだけだった。

 そのせいで、プログラムは何千行という膨大さになり、複雑な機能を持つことになる。こんなプログラムの、一部分を担当して、将来自分も徹夜することになるのかと思うとやりきれない気持ちになった。テレビで見た、中国の電子部品工場の様子が頭に浮かんだ。ラインを流れて来る部品をひたすら組み立てる女性作業員と、自分の姿が重なった。

 気になる人間がひとりいた。僕の斜め向かいの席にいる彼は、どう見ても、社内いじめに合っていた。社内の回覧板は彼を抜かして回されていたし、打ち合わせは、彼がいない時を狙って始められた。彼が遅れて会議室に入って来ようものなら、皆、ピタリと話をやめ、彼が席に座るまでの一挙一動に冷たい視線が注がれた。

 彼が自分の席を離れている隙に、周囲の誰かがコンピュータをロックして使えないようにしてしまったり、LANコードを抜いて社内ネットワークから外してしまったりという、低次元ないたずらもしょっちゅうだった。そんな時、途方に暮れる彼を横目で見ながら、皆、しらんぷりをし、わざと聞こえるようにクスクス笑うのだった。いじめを率先しているのは、部署で最年長の越谷だった。

 彼がなぜいじめられているのか、僕にはわからない。背が高く、痩せていて、電信柱のようだったが、それだけのことでいじめられるとは思えない。彼の顔は通販カタログのモデル程度の二枚目だったが、前歯の脇に詰め物がしてあって、それが、相当腕の悪い歯医者に行ったらしく、不恰好に盛り上がって、飯粒がはさまっているように見えた。歳は僕と同じくらいで、名前は空井という。彼だけが、いつも早々と夜八時に帰ってしまうが、特に仕事を遅らせているわけでもなかった。

 彼のことが気になったのは、ただいじめられていたからという訳ではない。彼がいじめられた時に見せる、あきらめきった明るさのようなものが、妙に気持ち悪かったせいだった。

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