終幕 2

 ――というのが、叔父から聞いた、今回の一連の騒動のあらましだった。


 結局のところ、叔父とダナン副団長は、旧知の間柄だったらしい。

 以前に聞いた、叔父の知り合いというベルデン城郭都市の元門番のカルドさんは、元々ダナン副団長と昔馴染みであり、その縁もあって3人で飲むこともしばしばあったとか。

 月光灯花のエキスについても、スタラさんから宿屋の双子、双子からカルドさんの息子のエルド、エルドからダナン副団長を伝って、騎士団長の下へ届けられたそうだ。


 そういうことだったのなら、ダナン副団長が店に押しかけ、同行を求めてきたときに素直に従っていたほうが面倒はなかったかもしれない。


 ただそれでは、合わせ鏡の悪魔との対決のときに、騎士団長が来るタイミングが合わず、痛手を与えることができなかっただろう。

 そうなると、最悪、まだ死傷者が出ていたかもしれない。


 でも、あそこまで連中を追い詰めなければ、フェブが心に傷を負うことはなかったかもしれない。


 たらればを言い始めると堂々巡りだ。

 すでに終わったことなのだから、詮無きことには違いない。


 あの後、騎士団長を初めとした騎士団は、ベルデンに引き上げていった。

 マドルク副団長の死の真相、心を病んだフェブのこと、元凶たる合わせ鏡の悪魔を取り逃がしたこと……複雑な思いが交差していたことは、察するに余りある。


 特にカーディス騎士団長の無念っぷりは酷かった。

 思い詰めた表情に、切腹でもするのではと本気で心配したほどだ。


 そして、今回、もっとも心に深刻なダメージを負ったフェブだが――


「アキトさま――ではなく、アキト店長! この荷物はどこに置いたらよいのでしょうか?」


「それは、そこの棚にお願い。重いから気をつけてね」


「わかりました! お任せを! あ、っとと。ふ~、危ない危ない。転ぶところでした」


「フェブ。一気にやろうとしないで、小分けにしてやったほうが効率もいいよ」


「了解しました! 店長!」


 フェブは律儀に敬礼して元気よく返事していた。

 実に爽快な顔で嬉しそうに働いている。


 身分柄、働くことに慣れていないため、やることなすことがすべて目新しく、楽しいらしい。


 フェブは、次期領主としての見識を深める一環として、こうしてシラキ屋を手伝うことになった。

 名目上は、領民の暮らしを肌で感じるため、だ。

 今では双子の宿屋に部屋を借り、通いの生活を続けている。


 あの日、フェブが絶叫と共に倒れ――次に目覚めたフェブは、あの日の出来事を一切覚えていなかった。


 マドルクさんのことも、フェブの中では、これまでと変わらずベルデンにいることになっている。

 騎士団の副団長としての重責をこなし、日々忙しくしていると。だから、会えないのは仕方ないのだと。


 心が壊れる寸前、生物としての防衛本能が忘れさせたのか、あえてフェブ自身が記憶に封印をしたのかは、当人ではない俺にはわからない。


 どちらにせよ、あのままでは確実にフェブは壊れていた。

 それを思うと、この状況も悪いことではないのかもしれない。

 少なくとも、フェブが心身共に成長し、その現実に耐え得る力を身に着けるまでは。

 それまでは、この仮初めの生活もいいだろう。


 ただ、俺にはもうひとつ懸念がある。

 それは、あの騒動の翌日のことだった……





 夜、俺はひとりで家の外を散歩していた。


 家からほんの数十メートル離れた場所では、まだ地面に刻まれた戦闘痕が生々しい。


 今回のことは、いろいろと考えさせられた。

 特に、あの合わせ鏡の悪魔と呼ばれる魔族――あの魔族の言動が妙に引っ掛かった。


 俺は手近の石の上に座り込み、なにをするわけでもなく、夜風に吹かれて星空を眺めていた。


「やあ、アキトくん」


 思いがけない声に、思わず石から飛び退いていた。


 ここにいるはずのない、居てはいけないものが、そこにいた。


「おまえ――」


 夜闇でもわかる、銀の瞳。

 長い銀髪を風になびかせながら、妖美な男がすぐ傍に立っていた。


「あ。大声を立てるのはやめてほしいな。結界を張っているとはいえ、家にいる勇者や獣人に悟られるかもしれないから。そうしたら面倒だ、おちおち立ち話もできないだろう? 大丈夫、ボクはきみに危害を加える気は、これっぽっちもないから。ボクはきみと話をしにきただけだよ」


