5. 少女の事情、家族の事情

 紆余曲折(もしくは惨事)な模擬戦の後。

 帰る手段のないユイは、結局、渡瀬家の厄介になることで話がまとまった。


 その日の夜、風呂からあがり、ケイトのパジャマを貸してもらったユイは、寝泊りすることになったナノの部屋でため息をついた。


(とりあえず、悪い人たちじゃなさそうでよかった……)


 何故この島に墜落してきたのか、という事情を隠して説明したが、受け入れてもらえたことに安堵した。 

 さらに幸いだったのは、渡瀬家はアイドルとしてのユイは知っていても政府関係者であることは知らなかったことだ。


(最近は広報活動が多かったから、ファンの人たちでも主席令嬢やプローム乗りっていう背景を知らない人がいるから珍しくはないけど……)


 プローム乗りや主席令嬢としての面でも上手くやれていると自負しているので、知られてないのは寂しいような、と埒もないことを考える。

 ともあれ、ユイ側の事情に巻き込ませることは避けたかったので、名前だけ名乗り、説明も簡単なものに留めることにした。


「みんな、心配してるだろうな」


 一応発信するだけの簡易通信機で無事であることは伝えているが、黙って出てきてしまったのでシュウやサキは心配しているだろう。特にミナとレンには迷惑をかけてしまった。 

 飛空挺もユイ単独では飛ばすことはできないため、本国にすぐに帰れる方法はない。

 ましてや、墜落する前に目撃した構造物の存在もある。下手に動くよりも、滞在させてもらった方がいい。

 結論づけつつ、心配をかけた仲間と父に内心で申し訳ない、と謝った。


(それにしても……)


 ユイが気を取り直すようにナノの部屋を見回す。

 機能的な家具に、何に使うかわからない機材など、シンプルかつ洗練された部屋の雰囲気は、この世界ではあまり見ない。中流階級の部屋にしては、こじんまりとしているが、ぬいぐるみや絵の道具など趣味のものは他の家よりもあふれている。

 蔵書が多いのも特徴的で、リビングもナノの部屋も本がたくさん置かれていた。1階に置かれていた本を覗いたが、よくわからない記号が並んでいた。


(おそらく、1階の本は主におじ様が読んでるのかな? ナノの部屋の本はカラフルで、洋服とか、イラストとかとても面白そう)


 この世界に娯楽や楽しみは少ない。どの政府も基本的には娯楽よりも、戦争が優先になってしまっている。だからでこそ、ユイの広報活動は住民の心の拠り所となる、重要な活動となっていた。

 気になったユイは本棚から一冊手に取る。


「ユイお姉ちゃん、アイス持ってきたから食べよー。って、あ」


 ナノがお風呂上りのアイスを一緒に食べようと思って持ってきたのだが、ノウェムと一緒に部屋に入るなりユイが雑誌を読んでるのを見て固まった。


「お姉ちゃんちょっとそれは、読んでもらうには恥ずかしい本だからごめんん!」


 早口に言うと、ナノは素早くユイの手元から本を預かった。


(危ない、お父さんから地球での情報はなるべくもらすんじゃないって言われてたんだった……)


 知識類はともかくとして、地球での本人の情報はこの世界では覚えのない出来事なので見せるのは混乱のもとになってしまう。よって、イツキはユイを受け入れるにあたり、それぞれ気をつけるよう家族に言い渡していた。

 心の中でナノはこっそりノウェムに呼びかける。


 <ちなみに、ノウェム、この世界の人たちって日本語読める?>

 <いえ、読めません、統一言語でやり取りしてるのです。ちなみに、あなた方は私たちと接触した時に言語機能の調整ができてなかったことに気づいたので統一言語の聞き取り、読み書きが無意識にできるようになってるのです>


 なら、雑誌や漫画が読まれることはないだろう。ただ、地球でのユイが写真入りで書かれたものもあるので、それは片付けておかねば、とナノはこっそり思った。

 きょとんとしているユイに、ごまかすようにナノは笑うと、アイスを差し出した。


「はい、これ。おにいが昼間のおわびって」

「え? でも」


 それを聞いてユイの表情が強ばった。

 一方的に挑んで、一方的に負けた上に泣いてしまったのだ。向こうとしては、悪いも何もないだろうに。

 泣いて落ち着いてみれば、ユイとしては申し訳なさしかなかった。


「食べないの? おいしいよ、ヨーグルトアイス」


 そう言い、ナノはテーブルの上にアイスを置いた後でベッドに腰かけ食べ始めた。


「ナノ、私にも」

「はいはい、おいで」


 そう言うと、ノウェムがナノの中に入り込んだ。また一口アイスを食べる。さわやかな酸味と甘さが口の中に広がり、美味だ。ノウェムが喜ぶままの表情をナノが浮かべる。

 それを見て、ユイもアイスの器を手にとり、ベッドに座って一口食べた。やさしい甘さと酸味、そして冷たさが舌にほどよい刺激を与えてくれる。

 ユイも政治的な付き合いとして食事に付き合うことはあるが、緊張もあいまっておいしいと感じたことはない。でも、このアイスは素直においしいと思えた。


 本当に不思議な家族だ、とユイは思う。贅沢な暮らしをしているようには見えないのに、家族がそれぞれ好きなこと、趣味を持っていて楽しむように生きている。


 ふと、部屋に飾られた写真が目に入った。旅行に行ったのか、家族4人で楽しそうに微笑んでいた。写真や今日の様子からも、本当に仲のいい家族なのだとわかる。

 ユイの部屋にも家族で微笑む写真はある。


(だけど、今は……)


