第24話 報告
クリスがサロンから出て行くとルドはエルネスタを睨んだ。
「母上、失礼が過ぎます」
「あら、どこが?」
エルネスタがルドの睨みを平然と流して紅茶を飲む。
「師匠は長旅でお疲れなのです。それなのに到着してすぐにお茶に誘ったり、呼び方を押し付けたり。あれでは余計に疲れるだけです」
「だから早く終わらせたじゃない」
「……夕食の時は控えめにお願いしますよ?」
「はい、はい」
エルネスタの軽い返事にルドが念押しをする。
「くれぐれも
「わかったわ。ねぇ、それよりクリスちゃんが好きな食事って何? 好きなデザートは?」
「え?」
「牛肉と羊肉なら、どちらがいいかしら? 味付けは甘め? 辛め?」
「え? あ、いや……」
「あら。弟子のくせに師匠の好みも把握していないの?」
ルドは指摘されて気が付いた。クリスは基本的には何でも食べていたが、好きな食べ物など聞いたことがない。
エルネスタが頬に手をあてて残念そうにため息を吐いた。
「クリスちゃんの側に一年もいたのに何をしていたのよ? その目は飾り? それとも遊んでいたの?」
ルドが立ち上がりながら声を大きくする。
「治療師の勉強をしていました! 夕食についてはカリストに相談して下さい。失礼します」
歩き出したルドにエルネスタが声をかける。
「夕食にはあなたも顔を出すのよ」
「わかりました」
「まったく。肝心なことが見えてないんだから。誰に似たのかしらね」
エルネスタは鈍い我が子を複雑な気持ちで見送った。
クリスが案内された部屋は寝室や書斎など複数の部屋がある客室だった。室内には浴槽が置かれた部屋もあり、一人で使うには大きすぎるほどだ。
客室とは思えない充実ぶりに室内を確認したクリスが呆れながら呟く。
「なかなか贅沢な部屋だな」
「カイ様が帝都で過ごされる時にこの部屋を利用していたそうで、不自由がないように改装していたら、こうなったそうです」
「それで客室に風呂があるのか」
この国のほとんどの領地では風呂に入る習慣があまりないので客室に浴槽があることが非常に珍しい。
だが、クリスの領地ではサウナや温泉があり、湯に浸かる文化が根付いている。そのため一日一回は湯に浸かりたくなるのだ。それは先代の領主のカイも例外ではなかったらしい。
クリスが納得しているとラミラが声をかけてきた。
「クリス様、着替えはどうされますか? クリス様の普段着しかお持ちしていないのですが……」
そう言いながらラミラはクリスが着ている服を見た。
「それでいい。この服はセルシティに押し付けられただけだ」
クリスが顔をしかめたが、ラミラは嬉しそうに微笑んだ。
「お似合いですよ。カルラが見たら、とても喜んだでしょうね」
「似合う必要はない。それより」
クリスが側にあった椅子に座る。
「屋敷はどうなった? どういう状況だ?」
「クリス様が屋敷を出られてすぐに敷地内に複数の者が侵入してきました。侵入者が屋敷に入る前に捕まえようとしたのですが、情報収集や暗殺を専門としているようで、なかなか姿を捉えることが出来ませんでした」
「屋敷から煙が上がっているのが見えたが?」
「姿が見えない侵入者に苛立ったコックたちと庭師たちが暴走をしまして……」
その光景を容易に想像できたクリスは軽くため息を吐いた。
「暴れる時は屋敷を壊すな、とあれだけ言っているのにな」
「クリス様が帰るまでに破壊したところの修繕をすることと、半年間は子どもたちの遊び相手をするように課しておきました」
「体力が有り余っているなら、それで発散させるのはいいな。で、侵入者は捕まえたのか?」
「それがセルシティ第三皇子の親衛隊が突入してきまして、そのどさくさに紛れて逃げられました」
クリスが顎に手を置いて考える。
「どのように逃げられた?」
「親衛隊に気を取られた一瞬で姿が消えました」
「……親衛隊の中に紛れ込んだのか?」
「その可能性もあります」
クリスが怪訝な顔で頷く。
「親衛隊……か。他に侵入者の特徴はなかったか?」
「少しだけ対峙したのですが、他国の武術を嗜んでいるようでした」
「どこの国の武術だ?」
「あの独特の動きは、たぶん南東の……砂漠の民のものだと思います」
「南東か」
ラミラがカップに紅茶を注いでクリスの前に置く。
