2.「勇気を出す」コマンドの扱いは慎重に
妖精さんふたり
今日は、私の兄の墓にお参りに行く日。
長い時間がかかって、私はようやく兄の死を受け止めることができた。
場所はリーネア先生が知っているそうなので、朝ごはんを食べたら出発する予定だ。先生はお線香とお供えの調達に出ている。
私は朝食にサンドイッチを作りながら、彼の帰りを待つ。
「先生なら、チーズあったほうがいいかな」
彼は、バター・チーズ・ヨーグルトなどなんでもござれの乳製品好きだ。
ベーコンとみじん切り玉ねぎにバジルソースを絡めて加熱。出来上がった具をスライスチーズと一緒に挟む。初めての試みなので一枚作って試食してみる。
「……意外と美味しい」
サンドイッチ用のパンを取り分け、製作を開始する。
その他、ジャムサンドやタマゴサンドを作り終え、味ごとに分けてラップをかける。
「?」
インターホンの電子音が聞こえ、モニターを見に行く。
「誰だろう?」
先生に自宅のインターホンを押すという文化はない。
真っ黒なゴーグルをかけた茶髪の男性がモニターに映っていた。
「……」
いっそフルフェイスのヘルメットや、覆面の方が怪しさがなかったくらいに、モニターに映る男性は奇妙だ。
ゴーグルのガラス部分は闇そのもののように光を吸い込んでおり、素材が何なのかすらわからない状態。
圧倒的な異物感。ここに居ることが奇妙に思える、そんな何か。
つまりこの人は異種族。
十中八九、リーネア先生の知り合い。
「あの……」
チェーンをかけたまま、玄関ドアを開ける。
「み、三崎京さん、ですか?」
「はい。何かご用でしょうか……?」
「あ、あの」
「?」
「こちらに、リナリアさんはいらっしゃいますか?」
「リナリアさんは、外に出ています。そろそろ帰ってくると思いますけど……」
私から彼の表情は口元しかわからないが、彼からは私が見えているらしく、焦った様子でゴーグルを外し始めた。
「あ、怪しいものじゃないです! 断じて‼︎」
露わになった素顔は、大きな赤い瞳と、形良い鼻筋がひときわ目を惹く――
「……先生のお兄さん?」
「え」
毎日見ている顔と同じだ。
違うのは外見年齢。リーネア先生は十代後半だが、この人は二十代前半に見える。
チェーンを外して、男性をリビングへと招き入れた。
男性は、ゴーグルを額にかけたまま頭を下げた。
「カルミア・ヴァラセピスと申します……」
「……三崎京です。初めまして」
見れば見るほど似ている。
ただし、その性格は全く違う。
「あの。いきなり、押しかけてしまって、申し訳ないです……」
リーネア先生が唐突な訪問を謝罪した日には天地がひっくり返るだろうし、こんなに恐縮することはあり得ないと断言できる。
(……翰川先生のリアクションも納得できるなあ)
以前、リーネア先生が記憶を失った時は、カルミアさんとそっくりだった。
「父が、『用を済ませるまで帰ってこないでね』と言って、僕を放り出して行ったんです。だからと言って、うら若き女性のいる家にこうして押しかけるような真似をして……誠に、申し訳ないです」
「扉を開けたのは私ですから」
安心してほしい。
「先生はいま、買い物に出てます。すぐ戻ってきますよ」
「そう、なんですね……そっか……」
「用事って、どんな用事なんですか?」
かつての翰川先生の口ぶりからは、リーネア先生とカルミアさんの間にはなんらかの事情があるような感じを受けた。
「弟は僕が兄だってことを知らないんです。見た目の年齢差と、僕がゴーグルをしてることもあって……今まで、『仲の良い友人』くらいの認識でいて」
「髪の毛は?」
リーネア先生の特徴であるところの、夕焼け色の髪。異種族の双子だというのなら、髪の色もそっくり同じなはずだ。
「これは、染めてるんです。……黒では染める頻度が高くなるので茶髪に……」
黒染めでは、髪が伸びれば根元のオレンジが目立つ。
「……リーネア先生のこと、嫌いなんですか」
顔を隠して髪を染めてまで、ご家族に口止めしてまでも、黙っていなければならなかった事情があるのか。
実の兄弟なのに。
「! い、いえ。……双子ですし、可愛い弟だと思ってます。本当です」
「じゃあなんでですか」
彼は赤い目を泳がせつつ口を開く。
「……その。お、弟に――」
「ただいまー」
「――ぎゃああああ‼︎」
カルミアさんがゴーグルを引きおろす。
「うお、なんだ?」
絶叫が呼び水となってしまった。
リーネア先生は、靴を履いていないとは思えない速度でリビングに飛び込んでくる。
「なんだ、カルかよ。びっくりした」
全くびっくりしていない顔で呟いているのだが、彼は本当に驚いているんだろうか?
