第13話 苦薬の気遣い

口直しに貰った水を飲んでいると、ジョサイアはまた吊るしてある生薬を回収し始めた。

材料の種類や名前については未知だが、白っぽい根茎(こんけい)や乾いた花穂、土を落とした後も真っ黒い塊根(かいこん)などを集めている。

「効かなかったら、また成分を変えてみるよ」

調合用の台で乳鉢を使い、ゴリゴリと手早く擦(す)り潰しながら薬棚から出した小瓶の中身を加えていく。

マーリャはおもむろに席を立ち、ジョサイアの近くに寄っていった。

出来る限りの最善策を取ってくれる彼を心からありがたく思いつつも、尋ねなければならないことがある。

「……何日で治るか分かる?」

「うーん、原因不明だからね。希望的観測とか無責任な発言は避けたいかな」

流行り病ではなさそうだという所感も加えつつ、ジョサイアは乳棒を扱う手を止めてマーリャの方に顔を向けた。

「直接的に効果が見込める治療じゃなくて、まだ症状を緩和出来ないか試している段階だ。痛みやその他が一時的に落ち着いたって、無理をすれば病がぶり返すかも知れない。完治させたいなら相当な時間が掛かると思うよ」

眼差しに嘘の気配は感じられない。

きっと治るから元気を出して欲しい、などと根拠もなく言われるよりは、正直に話された方が信頼を置けた。

薬を使ってすぐに治るような代物ではないという言外の見立ても、辛いながら受け止める気になれる。

しかし、納得が出来るかは別の問題だった。

「そいでも、アンギナムには行きたいわ……」

「成人の儀があるからかい? 君の希望はなるべく汲みたいけど……正直、不参加の方が良いと思うよ。もしもお医者さんや薬師(くすし)がいない時に倒れたら取り返しがつかなくなる」

儀礼はあくまでも他者からの認定と、自分自身の指針を決めるためにある。儀式を経ずとも一定の年齢になれば大人として扱われるのだ。

都会に移住するなら身分証明や保証の類いは必須といえるが、村に定住するなら必然性は薄くなる。

今春の機会を逃しても別の形で証書を得て働く者たちも大勢いるだろう。

当然の意見であったが、マーリャは肯定しなかった。

「迷惑になるんは分かっとうけど、一生に一度やき、諦めきれんと」

自力で能動的に動いた結果でなければ胸を張るのは難しい。

儀式に出席出来ずにやむを得ず村に留まったのではなく、儀礼に出て、あえて村に帰るという選択をした。

微々たる違いだが、そういう形を取りたかった。

行っておけば良かったという後悔をせずに済むし、セルマが言っていたように現地の人々の働きぶりに気が変わる可能性もある。

「絶対行くて踏み切りがついた時に動かな、あっという間に生活に追われてしまうわ」

植物や動物など日々変化するものを相手取る農家の暮らしは多忙を極める。

マーリャ自身、合間を縫ってーーなど器用な真似をするのは得意ではなかった。

「……吾が拾い子かもしれんて、誰かに言うた?」

思い出したように探りを入れたところ、ジョサイアは一瞬だけポカンと口を開いた。

何を尋ねられたかすぐには理解出来なかったようだが、我に返るやいなや手を横に振ってみせる。

「まさか、言うわけないよ!」

「せやったら」

マーリャは更に一歩踏み込み、可能な限り凄味を効かせた。

「このまま全部黙っといてくれんね。病気のことも、あんたが大したことないて言うとったら皆が信じるわ」

聖職者に嘘をつくよう願うなど大それていたが、マーリャにその自覚はない。

単純に、秘密を明かさずにいて欲しいと願っての発言だった。

「えぇっ?」

患者本人から誤診を広めろと言われたジョサイアはしばし虚を突かれた様子でいたが、やがて切羽(せっぱ)詰まった表情の意味を解したらしい。

容易に了承しない子供に対するような、困惑の混じった苦笑を浮かべている。

「大したことない、って……安静にしないで普通にお仕事する気なの? 伝染しないにしても皮膚の病気だから、土や泥なんかは避けて欲しいな」

「……皆が忙しくしとうのに、何も手伝わんと家におられんよ」

動物小屋の清掃や山菜摘みだけが冬の仕事ではない。作物こそ育てないが、春の作付けに備えて畑では寒(さむ)起こしを行う必要がある。

クワで土を深く掘り起こして一ヶ月ほど寒気に晒し、土壌(どじょう)に居着いた害虫や病気をもたらす菌を減らすのだ。

共有の畑を全て耕すだけでも重労働で、いつも何日かに分けて行っている。雪の降り方から言って、そろそろ作業が始まってもおかしくなかった。

働き手としての駄々(だだ)にジョサイアは複雑そうな笑みを深くする。

「ダメだよ。少なくとも一週間はおうちのベッドにいてね」

自分の具合よりも人手の心配をするマーリャをたしなめながら、ジョサイアは視線を台の方へ戻した。

追加で小瓶の中の液体を乳鉢に垂らすと独特の粘性がみられ、焦げ茶色の粉末でしかなかった薬が次第に固形化してきた。

「これは鎮痛と保湿の効果があるから、食事前なんかに飲んでおいて」

少々不揃いの丸い塊に仕上がった頃合いで空き瓶にそれらを詰めていく。

「……悪化して腫れ上がるだけならまだいい。膿が出たり、壊死して切断しないといけなくなったりしたら嫌でしょう?」

布と紐で簡単な封を施し、真摯(しんし)な面立ちでマーリャへ手渡す。

左手で薬を受け取ったマーリャは、とっさに布の巻かれた自分の右手をじっと見つめる。

重症化の果てに手足を失う光景を生々しく想像してしまい、背筋の冷える心地がした。

顔色を悪くするマーリャに対し、ジョサイアはきまり悪そうに頭を掻く。

いたずらに脅(おど)す結果になったのを少し悔やんでいるようだった。だが、息を吐いた後にはもう表情が明るくなっている。

「治療がとても上手くいって、お医者さんやその代わりになる人を同伴させるなら行ってもいいんじゃないかな。おじさんも君のことなら全力を尽くしてくれるだろうし、僕のウデが信じられないなら村長に頼んだりして、都から本当のお医者さんを呼んで貰えばいい」

席から立ち上がり、マーリャの肩に軽く手を置いた。手首から肘までくっきりと傷跡が残されていたが、手のひらや長い指は全くの無傷に見える。

接触自体はほんの一瞬だったというのに、彼の体温はどうしてか低く感じられた。

「何にせよ今の最善は、おうちに帰ってゆっくり眠ることだよ、カーバンクル」

教会の出入り口まで見送られ、マーリャは自宅への帰路についた。ずいぶんと話し込んだ気がしていたが、外はまだ日も差していなかった。

母親を起こさないように自分の部屋まで戻り、粗雑に服を着替えて目を閉じるとすぐに力が抜けて寝入ってしまった。

翌朝、食前に件(くだん)の丸薬を水で喉に流し込んでみた。

ただの一度も噛んでいないのに恐ろしいまでの苦味が襲い、幾度となく咳をしすぎて母に誤飲を疑われた。

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