 ばらばらになってしまった自分の家族の現状を想い、ユイのスプーンが止まってしまった。

 翳り、憂いを帯びたユイの表情。その横顔をナノが心配そうに眺める。

 一か月ほど前のカナタたちにしても同じような表情を浮かべていたことを思い出す。今世界が厳しい状況にあることはフェアリスからも聞いていた。


(きっと、みんな何かしらかの事情があるんだ……)


 思い立ちナノは一つうなずくと、部屋から出て、間をおかずに、何かを持ってまた部屋に戻ってきた。

 手に持ってたケースからCDを取り出すとCDラジカセにセットして流す。

 前奏と共に流れてきた歌声を聴いてユイが驚いた。


「え、私の声?」


 それは、地球で歌うユイの曲だった。

 驚くユイに構わずナノは歌いだす。

 疾走感があって、けど感情の躍動感にあふれている、そんな曲。

 世界では心を穏やかにさせるような曲と、人の戦意を駆り立てる曲があふれている中で、自由に感情を表現した曲をユイは聞いたことがなかった。


 気づけば、ナノに合わせてユイも1フレーズ歌う。

 メロディラインに癖はあるけど歌えなくはないとユイは感触を確かめる。

 曲が終わったところで、ふう、とナノがため息をついた。


「ごめん、もう1回かけてもらっていい?」


 ユイがお願いすると、ナノが戸惑いつつもうなずいて、リピート再生する。

 すると、今度はユイが出だしから歌う。一度聞いているのもあるが、慣れればとても歌いやすくて、昔歌ったことがある、そんな気さえする曲だ。

 いつの間にか没入して、ライブで歌うときと変わらぬ声量で声を響かせていた。


 一方、ナノはというと、本物の歌手の歌をごく至近距離で聞いて、度肝を抜かれていた。

 曲に合わせた抑揚の調整、ビブラートのかけかた、息継ぎの間隔の長さ。どれも素人でするには難しい、ボイストレーニングをしていないとできない技量だ。

 聞いただけで感動で鳥肌が立つ、その歌にノウェムもほう、と感心する。

 いつの間にか曲も終盤になり、最後のサビの伸びを響かせ、歌いきった。

 歌の余韻が残り、心地よいわずかな沈黙が流れる中、ふう、とため息をつくと、ユイが口を開く。


「私ね、気が重いときには歌った方がいいって、お母さんから教えてもらったの」


 何となく、自分のことを話し出す。感情をさらけ出すような自由な歌に誘われるように。


「お母さん、とても美人できれいで優しくて、憧れで。で、お父さんと仲が良いの。だから、お父さんといつも取り合いして喧嘩するの。お母さんがいなくなって、最近はそれもできなくて、寂しいんだけどね。必要なことだったんだなって今は思う」


 母がいなくなって、いつも喧嘩してた父は。今自分を守ろうと必死になっている。それだけじゃない、教えてはくれないけれど手を打っているはずだ。

 撃ち落とされたけど落ち込んでいる場合ではない。

 あきらめない、と気持ちを新たにする。


「まだやれることはあるはず」


 ユイの目に力強さが戻ったことで満足そうにナノはうなずいた。

 その時、ばたばた、と階段を駆け上がる音が聞こえると、ノックもなく扉が開き、エプロンをつけたハルカが息を切らしながら入って来た。


「ちょっと、ナノ!」

「おにい、ちゃんとノックしてよ」


 焦るハルカとは対照的にナノが文句を言う。


「そうじゃなくて、ナノ、その曲って!」


 地球のことを教えるのは基本的にしない、そう言われていたのにユイの曲がかかっていた上に、ユイの生の歌声が聞こえたから驚いて来たのだ。聞き入った後でトリップしてしまったので、気づくのが遅れてしまったが。


「うん、おにいの部屋からCD拝借したよー。ファンだもんね」


 にやりと笑うナノに、ハルカの表情が真っ赤になって硬直する。


「そうなの?」


 ユイが問いかけると、恥ずかしそうにそっぽを向きながらもハルカはうなずいた。

 それを見て、ユイは吹き出した。負かされたときは冷静で強いプローム乗りだと思ったが、意外な一面を見れたことで親近感がわいた。

 ユイはすっかり溶けてしまったアイスをかきこむように食べると、笑顔で器を差し出した。


「おいしかったよ、ご馳走様。また、作ってくれたら、今度はハルの前でも歌ってあげるね」


 その笑顔は確かに、かわいくて、アイドルとして活躍していたときそのままでハルカの顔がさらに赤くなった。


「おにい、赤いよ?」

「体温、心拍数ともに上昇してますね」

「ナノもノウェムも2人で言わなくてもいいから、自覚してるし!」


 ぎゃいぎゃい兄妹で言いあう、その様子を見てユイが可笑しそうに微笑んだ。




 その頃、1階でハルカと同じことを心配していたケイトとイツキが上の様子を見て確かめる。

 まもなくナノとハルカが言い合う声を聞いて心配ないことを確認すると、ふふっと互いに微笑んだのだった。


 そんな穏やかなやり取りの中であっても、確実に嵐は迫っていた。

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