65:地下迷宮の密林行

「すげー……」

「りすー……」


 メトロの非常識ぶりを再認させられ、開いた口がふさがらないオオツカメトロ育ち組。


 目の前に広がっているのは亜熱帯の奇っ怪な植物群を思わせる菌糸植物のジャングル。だが背後には数十メートルに及ぶ巨大な岩壁が反り立ち、天井から降り注ぐ光はヒカリゴケのそれだ。メトロの中にいるのは間違いないようだ。

 不思議の国のアリスにでもなった気分だが、少なくともまったく別の異世界につながっていたということではなさそうだ。


「これはちょっと……想定外ですね……」

「疑似屋外フロアか……ネリマトライブにそういうのがあるって聞いたことあるけど……」


 さすがのノアやクレも、こういった光景は日常的ではないようだ。

 オオツカメトロ五十階のオーガの住処も広々とした草原エリアだったが、この空間の開放感は比較にならない。三十階から間違いなく数百メートルは下りてきたし、天井まで百メートル以上はありそうだ。


 愁はマントと上着を脱ぎ、頭にタミコを乗せてその場で【跳躍】する。【阿修羅】の腕で岩壁に貼りつく。そのまま掴めるところがある高さまで登ってみる。高所にそれほど耐性はないので下は見ないでおく。


「……だいぶ広いなー、ここ……」


 【阿修羅】でぶら下がったまま見渡す。

 うっすらと霧のかかるジャングルは、不気味さとともにどこか神秘性も感じられる。


 起伏が多く、丘のようになっていたり窪んでいたりしている。歩くのに骨が折れそうだ。向こう側、あるいは左右の岩壁までの距離から、ほぼ円形のフロアだということがわかる。相当広い、向こう側まで何キロあるだろう。


「――ん?」


 密林の全体を見渡せるほどの高さではないが、緑や青や紫など色とりどりの菌糸植物が密生する中で、白や灰色のなにかがぽつぽつと合間から顔を出しているのが目に入る。


「……建物?」


 石造りの建造物だ。それが密林のあちこちに点在しているようだ。

(メトロの中に森があって、さらにその中に建物まであんのか)

(誰かが建てたとかじゃないよな? メトロの構造物の一種ってことだよな?)

(無茶苦茶にもほどがあるな。マジでメトロってなんなの? なにがしたいの?)

 そういうそもそも論的な疑問を頭の中でこねくり回しても答えが出てくるものでもない。それらを脳みその端っこに追いやり、観察を続ける。


 遠くの空を鳥が飛んでいる。木々の合間に大きな生き物がちらっと覗いた気がするが、目を凝らすより先に姿をくらましてしまう。メトロがつくった環境とはいえ、これだけ自然豊かなエリアだ、そこら中にメトロ獣が跋扈していると思ったほうがいいだろう。


「むこうにおっきいのがあるりす」


 愁の頭の上でタミコがぴょこぴょこ跳ねている。【阿修羅】でぐっと身体を持ち上げて頭の位置を高くしてみる。


「……祭壇……?」


 かすかに石の祭壇のようなものが見える。他の建造物とくらべてかなり高い。

 この景色、総じて彷彿とさせるものがある。中米あたりのジャングルの中にある遺跡群。マヤ文明だったか。

 ジャングルに眠る古代遺跡、滅亡した太古の神殿都市。そんな感じのコンセプトか。


「……メトロがこれをデザインしたのか……?」

「りす?」

「いや、なんでもない。そろそろ下りよっか、落ちないように捕まってろよ」


 上着を脱いだままだと少し肌寒い。慎重に岩壁を伝って下りていく。

 

 

 

 ノアたちのところに戻って、目にしたものを説明する。


「鳥が飛んでるのは見えたけど、他の獣の姿は見えなかったわ。タミコは?」

「あたいもみえなかったりす。とりはキライりす」


 甦る拉致未遂事件のトラウマ。


「つーかさ、これまでとまったく別世界だよね」とクレ。「シュウくんたちはミスリルをさがしてるんだよね。ここってさ、見るからにゴーレムの住処って感じじゃなくない?」


 あう、と言葉に詰まる愁。言われてみると確かに。別ゲーかというほどのフィールドの変貌ぶり、見た感じ岩人形がうろついているような雰囲気はない。


「……いるもん……ゴーレムいるもん……」


 サソリゴーレムハズレのトラウマと相まってすねる百三十歳。よしよしとノアに頭を撫でられ、タミコにほっぺたを撫でられる。


「ちょっとクレさん、空気読んでください」

「ご、ごめんよシュウくん」

「ドーテーはデリケートりす。テーチョーにあつかうりす」

「後ろから刺すな」


 気をとり直して冷静に考える。

 クレの言うことも一理ある。その可能性を念頭に置いておく必要がある。欲をかいて幻を追いかけて、仲間を危険に晒すような真似はできないから。


「ひとまず探索するなら――」とノア。「フロアの外周を回ってみるか、森の中の建造物を調べてみるかですね。外周部分は森が及んでないみたいですし、比較的安全かも」

「はい、シュウくん。意見具申」

「どうぞ」

「普通に考えると、なにかあるとしたら森の中だよね? どのみち探索するなら、ここから手近な建造物をめざしてみるのはどうだろう?」


 異論はない。愁も同じことを思っていた。

 メトロ獣が密林を中心に分布しているとしたら、外周部分を回って様子を窺うのは選択肢としては無難だ。しかしここは広すぎる、仮に向こう岸まで行くとしたら半日くらいかかるかもしれない。