「近所迷惑だからあんまり叫ばないで欲しいんだけど」
火薬をいじって遊ぶ人の言うセリフではないと思う。
そんなことを考えつつ、兄弟の邂逅を観察する。
「ごめんね! ごめん。ちょっと、嫌な患者さんのこと思い出してね」
「そっか。やっぱ医者って大変だな」
カルミアさん、お医者さんなのか。
先生が首を傾げる。
「……でも、なんでここに?」
「ご、ごめん。いきなり来て……実は!」
そっか。カルミアさんは正体を明かすつもりでここに来たんだ。
立ち上がったカルミアさんは、(ゴーグルのせいでよくわからないが多分)視線を逸らし気味に、手に提げていたビジネスバッグから箱を取り出した。
「……。お土産、持ってきたんだ」
「お、チーズケーキじゃん。さんきゅ」
「京さんにも」
「あ、ありがとうございます……」
抹茶味のシフォンケーキ。抹茶は好物だ。
「!」
「喜んでもらえて良かった」
「忙しいのにわざわざ来てくれてありがとな」
朝ごはんを食べていないというカルミアさんもお誘いし、三人でサンドイッチを食べる。
「……」
「……」
好物を食べる時は無言で夢中になるのはカルミアさんも同じらしい。
そっくりな二人が並んで新作サンドイッチを食べる光景は、なんだかおかしかった。
気に入ってもらえて良かったと思う。バジルベーコンのサンドイッチはすぐさま売り切れた。
ジャムやタマゴをつまみつつ、リーネア先生がカルミアさんの紹介をしてくれる。
「カルは父さんの主治医なんだ」
そういう繋がりだったんだ。少し納得。
「オウキさん、何かご病気を……?」
「あー……怪我の後遺症の治療」
「怪我自体は問題ないんだけど、少し体が弱っているから、回復のための治療というか……そんな感じです」
「そ、そうなんですね」
職人さんの体だ。大切になさってほしい。
「うん」
リーネア先生が食べ終えて椅子から立ち上がる。
「悪い、皿洗うのトイレ行ってからにするわ」
「あ……僕が洗うよ。気にせず行ってきて」
「客だろ。座ってろ」
「勝手に来てご馳走になったんだから、それくらいさせて」
「……わかった。頼む」
カルミアさんは合わせにくい先生との距離感をしっかり掴んでいる。
本当に双子なんだなあと思う。
先生が廊下のドアの向こうに消えたのを確認し、私は小声でカルミアさんに問う。
「いつ言い出すつもりなんですか?」
カルミアさんが指先をもじもじと動かす。
「二人になった方がいいなら、私、口実つけて外に……」
「い、いや。墓参り、行くつもりなんですよね? なら、もうちょっと後に」
「……先延ばしにしてもいいことないですよ」
さっき言い出すかと思えばお土産を渡し始めるし……
「僕、戦闘能力ないんだ」
「はあ。それが何か……?」
「殺されるかも」
激怒したリーネア先生が反射的に攻撃する場面は何度か見たことがある。
しかし、ああ見えてあの人は、敵意を向けない限り無害。カルミアさんも知っているだろう。
――ならば、なぜ攻撃されるかもわかっているはずだ。
「じゃあ最初から……初めて会ったときに言えばよかったじゃないですか!」
「っ……」
「傷つけることしておいて怒らせるの怖いなんて、もっとずるいですよ‼︎」
兄の存在が無かった時期と、思い出した時の悲しさは私の心に焼き付いている。
先生がどういう反応をするのかはわからないが、『自分は知らなかった』という喪失感は必ず生まれる。
「……うん」
しばらくほうけていたカルミアさんは、小さく頷いて、私に頭を下げた。
「ごめんなさい。明日、言ってみます」
「言わなくていいよ」
「「……」」
扉の開閉音も足音も一切なく、夕焼け髪の妖精がライフルを構えて私たちの背後に立っていた。
「う、あ」
青ざめたカルミアさんは、私と先生の間に立った。
私の方が彼と先生の間に立とうと思ったのに、彼は先んじて動いた。
「……」
あんなに青ざめているのに。
私たちの予想に反して、ライフルの銃口は下がったままだ。