クリスは紅茶を飲んで一息ついた。たった数日だが久しぶりに飲む紅茶は懐かしく、緊張していた体から力が抜けていく。
「……やはりお前たちが淹れた紅茶が一番だな」
クリスの言葉にカリストとラミラの動きが止まる。そこでクリスの顔が赤くなった。
「風呂に入ってくる!」
クリスは勢いよく立ち上がると浴槽がある部屋に突進した。カリストとラミラが顔を見合わせる。
「かなりお疲れのようですね」
「そのようですね」
カリストが紅茶を片付け、ラミラは着替えを持って浴槽がある部屋へと向かった。
浴槽がある部屋に入ったクリスは湯が張られた浴槽に手をつけた。
「少しぬるいな」
湯から手を引き抜いたクリスが手をかざす。
『火よ、その身の温もりを分け与えよ』
呪文を唱えてから、もう一度手をつける。すると丁度良い温度になっていた。
「やっと、この服から解放される」
クリスは服を脱ぐと湯に浸かった。心地よい温もりが全身を包む。頭から湯を被り、久しぶりの風呂を満喫する。
「明日は帝城に行かないとな。襲ってきた連中が不明だが……また襲ってくるだろうな。他国の者か、他国とみせかけた自国の者か……目的は皇帝の治療の阻止だろう……皇帝を治療して困る者は……」
考えようとするが、まとまらない。それどころか気を抜くと寝そうになる。
「情報が少なすぎる」
カリストやラミラの顔を見て気が抜けた自覚はある。だが時間は待ってくれない。襲ってきた連中は次の準備をしているだろう。情報が少ないため迎え撃つしかないが、そのためには万全の体勢でなければいけない。
クリスは大きく息を吸って吐くと勢いよく立ち上がった。
ラミラが準備したタオルで体を拭いて、用意されていた服を着る。いつもの着慣れたシャツにズボン。そこに薄手の上着を羽織った。
「よし」
クリスが気合いを入れて浴槽がある部屋から出る。長い金髪を背中に流して大股で歩くクリスにラミラが露骨に残念そうな顔をした。
「どうした?」
「スカートを履かれていた時は淑女らしい振る舞いでしたのに……」
「服装に合わせた動きをしていただけだ」
クリスがドガッと椅子に座る。すかさずカリストが背後に立ち、魔法で金髪を乾かした。
「髪の色はいかがしましょう?」
「いつも通りにしてくれ」
「はい」
カリストが鼈甲の櫛を取り出してクリスの髪を梳いていく。すると金色だった髪が茶色へと色が変わった。全てが茶色になったところでカリストは髪を一つに纏め、質素な紐で結んだ。
「ところでクリス様、夕食に食べたい物はありますか?」
「なぜだ?」
「エルネスタ婦人が、クリス様のお好きな料理を知りたいと」
「特にない」
「ではシェットランドの郷土料理と伝えておきましょうか?」
シェットランドはクリスが治めている領地の地名である。北方で地形的に他の土地と断絶しているため独特の文化が発展した。それは料理も例外ではない。
「そうだな。ここで再現するのは難しいだろうが、それが無難だな」
「そのように伝えて参ります」
カリストが一礼して部屋から出ていく。クリスは控えているラミラに声をかけた。
「この屋敷はどんな感じだ?」
「犬の実家だけあって普通の屋敷より守りに力を入れています。庭と屋敷の二重で侵入防止の魔法を敷いていますし、屋敷の中も主人の部屋の近くには複数の罠が張られています」
「魔法の罠か?」
「魔法もありますが、物理的な罠もあります」
侵入者は魔法に気をとられがちなため、意外と物理的な罠に弱いことがある。
「使用人たちの様子は?」
「厳選した人材らしく奴隷は一人もいません。代々、この家に仕えている人間を雇っているそうです」
「さすが赤鷹の二つ名を持つ英雄ガスパルの生家だな」
今は隠居してオークニーに引っ越したが、ガスパルはここで生まれ育った。先祖代々、皇帝に仕えており、武功を上げて将軍になることで有名な家柄でもある。そのぶん敵も多く、生活をする場の守りを強固にするのは当然のことであった。
「街宿に泊まるよりは安全ということか」
「もしかしたら帝城より安全かもしれません」
「……そのようだな。帝都にいる間は厄介になるか」
観念したように呟いたクリスにラミラは微笑んだ。
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