 なにか成果を求めるなら、どのみち密林に入ることは避けて通れない。それなら階段を背にして探索するのがベターだ。いざとなれば愁を殿に三十階までまっすぐ逃げることができる。


「じゃあ、階段のときと同じ並びで行こう。タミコの耳頼みになると思うけど、よろしくな」

「まかせるりっす!」


 手早く準備を整え、愁たちはいよいよ密林に足を踏み入れる。

 

 

    ***

 

 

 思った以上に霧が深く、視界が悪い。


 雨の日ほどではないが、【感知胞子】のフィードバックはノイズが走ったような感じになる。感知できる距離も縮まるし、ものの造形を正確に把握するような精密さは半径数メートル程度しか保てない。【退獣】は常時発動しているが、このフロアの獣にどれだけ効果があるかは未知数だ。


 タミコの耳が索敵の要になる。愁の頭の上でにんにんと絶えずアンテナを張っている。


 鳥の声、サルのような甲高い声。木の葉のこすれる音、なにかが落ちる音。

 自分たちの足音、茂みを掻き分ける音。


 愁の耳にはささやかで不吉な喧騒にしか聞こえないそれらの雑音だが、タミコはこれまでの経験によりある程度の聞き分けも可能としている。頼りになるクノイチだ。


「ちかくにあぶなそうなやつはいないりすね」

「【聞耳】か。タミコさんは優秀な偵察要員だよね。こういう子が一人いるとチームの生存率ががらっと変わるよね」

「ほめてもドングリくらいしかでねえりすよ。ほれ」

「サンキューボス」


 ゴリゴリ。


 足場は柔らかく、茂みは深い。先頭を歩くクレも手こずっている。殿のノアは木の幹に傷をつけている。階段までの道標だ。


「シュウくん、方角は合ってるかな?」

「たぶんね」


 壁をよじ登ったときに見えた一番近そうな建造物に向かっている。そう遠くはないように見えたので、なにごともなければほどなく着くだろう。

 と思っていたとおり、向かう先に灰色の外壁が見えてくる。ここまで【感知胞子】の中に不穏な気配が入ってくるようなこともなく、タミコも不審な物音を捉えたりはしなかった。あくまで油断は禁物だが、拍子抜けするほど順調だ。


「……結構でかいね、近くで見ると」


 人の顔を模したようなレリーフの彫られた、三階建てくらいの縦長の石柱だ。若干趣味が悪く感じられるものの、宗教的なモチーフが再現されているあたり芸が細かい。

 周りは木々の途絶えた広場になっていて、朽ちて崩れた石像や砕けた石畳が無造作に転がっている。苔や黒ずみが目立つ、かなりの年季を感じさせる。


「なんか変なにおいがするな。腐ったような感じ? ノア、どう思う?」

「なんでボクに訊くんですか?」

「いや、うちの嗅覚担当というか」

「確かに腐乱したみたいなにおいはしますけど……ってか、いくらボクでもさすがに腐敗臭までは管轄外ですから。くっさいのならなんでもござれみたいな鼻軽女じゃないですから」


 プライドに障ったのかプリプリするノア。どこまでが管轄内なのか気になるがあとにしておく。


「シュウくん、これ」


 ただの苔生した岩塊かと思いきや、手足を抱えてうずくまったような格好をしている。ゴーレムだ。念のため触ってみるが動く気配はない。抜け殻、あるいは死骸のようだ。


「ここにも出るっぽいな、ゴーレム」

「みたいだね。シュウくんにとっては朗報かな」


 ゴーレムがいるならミスリルゲットの可能性も浮上してくる。こっそりテンション回復。


 肩の上でタミコがぴくっと反応する。


 愁はノアとクレに合図をし、石柱の裏手にある石造りの平屋に向かう。アーチの崩れかかった入り口から中を覗き込む。暗くてよく見えないが、【感知胞子】で構造は把握できる。


 簡素というか殺風景なつくりだ。家具も調度もない、ただの空っぽの空間。少なくとも人が住んでいるような感じはない。

 ハリボテだ、と愁は思う。メトロがこのフロアを再現したのだとしたら、それはあくまでもガワだけということか。

 だが――よく見れば部屋の隅に干し草やキノコや薪が並べられている。これもメトロが用意した――とは考えられない。

(まさか、誰かがここに?)


「……うえりす」


 奥にハシゴがあり、その上にロフトスペースがある。【感知胞子】はそこでもぞもぞと身じろぎする気配を捉えている。

 と――赤い光が灯る。ぎらぎらと二つ並んだ光だ。

 それが獣の目だと認識し、愁が身構えた瞬間――。


「キィアアアアアアアアアアアッ!」


(やべっ!)