 やけに親しげな調子で、男魔族は語りかけてきた。


 戦意がないことを証明するかのように、両腕を大きく広げて掲げている。

 その肩口に、あれほど重傷だった昨日の怪我の痕跡はない。

 得体の知れないことにこそ、恐怖を感じた。


 家に助けを求めるか迷ったが、この男魔族が殺す気ならとっくに死んでいる。

 その事実を認識して、話に乗ってみることにした。


「……俺になんの用だよ?」


「その前に名乗らせてくれないかな。昨日は少々ごたごたしていたから、名乗る暇もなかったからね」


 あれを、ただの『ごたごた』で済ますのか……


「ボクの名前は、リシェラルクトゥ。序列3位の魔族さ。長くて呼びにくかったらリシェラでいいよ。アキトくんなら構わないから。それと、昨日一緒にいたのが序列4位のリセルエスクゥ。ボクの双子の妹だよ。また会う機会もあるだろう。そのときはよろしくしてやってくれないかな」


 序列3位と4位。予想以上の高位魔族。

 序列1位――すなわち魔王は魔族に存在しないので、実質、序列2位のラスクラウドゥさんに続く、魔族全体のNo.2とNo.3となるわけだ。


「そんな魔族のお偉いさんが、どうしてわざわざ俺に?」


「だって、ボクらは同好の士だからね。あらためて挨拶くらいはしておこうと思ってね」


「……は?」


 意外な言葉が飛び出した。


 誰と誰がなんだって?


「そんな不思議そうな顔をしないでもらいたいな。だってそうだろう? きみは昨日、核心を突いてみせたじゃないか。それができるってことは、ボクの心情が理解できているということ。ひいては、きみも同じ思考を抱いていることに他ならないんだよ、アキトくん」


「そんなわけないだろっ!? 人の命をなんとも思わないあんたと一緒にするな!」


 思わず声を荒げると、リシェラルクトゥは唇に人差し指を添えてみせた。


「もう少し声量を抑えよう、ね? では、逆に訊くけれど。どうして、そんなふうに忌むべきはずの悲劇を、きみは”面白い”、”面白くない”で表現したのかな? こんな悲劇なら面白い、この悲劇なら面白くないと考えたことがあるんだろう? だったら、ボクとどこが違う?」


 それはあくまで、架空の物語として見たときの話で――


「さらにはもうひとつ。きみは、この世界で起こることを現実と認識していない節がある。なんというかな……必死さが足りないんだよね。1歩引いて、余所事のように世界を見ている。この世界は本来の自分の世界ではない。だから、本質的には関係がない。そんな感覚を抱いたことはないかな?」


 それは、ここが異世界だから――

 とは口には出せない。出してしまうと、言い分を認めてしまうことになる。


(俺はこんな奴とは違う! 同じなわけがない!)


「ボクもね、正直こんな世界はどうでもいいんだよ。いっそ滅びてしまっても構わない。すべてが色褪せて、退屈な世界だ。だから、少しは盛り上げて楽しみたいと思うのは、至極当然のことじゃないかな?」


「俺はそんなこと……思っていない」


「ああ、別に同意を求めているわけじゃないんだ。前置きが長くなってしまったね。他人と話していて、こうも高揚するのは初めてのことでね。いささかボクも浮かれているらしい」


 リシェラルクトゥは妖艶な笑みを浮かべて歩み寄ってくると、俺の肩に手を置いた。


「実際、きみは一連の騒動で、中心的人物ではないのに常に中心付近に居て、いくつもイベントを起こしてくれたろう? 今回は残念ながら途中で終わってしまったけれど……ボクが魔族側を、きみは人間側でイベントを起こし続けてほしい。そして互いにゲームを盛り上げよう。ボクにとってきみは、対等な価値観を持つ得がたき稀有な存在だよ。いつか、別の遊戯盤でまた遊ぼう。楽しみにしているよ、アキトくん」


 そのまま、リシェラルクトゥがすれ違う。


 振り返ったときには――すでにリシェラルクトゥの姿は闇に溶け、どこにもなかった。

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