「昔ならたぶん勢いで殺してたと思う。その点、いま言いにきたのは良い判断だ。……立ち聞きじゃなかったらもっと良かったかもな」
「り、な。それは」
声も震えている。演技などではなく恐怖しているのがよくわかる。
「わかってるよ。本当なら直接言うつもりだった。不幸な事故だ」
「っ」
「一つ聞きたいんだけど」
返答次第では、銃口はカルミアさんを向くのだろう。
「騙して楽しかったか?」
苛立ちも悲しみもない透明な表情で、こちらを見据えている。
「楽しくなかった」
「ふうん。父さんも兄さんも姉さんもファープも教えてくんないんだもんな」
「みんなは……僕の意思を尊重してくれただけで、キミを騙したりなんかしてない。バカなことしたのは僕だけ……」
「ふうん。ケイは部屋入ってろ」
ライフルがふらりと揺れるのを見て、私は咄嗟に先生に抱きついた。
「ダメ‼︎」
とにかく、ダメだ。
反射で人を殺せる精神状態の彼と、怯えながらも私を守ろうとしてくれたカルミアさん。
その二人を残してひとり安全な場所に逃げるなんてダメだ。
「だめ、です……っ」
嫌だ。二人とも仲良くして欲しい。
無神経に口を挟んだ私が悪かったのだ。リーネア先生は日常行動が速いし、耳も良い。あんな大声を出せば、廊下の向こうに居ようと聞こえるに決まっている。
「……ごめんな」
落ち着いたその声で、いつもの彼に戻っているとわかった。
「俺が怒り狂って殺すかと思ったんだな」
「っひ、ぅ」
撫でる手が暖かい。
「いきなり来たから、何かあるんだと思ってたよ」
カルミアさんがどんな表情をしているのかは、ゴーグルに遮られてわからない。
「殺すつもりないんだ。でも、なんで黙ってたのか教えてほしい。その答えによってはたぶん殺す」
「……揺るぎないな」
「最近気付いたけど、俺の精神状態はおかしいらしい」
「遅いね」
「うるせえクソボケ」
カルミアさんはゴーグルを外し、眼鏡をかけた。
「外せるんじゃねえかよ」
先生がボソッと呟くと、カルミアさんが押し潰したような声で答える。
「外せるようになったの、この眼鏡が出来たからだよ」
「……ふうん。で、なんで黙ってた?」
「羨ましいって言いそうになるから」
「どこらへんが?」
「ゴーグルがなかった頃は、僕は目に封印をかけてもらってた。目が見えないまま暮らして……あれこれあったんだ」
「あれこれを言え」
ライフルを突きつける彼は揺るぎない。
「……僕の目には、3つの異能が重なって存在してる。でも、この3つの異能は、本来なら神様の位にある人が持つもの。僕が耐えきれるわけない」
かみさま。
アーカイブを解説した学問書で読んだ存在が実在するのだと思うと、不思議な気分になる。
「小さい頃は父さんが包帯巻いてくれて、少ししておじいちゃんにゴーグル作ってもらった。この眼鏡はひいおじいちゃんと……さらにその上のレプラコーンたちの合作。万が一ゴーグルが壊れた時のセーフティーの術式はローザライマ家」
リーネア先生が眉間にしわを寄せた。
「……ほんとに最近だな。今までの人生、まともに目え見えてないようなもんじゃねえか」
「だからだよ」
「?」
「リナの境遇と苦労を気にも留めず『羨ましい』って口走りそうな自分が嫌だったんだ」
「……」
私には、先生の沈黙とその表情の意味はわからない。
ただ、二人が互いの心を推し量り、思いやっているのだけはわかった。
「いつか言おうって考えてる間に、100年も経つとは思ってなかったけれどね……」
彼らレプラコーンは誠実だ。
先程、怯えながらも私を守ろうとしてくれたように。
「……俺は戦争主義の化け物だ。あんたを素手で殺せる。怖くて当たり前だし、言い出しにくくなったのは、そのせいかな、と。今思った。ごめん」
下げた頭をカルミアさんが撫でた。
「可愛い弟だと思ってるよ」
「……」
「怖いのはライフルだ」
苦笑する顔は、オウキさんによく似ていた。
「許してくれてありがとう」
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