ハーフ・ゴースト

島流十次

僕/アルバート・レイノルズ

 あの日は僕の五歳の誕生日だったけれど、もちろん朝食は普段通り僕の大好きだったチョコレイトのシリアルだった。そして僕と同じく、それを僕の隣の席で食べながら、僕の口の周りにできていた牛乳ひげをティッシュで丁寧に拭いて、呆れたようなやさしいいつもの笑みを浮かべていた母。


「きれいに食べないと、女の子にきらわれちゃうわよ」


 そう言ったコンマ二秒後、彼女は自分のシリアルの皿の中に顔を突っ込んで死んだ。


 それは突然で、一瞬の出来事だったが、僕の人生の中での大きな出来事になるには十分だったし、十分すぎた。


 母の死因について父と詳しく話す機会はその日から僕が約十三年間生きてきて一度たりともなかったが、病名は急性心筋梗塞かなにかだったと思う。


 驚いて、母が皿に顔を突っ込んだことにより僕の顔に飛び跳ねた白い牛乳を服の袖で拭ったあと、僕は冷静に判断した。


 母は死んだ。


 それからまた冷静に思い出した。


 服の袖で汚れを拭ってはいけないと、母はよくぼくに注意をした。


 僕は数秒間黙って、テレビを見ながらシリアルを咀嚼した。


『愛するひとを、愛するひとのままで』


 その当時よく放送されていたCMの有名なそのフレーズを耳にしつつ、数日前に虫歯へと姿を変えた奥歯でシリアルを噛みしめているうちに、母が死んでしまった、という事実をようやく一大事であると受け止めることができて、僕は泣きながら洗面所にいる父のもとへ駆け寄った。


 父は歯を磨いていた。僕から母に何が起きたかきいた父の手から歯ブラシが落ちた。


 父は、口の周りに微かについていた歯磨き粉をスウェットの袖で乱雑に拭って、それから慌てて母のもとへと駆け寄った。


 皿に顔を突っ込んでいる母の姿を約二メートル離れたところで目の当たりにした父は、静かに涙を流していた。

 

 人が死ぬのを見たのは、これで一度目だ。二度目は、ステイルおばさん。ステイルおばさんは、僕の家の隣の、緑色の屋根の家に住む、やさしいおばさんだった。


 僕はおばさんに赤ん坊のころからお世話になっていた。母と父が用事や仕事で忙しく僕の面倒をみれなかった日は、よくおばさんの家に遊びにいった。おばさんは数年前に息子を病気で亡くしていたこともあって、僕のことをとびきりかわいがってくれていた。よく、おばさんのお手製のホワイトシチューなんかをごちそうしてもらっていたっけ。ステイルおばさんの旦那にあたるルイおじさんは、無口で、僕が十八歳になった今でも見かけたら会釈をしたりその日の天候について軽く話し合うだけの仲だけれど、昔から決して悪いひとではないし、口元にはいつでも優しい笑みが浮かべられていて、幼かった僕も彼のことを「いいひとだ」と思って安心していた。


 ステイルおばさんは、車に撥ねられて死んだ。僕が小学校エレメンタリースクールから帰宅しようとしていると、道路を挟んだ向こう側にストアからの帰り際のおばさんの姿をたまたま見かけて、大きな声を出しておばさんのことを呼ぼうとしているときだった。


「おばさん!」と呼ぼうとしていたと思う。

 僕が「おばさん」の「お」を発するのと同時に、ステイルおばさんは僕に気がついて、数メートル離れた僕のほうを笑顔で振り返った。


 ステイルおばさんが数メートル離れた僕のほうを笑顔で振り返ったのと同時に、異常なまでのスピードを出した大型トラックがまるで飛びこむように走ってきて、おばさんのほうに一直線に突っ込んでいった。


 母がシリアルの皿に顔を突っ込んで命を落としたのと同じでそれは一瞬のことだったから、僕は何が起きたのかまた理解ができなかった。


(おばさんも何が起きたのか理解できていなかっただろう)おばさんは僕に向けたあの優しい笑顔のまま宙を舞い、吹っ飛ばされた。


 おばさんがどのタイミングで死んだのかはわからない。トラックにぶちあたったとき? 宙を舞っているとき? それとも、身体全体を強く打ちつけて道路に着陸したとき? ――あまり考えたくはない。しかしとにもかくにも、おばさんはあの笑顔のまま死んだのだった。


 もうどうしようもないことなので、これもいまとなってはどうでもいいことのひとつに仲間入りしたことだけれど、おばさんを笑顔のまま跳ね飛ばしたトラックの運転手は、てんかん持ちだったという。その運転手も、おばさんを殺してしまったあと、電柱にぶち当たってすぐに死んだ。僕の目の前で。



 愛する母の死、愛する隣人の死(それと、見知らぬトラックの運転手)。


 それによって、死は僕にとっても――だれにとっても――身近なものなんだと、意識することができた。まるで小学生の書く作文のような感想になってしまったけれど、本当にそうだ。


 しかしそれは母もステイルおばさんも子供だった僕にとってショッキングな死に方をしたことによって植えつけられた自覚であるだけで、もし、母やおばさんがたとえば病院で病死を遂げ、またたとえば家で安楽死を遂げたのであったとすれば、確実にぼくの頭にそのような意識の芽は生えなかっただろう。


 なぜかというと、それは僕の暮らす国、USAでの死者の埋葬方法が、若干だが、変わったからだ。


 それはまるで、テレビがブラウン管から薄型液晶テレビに変わっていったかのように、僕が小学生になりはじめたころから、USAでの埋葬方法は変わっていき、そしてそれが当たり前のように浸透していった。


『愛するひとを、愛するひとのままで』。


 これがUSAで当たり前になった埋葬方法だ。


 もう最近はやっていないし、当然、やるまでもないのだが、これは昔よく放映されていたアペアスポイル社のCMや広告での有名なうたい文句だ。


 そう、母が死んだ直後、テレビを見ながらシリアルを食べ続けていたときに耳にしていたあの言葉こそが、アペアスポイル社のこれだ。


 ここまで言っておいたあとで言うのもどうかと思うが、従来の埋葬(土葬)と比べてとても大きく変わった、ということは特にない。(変わったのはたしかだけれど)


 僕も詳しく知っているわけではないが、一般的に土葬をする際、エンバーミングというのが行われる。エンバーミングというのは防腐処理のことで、遺体衛生保全とも呼ばれ、たとえば日本などではたしか火葬なのでエンバーミングにおいてはあまりなじみがないだろうけれど、とにかく、我々アメリカ人の肉体は、たとえコカ・コーラやピザでどんなに肥えて醜いものになっていようが死んだらとりあえずエンバーミングという――美しくされる――処理にお世話になる、ということだ。


 表情を整えられたり/血を抜かれたり/化粧をされたり/防腐剤を注入されたり。


 そんなことをされて、僕らの死体はしばらく腐らずに残る。


 しかしそれにだって限界はある。肉体は、いつか腐るのだ。まるで生きていたころのようにそのまま肉体を保存するだなんて、不可能に近いのだ。


 でも、それは昔の話だ。

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