7-5 ~凶弾~
PM4:30。
強い西日が容赦なく地面に倒れたままのアリーシャを照りつける。
「おやおや。魔女の事をちょっと吐いてもらおうと思ったのに。もう気絶ですか?」
相も変わらず癇に障る口調で、ニーデルディアが挑発する。
「大体人間が魔族を庇う義理なんてないでしょう。敵同士なんだから」
ニーデルディアはアリーシャを見下ろしながら彼女の身体を軽く蹴りとばす。数メートル先までの地面に転がされ、呻き声と同時にアリーシャはむせた。
「なんだ。まだ喋る気力があるじゃないですか。もっときつい一発を入れれば自白してくれますかね?」
黒い霧にまみれた右手が上がり、鋭くとがった爪がギラリと西日に反射する。
それが振り下ろされそうとしたとたん、指先に何が硬いものが飛んできて当たった。
「小石?」
飛んできた方角を見ると、ニーデルディアはさも面白そうに目を細めた。
もちろん倒れているアリーシャが投げたものではない。アリーシャは僅かな力を振り絞ってニーデルディアの視線の先にあるものを見た。
それから、昔見た物語でヒロインのピンチにヒーローが駆けつける、というお約束があったな、とふと思った。王子様チックな美青年ではなく、血みどろのジャケットを着た頭の悪い幼馴染みなのが少々不満だが。
「ようやく見つけたぞ! ってなんで総会長、黒いんだよ?」
身体が黒い霧そのそのもののニーデルディアを見て、ジャナルは率直な感想を叫んだ。
「何故黒いかと言われましても、強いて言うなら私が魔族だから? とか言いようがありません。ちなみにこの手の不定形型生物は心臓部である核を破壊しなければ死ぬ事はありません」
「そんな弱点をべらべら喋っていいのかよ!」
「弱点も何も授業で習ったでしょう。尤も、私の核はそこらの剣や魔法では傷一つ付きませんがね」
「し、知ってたさ! けどそれがどうしたってんだ!」
大丈夫か、こいつ。
アリーシャはだんだん不安になってきた。仮でなくてもこの男に戦いの全てがかかっているのだ。
「アリーシャ」
彼女を庇うようにジャナルはニーデルディアとの間に割って入った。
「俺が奴と戦ってる間に逃げろ。お前の事だから無理してでも大魔法ぶっ放そうとしてるんだろ?」
「まあね」
重たい身体をゆっくり起こしながら、アリーシャは言った。
「と、言いたい所だけど無理。戦うのも逃げるのも」
悔しいけど、と付け加えてそのまま地面にへたり込む。実際彼女の気力体力は一般人の限界を超えていた。その上全身傷だらけ。要するにズタボロだった。
イオの時のように魔力還元をすれば逃げられるだけの力は回復するだろうが、その隙を許してくれるほどニーデルディアが甘くないのは分かっていた。早い話、ジャナルはアリーシャを守りながら戦わなければならないのである。
そうでなくても実際、ニーデルディアは執拗にアリーシャばかりを狙ってきた。飛んでくる衝撃波、漆黒の火炎、邪気を含んだ黒きつぶて、無駄にバリエーションの多い攻撃は容赦なく、ジャナルは持てる力を駆使してそれを防ぎきる事に専念する。
「ジャナル、私のことはいいから、あいつを」
「却下! それは絶対に却下!」
とはいえアリーシャを庇う事に手一杯なのは事実である。むしろどちらかというと押されている。
「あー、これじゃ「力」も全然使えねえ! なんであっちだけ手数多いんだよ!」
せめてあと一人増援が来てくれたら、と弱気になったその時、ジャナルの視界の隅に誰かがこちらに向かってくるのが映った。
(あれは!)
フォードだ。あの体格は間違えるはずがない。
天の助け、思いがけない味方の出現に彼の意識がそちらに向けられたとたん、悲劇が起こった。
「!」
遠く、しかも背後から聞こえた銃声とともにジャナルの視界が暗転した。
撃ちぬかれた感覚はあるが、痛みはない。代わりに全身が一気に凍りつくような感覚を覚え、彼の思考は完全に停止した。
微かにアリーシャの絶叫のようなものが聞こえたが、もうそれもすぐに遮断され、今はもう何も感じられない、考えられない。
「間に合わなかったか!」
フォードが呻く。
ジャナルが撃たれた方向を探ると狙撃者の位置はこの校舎の向かいにある錬金術科の校舎。それも照準が合わせられるスコープの付いた銃で狙撃したのだろう。今更それが分かった所で何もかも手遅れだが。
ジャナルは倒れたまま動かない。呼吸はかろうじてあるので死んではいないが起き上がる気配はない。
「ジャナル! っうわっ!」
駆け寄ろうとしたフォードを容赦なく衝撃波が襲う。
「この子の追試以来ですね、フォード・アンセム。その様子だと彼に撃ち込まれた物が何なのかわかっているみたいですね」
「お前がルルエルを利用していた事もな」
起き上がりながらフォードはニーデルディアを睨みつける。
「あなたはいつだってそうだ。楽な道があるというのにそれを選ぼうとしない。2年前に私についていけば
「お前に屈するくらいなら死んだ方がマシだ! お前の陰謀のせいでどれだけの人が傷つき、苦しんだと思ってるんだ!」
「これは心外な。勝手に人の手の平で踊っていただけでしょう?」
そして笑い出すニーデルディア。ひとしきり笑ってから片手を宙に上げ、一気に振り下ろした。
「フォード、危ない!」
アリーシャがいち早くそれに気づくが、遅かった。
