3話 招かれざる親友、その座はペテン師
「……ありがとう」
「あ、ああ」
最初。
冷たい眼差しが向けられていたハズだった。
なのに微妙な空気のせいか、金髪の少女は悄らしくなってしまったではないか。
端麗な顔立ち。その頬は朱色に染めて。
少しだけ口元は綻びかけていた。
(……本当に、これで、良かったのか?)
もしかしたら彼女は照れているのかもしれない。
それとも入学早々変人と遭遇してしまい笑いを堪えている途中か。
真相は本人に尋ねなければ分からない。生憎そんな度胸を航は自慢するほど持ってはいない。いずれにせよ彼女の感情は何かしら揺さぶれており、とにかく情緒が不安定だった。
時折驚いたり。大人しくなったり。
感情が豊かな彼女はチョコレートを貰えたことが何よりも嬉しそうにして。
結果的に良かったと、航は心の中で胸を撫で下ろした。
「へぇ……」
角度を変えながら彼女は微笑を湛える。
金の紙で包まれたお菓子なのに。何処にでも販売してる物なのに。彼女にとっては相当の価値でもあるのか時間をかけて眺めていた。
まるで本物の宝石のように。
子供の頃に憧れていた夢が詰まったお菓子を思い出す。
それが歳を取るにつれて存在の価値が下がってしまった。小腹が空いたら手頃に食べれる小さなお菓子だからこそ、随分と身近な物だと航は感じている。
彼女の場合では。
思い出に感情が揺さぶれていることもなく。
純粋に、向こう側にある景色を求めて、好奇心が彼女の心を動かしていた。
「……頂くね」
澄み切る問いに航は静かに頷いた。
すると彼女は丁寧に金紙を剥がしてはチョコレートをほんの小さくかじる。
ポキッと折れた音が聞こえた。味わいを楽しむ為にゆっくりと咀嚼する。目線を泳がしては熱で指に付いてしまったチョコレートを舐めている。
「ん、ん……?」
見られているのを躊躇う彼女だったが。
対して航は無言のまま、疑問を抱きながら目を細めては眺めていた。
彼女に憑いていた『招き手』が消えるその意味とは。
不可解な現象に思案が巡る。
(―――あの現象は、一体何だったんだろう)
招き手は災いを呼び寄せる影だ。
心臓の奥に宿す心に悪意の影に蝕んだ途端、人ならざぬ者となってしまう。暴走した意識は猛獣を宿し、人々に危害を加える存在となり、誰にも認められず心を歪み続けた結果、『歪人』となった者達は最後、呪いを振り撒いて死ぬ。
まるで。幾年憎しみを込められた怨霊と酷似している。
そんな呪いに魅入られた彼女ではあったが。
招き手そのものに特別な何かが働き、無自覚で反発してしまったのだ。
―――彼女に宿る、心の炎が気になる。
(心の中にある消えない炎、か)
先程の覆す事実が衝動を滾らせる。
今後、天啓をもたらす彼女の行く末がより一層と知りたくなるばかりだ。
単純は興味ではなく。新たな可能性に期待している。
どれほど修練を磨いても。
航には未だに分からないものがある。世界の秘密が多すぎて時間が割けられなくなってしまった。多忙な毎日が邪魔してくる。求めた自由は手に入らない。繰り返される結果に心の中の退屈は満たせず、常に眺めるだけだった。
けれど偶然は訪れた。彼女が抱く心に秘めた強さに。
未知との遭遇に、航は見惚れてしまい、いつの間にか彼女に詰め寄られていた。
思わず驚嘆してしまう。
「ねえ、なんで私のこと、ジロジロ見ているの?」
「……え!? あ、いや、……ちょっとだけ、考え事をしていたんだ」
実際に嘘は付いてない。
余所見をして配慮を欠けていたのか。不本意な態度を彼女に見られてしまったのだろうか。
不機嫌そうに険を含んだ目付きでこちらを睨んできた。
ちょっぴり怒っている様子。不快な思いをさせてしまったか。航が悪いのは百も承知。だからこそ理由という気の効いた逃げ道は使わない。代わりとして真実を彼女に打ち明けたとしても、きっと理解には辿り着けないのだろう。
「ふーん。ホントに?」
「本当なんだ。なんだよその目。本当なんだって!」
