第24話 変容するマーシャリア

クードレットの祝辞はそつのない挨拶同様、上品かつ明瞭で人の心を動かすものだった。

伯爵の領地に身を置く組合関係者や親類のみならず演説の類に興味の薄い新成人すらも興味深く聞き入り、終了の際には万雷の拍手がわき起こった。

統治者のもとに生まれ、跡目を継ぐ者はそれだけで嫉妬やひがみを受けやすい傾向にあるが、大衆を心酔させるに足る魅力が当人にあれば問題はないのだろう。

逆に彼の後に話をしなければならなくなった組合のトップや各地の町長、村長は多大な緊張を強いられた。

全員というわけではなかったが、あらかじめ用意してあった言葉を失念して紙に頼ったり露骨に言いよどんだりする姿が目立つ。

若年のメニル伯に見せ場を奪われるのを惜しく思ってか、予定していた内容から急激な変更を加えて脈絡なく長々と喋る者もいた。

リジー村の長であるダーチェスはむやみな自己主張を行わず、健やかに育った子供たちを激励し育て上げた親御をねぎらう素朴な人の良さを示した。

いつになく真面目な様子にマーリャだけでなく娘のセルマも感心していたが、隅を歩いて自席に戻る際につまずいて派手に転んでしまい、心配と少しの笑いがもたらされる。

「うちらの方を見て歩いとったけ、滑ったんやろね。足、捻っとらんとええけど……」

よろよろと片足を庇いながら歩く父に視線を送りつつ、セルマは嘆息をもらした。

静かな祈りも済み、ついに授与と宣言が始まる。

全体における人数が少ないからか、印章指輪(シグネットリング)を受け取る者から先に呼ばれていった。

ふと、マーリャの印章について判断に困ったとダーチェスが言っていたのを思い出す。

亡き父親ユンは貴族の血を引いていたが、地位と財産を粉挽き小屋に変えて平民として生きた。

御家再興の目処がたたない場合、通常なら取引上の混乱を避けるために印章指輪(シグネットリング)を返上し、平民と同様の判子を使う。

しかし前領主はユンをあくまでも貴族として扱った。村に移り住んだ後も指輪の所持を許したため、実態はどうあれ書類上は貴族のままだった。

村人であるカミラと婚姻を結んでもなおその部分だけは変更されず、ユンの病死を機に指輪は粉挽き小屋を引き継いだカミラの所有物となった。

「では、次に……ユリアンとカミラの子マーリャ。印章を受け取り、職の宣言を」

愛称でない父の名前を久し振りに聞いた。唯一の実子であるマーリャにも、形ばかりの爵位と簡略化した図案の印章指輪(シグネットリング)が与えられるようだ。

司教の手の上で、印字部分以外に装飾のない小指用の指輪が鈍く光っている。

「はい」

手の甲に痒みを感じながら、マーリャは服の裾を軽く払って人の群れの中から進み出た。

爪で掻いた部分が熱く、ただ歩いているだけだというのに何故かどよめきが起きる。

構わずにいたが、それは決して気のせいではなかった。

皆と同じく形式通りの一礼をすると、老年の神父はひどくたじろいでいた。

しわだらけの顔には脂汗が浮かび、手を滑らせたのか支えにもしていた牧杖を取り落としてしまう。

「何だ、それは……?」

震える声で指差されたのは、ついさっき傷つけた方の手だ。

大げさな言い方だと思ってすぐ、ぐきりと骨の鳴る不気味な音がする。首や肩、肘、膝などの関節が急激に違和感を訴えた。

「……え?」

マーリャは無意識に自分の手を見た。

少し爪の伸びた見慣れた手のひらが、みるみるうちに黒く染まる。

あたかも月日が経って淀みの増した乾留液(タール)を浴びたようだ。

元の色が分からなくなった硬い肌の表面が細かくひび割れ、裂けて鱗状を成していく。

病の再発にしても進行が早すぎる。

怖気が走り、喉奥から吐き気が込み上げてきて床にへたり込んだ。

「マーちゃん⁉︎」

「マーリャ!」

誰のものか分からない聞き苦しい叫び声が響く中、セルマとディアンがほとんど同時に声を発した。

しかし今、そちらを向く勇気はなかった。

全身が軋み、焼けただれて崩れていく感覚にとらわれる。溶けて骨だけになる錯覚すら浮かぶ熱気で思考がまとまらない。

皮膚病どころではない異常を止める手立てをマーリャ自身すら持ち合わせてはいなかった。

歯が不自然に伸びて噛み合わなくなり吸血鬼のように唇からはみ出て、前髪で隠れていた額から不揃いの突起が生えてくる。

触れた頬も手と同じ感触で、服の下も含めて皮膚が変質していた。

激痛と共に服の背中側が破れ、肩甲骨の辺りから腕より長い物体が出てくる。

意思に従って動くそれは、昨夜聴いたものと同じ羽音を立てていた。

丹精込めて仕立てられた衣服が跡形もなく千切れていく。

切れ端が縮んでいくように見えたが、そうではない。

マーリャの身体がありえない速度で肥大化しているのだ。

とうてい手が届かないと感じた屋根が近くなり、人々の姿が怯えたうさぎのように小さくなる。

足を動かそうと思って身じろぐと、代わりに尾てい骨の辺りから生えた長い尾がしなり、祭壇の一部を破損させた。

様々な要因で落下したロウソクが教会の中央通路に沿って敷かれた絨毯に引火し、木製の教壇や長椅子にも燃え広がる。

「り……竜だ! 竜が化けてたんだっ!」

知らぬ顔の男が逃げ回りながら声高に訴え、彼に同調して騒ぎはいっそう大きくなっていく。

人間が竜になったのではなく、竜が人間になっていたと判断されたのだ。

人でないと扱われたマーリャはあまりの口惜しさに天を仰ぎ、嘆きを込めて吼えた。

急激に熱されたガラスが咆哮の余波で勢いよく割れ落ちて床に散乱する。

どうやらステンドグラスや小窓だけでなく、最も巨大な薔薇窓まで破損したらしい。

ようやく変化がおさまり痛みが消え、周りを見渡す余裕ができたが、見えるのは出入り口に詰め寄る数多の群衆とそれを追うように広がる黒煙、そして炎ばかりだった。

「おめでとう」

瓦礫をよけてただ一人、近付いてきたエルフの声は不自然なほど日常的な響きをもっていた。

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