 愁が親指をはじく。高速で放たれた【白弾】が二つの赤い目の真ん中に着弾。獣のおたけびが途切れ、痛みに悶えるような悲鳴に変わる。

 タミコが飛び出し、瞬く間にロフトへよじ登る。どたばたと格闘する音もすぐに止み、ロフトからぴょんっとそいつをくわえて飛び降りてくる。


「レベル25くらいだったりす。あたいのてきじゃねえりすな」

「グッジョブだけど返り血を俺のマントでごしごしすんな」


 床の上で動かなくなっているメトロ獣を見る。初めてお目にかかるやつだ。目が大きく耳が尖っていて、メガネザルに似ているが、体高で百二・三十センチくらいある。

 嫌な予感がする。建物を出るとノアとクレが警戒するようにあたりを窺っている。


「これ、なんかサルっぽいやつがいた」

「……グレムリンですね」

「うおお、これがグレムリン! でも可愛くねえ!」

「ていうか……さっきの声……」

「だよね」


 オオツカメトロでも似たような声を聞いた経験がある。ゴブリンが仲間を呼ぶとき声、仲間に危険を知らせるときの声。

 気配が近づいてくる。声が近づいてくる。ガサガサと木の葉が揺れ、そして――ざわざわとした殺気とともに、霧の向こうから赤い光が集まってくる。


「キィキィ!」

「ギャギャッ!」


 不気味なイルミネーションだ。木の上で愁たちを囲むように無数の赤い光が灯っている。おそらく三十匹以上いる。


「かこまれたりす!」

「シュウさん!」


 背中合わせになる四人をぐるりと囲むグレムリンの群れ、よだれを垂らし、歯を打ち鳴らし、威嚇をこめた耳障りな声を口々に発している。一触即発を絵に描いたような状況だ。


「だいじょぶ、問題ない」


 愁は【退獣】を全開にする。

 全身から見えない胞子が放出される。霧のせいで効果範囲は狭まっているが、この距離なら。

 今までの経験上、種族にもよるが30前後までなら高確率で追い払える。サルなどの哺乳類系は効きやすい部類だ。


 みるみるうちにグレムリンたちの表情がこわばり、腰が引ける。こうなればあとは簡単だ、襲いかかるふりでもしてやれば一目散に――。

 一瞬、グレムリンたちの意識が逸れる。森の奥のほうへと。


 「キキッ!」「キィッ!」、口々になにかつぶやきながら、グレムリンたちが退散していく。その逃げ足は現れたとき以上に速い、あっという間に愁たちを囲む気配はすべて消える。


「……ふう、さすがはシュウくんだね。レベル69」

「……いや、なんかおかしい……」


 と、愁は思わず鼻を押さえる。腐敗臭が強くなっている。


「においが近づいてきてます! くっさいのが!」


 ノアマイスターが言うなら気のせいではなさそうだ。


「べつのやつがきてるりす!」


 さっきのグレムリンはこれのせいで逃げたということか。あれだけの数の群れが逃げるほどの脅威が近づいてきているということか。

 なにかが【感知胞子】の領域に入る。そして突っ走ってくる。かなり速い。


「来るぞっ!」


 ザッ、ザッ、ザッ――足音が近づいてくる。やがて一つの影が灰色の霧を突き破って飛び出してくる。


「げっ!?」


 それは、短距離ランナーのごとき力強いフォームで全力疾走するグレムリンだ。


「ぴぎゃーーーー!」


 耳元でタミコの悲鳴。さけびたい気持ちは愁もわかる。

 なにせ、その姿が尋常ではない。禿げかけた体毛は血まみれで、肌はただれ肉は溶け、とれかけた片目が後ろにたなびいている。もう片目は赤ではなく黒い光――矛盾した言いかただが、霧の中に浮かぶような黒い光を湛えている。


「こわっ!」


 大口を開けて飛びかかってくるグレムリンへ、愁の【戦刀】が走る。白い刃が一閃、グレムリンの頭から股間まで通り抜け、真っ二つに両断された身体が石畳にドシャッと落ちる。


「なに!? ぶった斬っちゃったけどなに今の!?」

「キショかった! キショかったりすぅ!」


 見間違いではないだろう、あれは手負いどころかほとんど死にかけくらいの負傷だった。陽の光を浴びせすぎた悪玉グレムリンみたいに。


「……まさか、アンデッド……」


 ノアが顔色を失っている。


「アンデッドって、動く死体的な?」


 全力疾走してくるゾンビ? 昔映画でそんなのがあったが、実際にやられると怖すぎる。


「いっぱい! いっぱいくるりす!」


 ザッ、ザッ、ザッ――足音が無数に重なる。間断なく地面を叩く激しい雨音のようだ。

 ぽつぽつと数を増やす黒い目の光が霧を侵食していく。


 威圧も咆哮もなく。ただ静かに、しかし腐った身体が崩れんばかりの勢いで。まっすぐに、愁たちめがけて駆ける。

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