ふざけていると彼女は気分を損なうだけだ。
罪悪感を抱えながらも、ふと視線を落としてみれば、机に貼られていた紙に唐突と目の色が変わった。
最も身近な存在。距離が近くなる、愛情が込められたおまじない。
航はその意味に感心して思わず声を発してしまう。
「ええっと、……幸乃っていう名前、とても素敵だなって思っていたんだ」
「!?」
両親の愛が込められた大事な名前。幸せになってほしい。様々な願いが込められた彼女は美しくなり、そして可憐な姿は幸福の中で過ごしてきた証拠。彩られた世界で輝く彼女の面影は高嶺で咲く鏡花水月の花。
触れることを許されない距離で佇む彼女に。
―――羨ましいと、心の何処かではそう考えてしまった。
「ほら、嘘は付いてないだろ?」
この機に尋ねてみる航は自信に満ちていた。ヒエラルキーを凌駕したことで彼女とは対等の距離にまで縮まり、ラフな対応で答えられるようになった。興味のない相手にとっては失礼極まりないが。
果たして。
彼女の反応はどうだろう。
「嬉しい……。生まれて初めて、男の子に幸乃って呼ばれたの!」
「うん……?」
まずは耳を疑い。そして戸惑いは現実のものとなる。
厄介なことになった。彼女は簡単に航を手放してくれないらしい。
迂闊だった。まさかデリケートな部分に触れてしまったのか。女の子という生き物は異性に名前を呼ばれると、明白な反応を見せると雑誌に載っていた。
一つは拒絶。簡単に言えば不愉快に感じたこと。無理もないだろう。好意的ではない相手に愛嬌を振る舞うのはプライドを投げ捨てるだけ。
二つは純粋な好意だ。心を開かせるのに相応しい人物にあたること。信用できるほどの人柄と人物像によって反応は左右される。けれど本当に失礼なのは、自分が決めた基準によって天秤に掛けられる相手であると決して忘れてはいけない。
では、彼女の場合はどうだろうか。
以下の反応を見せず、それどころか目をキラキラさせては笑みを溢していた。
その証拠として。
握っていたペットボトルがミシミシと悲鳴を上げていた―――。
なんだこれは。どうしてそうなった。
落ち着けと自分自身に問い掛ける航は訳の分からない恐怖に驚愕する。彼女の中に秘めた謎に逆手を取られて、優勢だった立場が呆気なく逆転してしまう。
初めて男の子に名前を呼ばれたと、彼女はそう言った。けれど疑心が強くなるのは本能が拒絶しているからだった。知りたくない。知ると絶対後悔する。それほど千駄木幸乃という少女は触れてはいけない存在なのだと。
全力で誤魔化そうと航は決意した。
一瞬だった。
「あ、しまった。用事があったんだ! えっと、少しだけ席を外すから……」
「ちょっと待って!」
「ごめんね、……って、いつの間にか掴まれている!?」
一瞬で失敗した。
退散しようと企てるが失敗に終わる。彼女に気付かれては袖を掴まれてしまう。
あまりの早さに反応をしてしまう羽目に。
「ま、待て! 話せば分かる! 話し合えば、きっと分かり合えるハズだ!」
これ以上関わる必要はないハズだ。なのにまだ不満があるというのか。怪訝そうになるが打って変わって打開策を講じることにした。
金貨のチョコレートを欲しがるような趣味はしていないだろう。
むしろ素直に喜んでいる素振りしか見えなくて航は悩んでいる。どう受け取ればいい。憂える彼女に罪悪感が生じて、覗くような視線で縋る仕草が息を呑むほど悔しさに浸るばかりだ。
なるべく穏便に解決を急ぐには。そう思案を巡らせていたところで、
―――凝視が、出来ない。
併発した意識によって思案が瓦解した。そして咳払いをする千駄木に遮られた。
「……こほん。ほら、君、大切なこと、何か忘れてないかな?」
「大切なこと……」
謎解きに自信はないがその言葉に隠されたヒントを辿って言葉を濁す。
見落としていた部分を探る。何かを忘れている。重要そうな言葉なのに閃きが冴えらない。思い出すにしたってイメージするのは血縁関係の遠い従姉ぐらいしか想像力があまりにも足りない。
