第30話 過去の影-5
その後もユリアンは不定期に仮宿を訪れた。
ジョサイアがどんなに素っ気ない態度でいようと気に留めず、ごくありふれた他愛もない世間話をして帰っていく。
相手が明らかに関心を寄せず、聞き流していても構いはしない。
何をも要求されず、ごく普通の隣人のように扱われるなど今まで経験がなく、歓迎も拒絶もしかねた。
「果実と木の根が悪いわけじゃないが、そればかりでもつまらんだろう」
最低限の栄養を口に運ぶだけの食生活と知るや、ユリアンは買い手のつかなかった作物や余り物の干し肉を置いていった。
お節介と厚意によるものだったが、ジョサイアは裏のある行動だと疑い、手をつけず獣の餌にした。
ほどなくして食料が無駄になったのを知るとユリアンは大げさに落胆し、分け前を譲るのも大変であったのにと不満を漏らした。
二度と持って来ないかと思いきや、後日、新たな食材と共に携帯可能な調理道具を持ち込みジョサイアの目の前で料理をし始めた。
最もよく作っていたのは、香草と根菜を水で煮て干し肉を加えたスープだ。
器に盛るところまで彼が担い、ジョサイアが食べるまで帰ろうとしなかった。
「何故、世話を焼く? 家族がいるなら、そちらに食べさせれば良い」
「あいにくと俺は身内以外の幸せも重視したいものでね。君を放置すべきではないと判断した。見返りなど望まん。偽善と思うなら、それでいい」
ジョサイア自身の心配というより、目に余った行為をしないか監視する目的があるのだと思った。
余裕のない人間は何をしても不思議ではない。
「気付いているかもしれんが、紛争地帯ばかり目にしていると常識がずれ込むぞ。数十年前はともかく、今は平和を維持すべきと思う者の方が多い。一度、対等な目線で旅をしてはどうだ。君にはまだ、時間があるんだろう」
喋る内容こそ皮肉めいていたが表情は柔らかく、眼差しには迷える友と接しているような真摯さがあった。
幾人もの人間をためらわずに殺めたことを言外に咎めている気もした。
彼の推測通り、ジョサイアは自分以外を同列に捉えた覚えなどなかった。
肉親の顔や名前すら記憶の中に埋れて久しく、思い出す気も薄い。
出迎えるのも当たり前になってきた頃、ユリアンは帰り際にさらりと交流の終わりを告げた。
「妻が産気づきそうなんだ。明日には君の願いを叶えるとしよう」
家族に手を出させないための義務的なやりとりと知っていたはずが、初めて一抹の寂しさを感じた。
しかしユリアンは翌日を待たず、ジョサイアを浅い眠りから起こした。
大事そうに抱えていた布の中には、血の流れが悪いのか全身赤黒くなった赤子が収まっていた。
頬を撫でようと軽く揺すろうと、ぴくりとも反応を示さない。
「外を知らずに死んでしまった……かわいそうな子だ」
誕生を待ち望まれていた彼の子は、母親の身体から出た時すでに息をしていなかった。
ユリアンの妻は出産の痛みと悲しみのあまり気を失い、産婆に容体を診られているという。
血縁者でなくとも、夫妻がどれだけ心を砕いていたか度々聞かされていれば少なからず同情する。
冗談か本気か不明だが、名前の案を出すように言われた日もあった。
なぜ自分のところに連れてきたか分からないまま、ジョサイアはいつかの戦争で兵士を看取った時のように小さな遺体の様子を確認した。
血液も魔力の流れも完全に止まっており、霊魂の残滓も感じ取れない。
ジョサイアの知る限り、蘇生魔法は世間一般が思うような死者を蘇らせる禁術ではなく、生命力が尽きようとしている者に踏みとどまるだけの余力を与える代物だ。
仮に赤子の身体に魔力を巡らせて活性化を図っても、空の肉体を欲する魔物や死霊に取り憑かれるだけだろう。
「……魂は既にここにない。死霊払いをしてから、墓で眠らせた方がいい」
似非の聖職者にすぎないジョサイアが祈るより、村に赴任しているはずの神父に頼むべきだと続けて言うとユリアンは絶望のにじむ表情を浮かべた。
おそらく、神父や産婆にも同じことを言われたからこそ、一縷の望みをかけてここに来たのだろう。
ユリアンは腕の中の赤子とジョサイアの曇った顔を交互に見比べていたが、やがて深い息をつき、ぐっと眉根を寄せた。
「以前、君は言ったな。生まれ損なった竜の子の魂を持っていると」
「……何が言いたい」
「君は魂の器を欲している。そして、ここに不幸にも空になった肉体がある。掛け合わせれば、あるいは生命として動き出すかもしれない」
魔物と人間を一つに融合させようというその提案は、ジョサイアがかつて目指した肉体の再構成をもしのぐ禁断の領域だった。
何が起こるか、そもそも成功するかも全く予見できない。
「僕に嵌合体(キメラ)を作らせるつもりか! 子供の殻を被った竜と知って育てる者がどこにいる!」
実験に失敗した被験体の有様と襲撃を受けたヴェアトの最期が脳裏に浮かび、ジョサイアは激昂した。
だが、ユリアンはあくまでも冷静な態度を崩さない。
「どのみち、いま試さなければ二つとも失われる。子供の身体は言わずもがなだが、杖の中の魂もいつまでも留めてはおけないだろう」
訪れた死を否定し、どのような形でも生かそうという強固な意志は、ともすれば悪魔の誘いにも似ていた。
魂の混濁を危惧する必要のない無垢な容れ物など、今後そう見つかるはずもない。
「一度くらいは助ける側に回らないか、救い主(ジョサイア)」
ジョサイアに選択の余地はなかった。
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