第58話 影の護衛者

「ここにいたのね、麗奈」

 その声に振り向くと、亜里紗が呆れたように腕組みをして立っていた。

「全く、いいご身分ね?いつもいつも庭でのんびりと。薄血うすちのあんたを

 20年以上もお母様とお父様が育ててくださっているっていうのに!

 あんたは何もしないで庭を散歩?ティータイム?花を愛でる?…いい加減にしなさいよ!

 もうあんたは子供じゃないのよ?役割を果たせ、って言ってんの」

 というのは、崎本家でよく使われている言葉。血の繋がらない人間のことを指す。

 麗奈の腕をがっしりと掴んだ亜里紗は、麗奈を地面へ思いっきり放り投げた。

「いたっ…」

 麗奈は膝を擦りむいて出血していた。体育座りになって傷を確認している麗奈に

 亜里紗は背後から馬乗りになり、地面へ押し付けた。

「いたい…お姉様、痛いです…」

 麗奈は泣きながら亜里紗に訴えたが、無駄だった。

「痛い?少しは私の苦しみもわかってくれた?この泥棒猫が!」

 亜里紗は麗奈の右手を自らの靴で踏みつけた。

「…っ、い、たい…」

 途切れ途切れに聞こえる、麗奈の弱々しい声。

「あんたが悪いのよ?私の勉さまを、横取りするから」

「よ、横取りなんてしてません」

「あんたがいなけりゃ、勉さまは私のものになっていたのに…!

 それをあんたがことごとく邪魔したのよ?その責任だけはしっかりと取ってもらうから」

 痛みに呻く麗奈の手から出血しているのを見た亜里紗は、麗奈の手を解放した。

「泥棒猫にはこれがお似合いよ」

 亜里紗の高笑いと足音が遠ざかっていくのが、麗奈にはわかった。

 気付けば麗奈は、泥だらけになっていた。

「い、たい…」

 地面に力なく女の子座りをした麗奈の目からは、涙が次から次へと溢れ出した。

 滲んだ視界に入ってきたのは、麗奈の目の前に差し出された大きな手。

 麗奈が見上げると、そこには黒いキャップを目深に被った黒いパーカーを着た青年が、

 しゃがみこんで麗奈の目の前に手を差し伸べていた。

「トモくん…」

「大丈夫か?」

 麗奈は差し伸べられた手を、そっと握った。

「うん、ありがとう」

「ひでえこと、しやがる…」

 パーカーの青年は悔しさを顔に滲ませ、唇を噛んだ。

 青年に手を引っ張られて立ち上がった麗奈は、くすっ、と笑った。

「なんだよ、俺のことを見るなり笑って」

「ふふ、ごめんねトモくん。でもね、今日も黒い服なんだなって」

「別にいいだろ?気に入ってんだよ、この服」

「そうみたいね。トモくんその服、結構着てるもんね」

「まあな…って、とにかく汚れ落とさなきゃな」

 麗奈の服についた泥や土埃を青年はぽんぽんと手で払った。

「あーあ、顔もこんなに汚れて…」

 青年ら麗奈の頬に触れた。

「大丈夫。トモくん、本当にいつもありがとう」

「いや…そんな礼を言われるようなことじゃねーし」

 青年は帽子のつばを更に下げたが、口角は上がっていた。

「なーに、照れてんだよ、兄貴」

知広ともひろ

 青年は背後の存在に気づき、後ろを振り返った。

「トモくん?」

 麗奈は、青年と知広という男性を見比べた。

「麗奈お嬢様、申し遅れました。僕は、崎本家にお仕えしている使用人の、知広と申します。

 こちらの黒ずくめの不審者は、僕の兄でございまして」

 知広は麗奈の前に跪きながら言った。

「おい」

「なんだよ、兄貴」

「黒ずくめの不審者とは、よく言ったものだな?兄である俺のことをよくも…」

「事実だろ?」

「…それはまあ、そうだけど」

「ふふっ、否定しないのね」

 麗奈が楽しそうに笑うので、知広と青年は顔を見合わせた。

「あっ、そういえばトモくんはなんて名前なの?

 そういえば私、トモくんってことしか知らない…」

 麗奈はぎゅっと唇を噛んだ。

「…智和ともかず

「とも、かず…」

 麗奈は智和の言葉を繰り返した。

「…トモ、でいいから。いつもみたいに、トモくん、でいい」

「いいの?」

「いいに決まってんだろ」

「うん、わかった。トモくん!」

「…ん、」

 麗奈の微笑みを一瞥し、智和は直ぐに目を逸らした。

 知広だけが智和の頬が染まっていくのに気付いたが、

 鈍感な麗奈には智和の赤面に気がつくことはなかった。

「知広、麗奈ちゃんのことは頼む」

「ああ、あとのことは任しとき!」

「お前な、方言わざわざ出さなくていいから」

「はいはい」

「どこの方言なの?知広くん」

「えーっとね、」

「いや、言わなくていいから!いいから早く戻れよ。

 麗奈ちゃんも早く着替えしろよ…ほら、行った行った!」

 知広はくくく、と笑いを堪えながら背中をぐいぐいと押し

 屋敷の方へ向かわせる智和をちらりと見た。

 早く行けと言う割には、麗奈の背中に優しく触れて離したくなさそうな顔を

 しているじゃないか、と知広は思った。

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