第18話 イセルニア領
街中の数か所から上がる黒煙を背にルドは検問所を抜けて馬を走らせていた。
「追手はいませんし、ここまで来れば声を出しても大丈夫です」
目を包帯で隠しているため、何も見えなかったクリスはとりあえず説明を求めた。
「どうやって検問所を通ったんだ?」
「魔法で自分たちの幻影を出して憲兵たちを街の中心地に誘導しました。そこで街の数か所から黒煙を出して、そちらに注意を向けている間に検問所を抜けました」
「だが検問所にも憲兵は残っていただろう?」
「はい。ですので検問所からも黒煙が上がるようにして、混乱と煙に紛れて通過しました」
クリスが呆れたように言った。
「全然コッソリではないと思うのだが?」
「大きな音がしないようにコッソリと移動しましたよ」
「まったく、ものは言い様だな。で、いつ黒煙が上がるように仕掛けていたんだ?」
「昨夜の宿まで移動している途中です。一見するとただの黒い石のようなのですが、魔力に反応して黒煙が上がります。ですが火はほとんど出ないので、火事になる心配はありません」
「狼煙みたいなものか」
「よくご存じで」
「それぐらい普通だろ」
魔法を使った通信機が発明されてからは滅多に使用されなくなり知っている人は少なくなった。クリスやルドの年代で狼煙を知っている人はほとんどいない。
ルドはそのことを知っていたが、クリスの知っていて当然、という雰囲気に何も言えず、そのまま馬を走らせた。
憲兵が街中を必死に探し回っている頃、ルドたちは検問所がある町を回避しながら進んでいた。
「もう少ししたら隣のイセルニア領に入りますので。そうしたら、近くにある町で朝食にしましょう」
「あのクズ領主内の町だと検問所で止められる可能性が高いからな」
「隣の領地に入れば、その心配はないと思います。自分の失態を隣の領主にさらしてまで自分たちを捕まえようとはしないでしょうから」
「そうだな。あのクズ領主は無駄にプライドが高そうだから、隣の領主に協力を求めるなどしないだろう。それが自身の首を絞めているのにな」
「そうですね。あ、あれがイセルニア領の町です」
道の先にあまり高くない壁に囲まれた町が見えてきた。
検問所では声をかけられたが通行証を見せると、あっさりと通された。
ルドは自分だけ馬から降りると、町人に朝食が食べられる店がないか訊ねた。
小さな町で朝も早い時間だったのでパン屋しか開いておらず、しかも店内には食べられる場所はなかった。ルドは適当にパンを買うと、馬に乗って町から出た。
検問所が見えなくなったところで、道を外れて小さな丘の上に移動した。見える範囲に人がいなかったのでルドは隠匿の魔法をかけた。
「朝食にしましょう」
ルドが布を取り出して買ってきたパンを並べる。
「お好きなのを食べて下さい」
クリスはフードを取って目に巻いていた包帯を外した。目の前には飾り気のない丸いパンが数個ある。違いは大きさと色ぐらいだ。
クリスは近くにあった黒っぽいパンを手に取ると、ちぎって口に入れた。
「……独特の風味があるな」
麦の独特の風味と微かに酸っぱさがある。しかも、焼きたてでまだ温かいのに生地は硬めで、いくら噛んでも呑み込める気がしない。
口の中の水分のほとんどをパンにとられたところで、ルドが水の入ったコップを差し出した。
「魔法で出した水です」
クリスはコップを受け取ると一気に水を飲んで訊ねた。
「どこにコップを隠していたんだ?」
「ここです」
ルドが上着をめくって腰のベルトを見せる。そこには小さな袋がぶら下がっていた。
「ティアナ様の影と同じです。袋より大きい物でも収納が出来ますが重さはそのままなので、あまり重い物は運べません」
「そうか……っ!?」
一拍置いてクリスの顔が真っ赤になる。
「どうしました!? パンがのどに詰まりましたか!?」
「い、いや! なんでもない!」
クリスは再びパンを食べだした。
あまりにもあっさりだったので、すぐには気付かなかった。それぐらい普通だった。
いきなり名前を呼ぶなんて反則だろ!
心の中で叫びながら、クリスがひたすらパンを口に入れる。その一方でルドは、よほどお腹が空いていたんだなぁ、と見当違いのことを考えながら別のパンを手に取った。
そんな噛み合わない二人の隣で、馬も足元に生えている新鮮な草を食べていた。
そんなこともあり予定より少し遅れたが、昼過ぎには馬を交換するフォリーニョ町に到着した。二人はそこで昼食を食べて馬を交換すると、すぐに出発した。
道中は順調で夕方には目的地であったイセルニア領の領主が住む街に到着した。古い城壁に囲まれ、街にも古い建物が多かった。だが人々には活気と余裕があり、裏道まで整備されている。
「この街はちゃんと統治されているようですね」
ルドが街中を観察しながら馬を歩かせる。
「昨日よりはマシな領主ということか?」
「たぶん」
ルドは警戒をしながら領主が住む城へと進んだ。
城に到着したルドとクリスを迎えたのは五十代ぐらいの夫婦だった。二人とも白髪交じりの髪に細い目で、おっとりした雰囲気をまとっていた。
「ようこそ、イセルニアへ。この地を任されています、ファウスティーノ・スクウィッツァートです。こちらは妻のロレーナです」
ロレーナが馬から下りたクリスに手を差し伸べる。
「まあ、まあ。目が見えないのに馬での旅は大変でしたでしょう。さあ、こちらへどうぞ」
「え? あ……」
クリスが答える前にロレーナが城内へと誘導する。止めようとするルドにファウスティーノが声をかけた。
「馬は預かってもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「夕食はいかがされますか? 少し休まれてからになさいますか?」
「あの、それは……」
こうして話している間にもクリスとの距離が開いていく。
ルドはファウスティーノに頭を下げた。
「すみません、夕食については後で相談させて下さい。ここは失礼させて頂きます」
ルドは無理やり会話を切ると走ってクリスたちを追いかけた。
「奥方様! お待ちを!」
ルドが叫ぶがロレーナは止まらない。
クリスが客室に入ったところで、ようやくルドは追い付いた。閉まりかけたドアを開けてルドが慌てて一緒に部屋に入る。すると花の匂いが漂ってきた。
ロレーナがクリスを椅子に座らせる。
「さあ、疲れたでしょう? 足湯を準備していましたのよ」
メイドが湯を張った深い桶をクリスの足元に持って来た。ロレーナがドアの近くに立っているルドに視線を向ける。
「足湯をするだけですよ。それともあなた方は足を見せ合うような間柄でしょうか?」
その言葉にルドが姿勢を正して頭を下げる。
「し、失礼いたしました!」
ルドは逃げ出すように部屋から出て行った。
女性にとって男性に足を見せることは、はしたない行為とされている。そのため足を見せるのは恋人や夫婦など、極々限られた相手となっている。
ロレーナはルドに対して遠回しに、クリスと恋仲なのか? と訊ねたのだ。
廊下に出たルドがドアの前で額を押さえる。
「一筋縄ではいかないということか」
直接的な物言いをしてこない。言葉の裏に含まれた意味を読み取り、返さなければ会話にならなくなる。
ルドは大きくため息を吐いた。
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