駄目だ。答えが空白だった。
冷や汗が頬に伝う。窮地に立たされる状況は変化せず、苦し紛れに視線を逸らしてみると、学校側から事前に指定された席を思い出した。
やっと解放される。
「あ、悪い。自分の席を探すんだった!」
距離を置くだけでいい。焦燥を隠すワザとらしい演技が雰囲気を悪くさせる。
問いに答えられなかった。初対面の相手に記憶を掘り起こす鍵は見当たらない。だから否定的に捉えればどんなに楽なのか、嫌にでも実感する。
多分。
彼女が募らせた弁舌はこう指摘をしているのだろう。
さっさと自分の席に付いて欲しい。もう二度と話したくはないから。
気分を悪くさせてしまった。
これが。精々の答えだ。
そう言われる前に返却を促す。自分自身の姓名が紙に書かれている席を探そうとして、実際にこの場から離れてみる。
「じゃあね。千駄木さん」
澄ました笑みを浮かべては別れを告げる。
自己放棄のような流れ作業は何も響かない。新品の黒バッグを置いて身軽になりたかった。そして教室を出たい。距離を測るのを間違えた航は振り切ってみせた腕を振る。これ以上関わると、迷惑を被るのは彼女の方だ。
彼女の物語に。横槍は不必要なのに。
「違う!」
腕を引っ張られる。
期待に添えられない航の天邪鬼に千駄木は不満そうな声溢していく。
「どうしたらその答えに行き着くのかな、君!?」
強く引かれた腕は彼女の手と触れる。
微かに感じる体温は対極なもので、航の手はどれほど冷たかったのだろうか。彼女の表情は驚いたような素振りを見せても、それでも包む込む手は熱を上回った。
気持ちが強くなるほど。涌き出した意地悪は冷淡を孕む。
だからなのか声のトーンが自分らしくない。
「違うのか……。そういえば、まだ自己紹介してなかったような気がする……」
「必要だけど、それも違うの!」
結局。怒られてしまった。
初対面の相手に時間を割く必要があるのだろうか。
ヒントのない問題に挑んでも無謀だ。知らずに弄ばれているだけだ。必死に考える姿が無様に思えてしまう。無意味な問題に真剣に取り組めない。接点のないナゾナゾに振っても、彼女が認識している『大切なこと』は他人とは異なる存在であれば、辿り着く思想は一致することも程遠い。
特に記憶に関する問題の場合。
降参するしかない。
「……分からない」
本当に何も分からなかった。
鋭い眼光を放つ千駄木の貫禄が、航は彼女に楯突くほどの勇気が足りなかった。
「ごめん。やっぱり、何も思い出せない」
「そうなんだ……」
両手を上げて投降の意思を示す。
無礼にほどがあるが、航は想像力は足りている。彼女本人の口から聞いた方が断然早いと考えていた。見えない罪悪感を噛み締めて、大人しく正解を待つ。たとえそれが時間稼ぎだと間違われていようとも。
所詮、他人なのだから。
胸元を掴む彼女の真剣そうな眼差しを見ても、航の心は響かない。言葉が動かないのに。なぜ、ここまで気に掛ける理由が彼女にはあるのか。
「ねえ、もう一度、思い出してみて……? ね?」
細い吐息と耳に囁く緊張混じりの声は小さくなっていく。
だけど明確な違いが現れる。力強い意思が届く。神経を揺さぶる彼女の質問と熱気が込められた瞳の強さ。追及しようとする覚悟を背負うその姿は何を望み、宛てられた謎を穢れのない心で示してくれるのか。
航に差し向けた真実を。
唯一秘密の鍵を知る彼女は、自身の言葉を使って佳境へ届こうとした。
「君は、私のことを……」
唇が震えるその途端に。
「お、いたいた。おーい日比谷、一緒に女子をナンパしようぜ?」
突如教室に侵入してきた部外者。
航にとって切っても切れない腐れ縁の一人であり、親友と呼べる数少ない知人。
茶髪の少年、駒込貴雄は空気を読めていなかった。
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