ニーデルディアの手が、フォードめがけてまっすぐに飛び、彼の首を掴み上げた。繊細で綺麗な手からは想像もつかない握力でギリギリと締め上げていく。
振りほどこうにも、ニーデルディアの腕の部分は霧状なので掴む事もできず、実体化している手首より先の部分はフォードの首に張り付いて、引っぺがす事もできない。
「これでやっと私の悲願が達成できるのです。大人しく寝ていなさい」
もう片方の手が伸びたかと思うと、指先が刃物のような形に変形し、フォードの身体を切り裂いた。
なす術もなくその場に崩れ落ちるフォード。抵抗する力が残っていないと判断した所でニーデルディアは彼を解放した。
「フォードッ! 冗談でしょ!」
「もう起き上がる程に回復したのですか。魔女の事について色々聞きたかったんですが、アドヴァンスロードが手に入った以上、もう用はありません」
とどめとばかりに、アリーシャに向かって衝撃波が放たれた。
誰もいない殺風景な校舎の廊下に、狂った笑い声が響き渡っていた。時折「金」だの「権力」などといった単語も聞こえてくる。
外は魔物と人々との戦いによる被害、そして悲鳴が広がっているのにそこだけが異質な空間、いや異質どころか不気味と言ってもいいほどであった。
カニスはものすごく嫌だと思いつつも、なおも笑い転げている狂人に近寄った。
「ん? 何だお前は?」
狂人はカニスに気づくとすぐに立ち上がって平静を取り繕う。
「ここは君の来る所ではないだろう。早々に立ち去り」
「自首してください」
狂人が言い終わらぬうちにカニスは静かに言った。
「メテオス先生から聞きました。あなたが先生を殺したんでしょう? ジピッタ先生」
「何を馬鹿な」
ジピッタはいかにも小馬鹿にした態度で否定する。対してカニスは緊張と恐怖で顔面は蒼白。今にも倒れそうだ。だが、彼はなけなしの勇気を振り絞って続けた。
「し、死に際にメテオス先生が教えてくれました! 床にもダイニ、ダイイングメッセージが残してあったし、もう言い逃れはでできません!」
終わりのほうは完全に声が裏返り、おまけに数箇所噛んでいた。正論だが、頼りない事この上ない。
「ほお。メテオスがねえ、全く忌々しい!」
怒鳴り声とともにジピッタは持っていたライフルの銃身で廊下の窓を叩き割った。
「実に下らん。
「価値がないなんてない!」
カニスは思わず叫んでいた。ジピッタはそんなカニスを軽蔑の眼差しで睨みつけた。
「前々から気に入らなかったんだよ。
ライフルがカニスへと向けられる。
(く、口封じ? ダメだ、怯んだら僕の負けだ!)
ジピッタの指が引き金にかかる前に、カニスは汗ばんだ手を突き出した。その手には、あの自作の拳銃が握られていた。
「こ、ここっちの方が早く発射できます! だからっ!」
「だからどうした」
生徒の事には無関心だが、カニスが人を撃つ事が出来ない性分である事をジピッタは分かっていた。
現にカニスの銃は安全装置がかかったままで、本人も気が動転していてそれに気づいていない。ジピッタはにやりと笑いながら引き金にかけた指に力を込めて引こうとした。だが、
「!」
焦げ臭い匂いとともにジピッタが派手に転倒した。
「え? え? えーっ?」
動転していた精神は更にパニックになり、カニスはジピッタを見ながらじたばたと怪しい踊りを踊っている。
「君、大丈夫か?」
駆けつけてきたのは数人の自警団だった。
「危ない所だった。生存者の確認に来たら君のような子供にライフルを突きつけているのだからな。いやあ、魔法が間に合ってよかった」
「さあ、早くここから離れて! 彼には教師殺しの容疑がかかっている」
もうカニスのすべき事はなくなってしまった。自警団のてきぱきした対応を見守りながら、彼は拳銃を上着にしまった。使わずにすんだ事にほっとした反面、結局問題を自力で解決できなかった事に複雑な気分を感じるのであった。
PM5:17。
この瞬間、コンティースの町はデルタ校を中心に、記録的大地震に見舞われた。
地盤は派手に崩壊、地割れに巻き込まれた人間も魔獣も少なくない。
泥沼の戦場という名の地獄絵図と化した町を襲ったとどめといわんばかりの一撃。人々は空を見上げこれが自然発生ではないことを悟った。
空が異様に赤い。どす黒い異物を含んだ禍々しい色をしている。その赤い空を中心に、黒炭のような色をした雲が渦を巻いていた。
「あれは!」
その空の真下、学園の裏庭付近で一層激しい地割れが起き、土が大きく盛り上がる。
巨大な扉。盛り上がった地面を突き破って、それは現れた。扉はゆっくりと生き物のように肥大化していく。
「あれってさっき空洞で見たやつか?」
素手で魔物と戦っていたディルフは扉を見上げながら呟いた。
あの時は薄闇ではっきりと見えなかったが、間違いなくそれはジャナルと地下空洞に落ちたときに見つけた謎の扉と形が同じだった。
「狭間の扉」
偶然そばにいた年配の魔術師が放心状態で呟いた。
「なんだそりゃ?」
「この世界と魔族の住む異世界を繋ぐ禁忌の扉。かつて魔族との戦争時に帝国軍人達によってこの地の奥底に封印されたと聞いていたが」
「……なんでよりによってこんな所に封印するんだよ」
ディルフは頭を抱えた。
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