第九話 昏き野望
審判の掛け声と共に、ギャラナがゆっくりと摺り足で右へ動く。
視線はブリディフから離さない。
「貴様と戦うのを楽しみにしていたよ。楽しめそうな相手だからな」
彼奴の挑発には何も答えず、定石通りに四タルザン(六メートル)ほどの距離をとったまま左へ動いていく。
じりじりと平行に移動していく二人を、観客席も固唾を呑んで見守っている。
お互いを警戒しているのかにらみ合いが続く中、防御を得意としているブリディフが珍しく先に仕掛けた。
「吹きすさぶ熱砂の潮流よ、我が道を示せ!
サンドストーム!」
地面から砂が吹き上げ、うねりを帯びて固まっていく。
砂嵐がギャラナに襲い掛かると同時に、彼奴を中心として弧を描くように、素早く左へ回り込んだ。
「何を企んでおるのだ?」
飛び交う砂塵から緋色のローブで身を護りながら、防御の魔道を唱える。
「空高く舞え! シルフ!」
突風が吹き上げ、砂嵐は霧散した。
「今のは時間稼ぎと言う訳か。しかし、立ち位置を変えたことに何の意味があるというのだ」
ブリディフは依然、口を開かない。
この観客席は方形の闘技場を囲むように三方へ造られていた。一方のみ控室などのある管理棟があり、観客席はない。
今、彼は管理棟を背にして立っていた。
そして、再び先に動く。
「灼熱の重き
スパイラルフレア!」
これは一昨日の闘技で勝利を決めた魔道だ。
魔道杖の先で炎が渦を巻き、振り下ろされた右手と共にギャラナへ一直線に向かう。
「ほう。見事だな」
自らに牙をむく紅蓮の渦にも、全く動じない。
「今一瞬の全ての炎をこの手に委ねよ!
サラマンダー!」
現れた火龍が紅蓮の渦に立ち向かう。
炎と炎が轟音を立てながら激しくぶつかっている。
しかし、徐々に火龍が押し込み始めた。
そして、ついに渦は砕け散り、火龍はそのままブリディフへと向かっていく。
「我を守れ、グノーム!」
現れた土壁を破壊したものの、火龍も砕ける。が、破片の火玉が彼の左肩に当たった。
「うぐっ!」
思わず数歩後ずさり、痛みに顔をしかめる。
ギャラナの攻撃は、相手に
当然、
その魔力にも自信があるからなのだろう。
師であるクワァラドとの分析で認識していたものの、実際に相対すると確かに強い。
「どうした。そんな程度か?」
挑発を続けながらも、攻撃の手を休めることはない。
互いに火の魔道による激しい攻防が続いた。
ブリディフの攻撃は彼奴には届くものの、わずかのみ。
少しずつ後退し、すぐ後ろには闘技場の壁が迫っている。
ギャラナの優勢となっているのは誰の眼にも明らかだった。
「おじさん、大丈夫かな」
ヤーフムが心配そうにつぶやく。
「ブリディフ様なら、きっと何とかしてくれるわ」
カリナも自身を信じ込ませるように答えた。
クワァラドは厳しい表情のまま、闘技場を見つめている。
「もう少し歯ごたえがあると思っていたのだがな」
ギャラナは余裕の表情を浮かべている。
魔道の使用が続き体力を消耗しているはずだが、それを感じさせない。
「そなたは五十年ほど前に姿を消したというギャラナなのか」
闘技が始まってから初めてブリディフが口を開いた。
彼も疲れを表に見せず、落ち着いた声だ。
「そうだと言ったら?」
「その風貌、とても老人には思えぬ。闇の力……なのか」
あえて確かめるブリディフへ、皮肉たっぷりに答えた。
「おめでとう。その通りだ」
その瞳には昏い野望を宿らせ、言葉を続ける。
「俺は闇に取り込まれたわけではない。その力を利用しているのだ。すべては魔道王となるためにな」
観客席には二人の声が届かない。
魔道の応酬がいったん止み、静寂が闘技場を包んでいる。
そして、今度はギャラナが動いた。
「休憩は終わりにしよう」
緋色のローブを翻し、魔道杖を天へと掲げる。
「業火を胸に抱く灼熱の王 すべてを灰塵と化せ!
イフリート!」
四方から火玉が集まり、やがて二タルザン(約三メートル)はあろうかという炎の魔人を形どった。
今までとは威力が異なる魔道であることを、ブリディフはすぐに悟る。
(これは
今まで封印していた詠唱を始めた。
「流転なす生命の源流よ、我と共に!
オンディーヌ!」
あちらこちらから噴き上がった水が束となり、水柱となっていく。
それを目にして、ギャラナは片笑みを浮かべた。
「ようやく、だな」
すぐに新たな詠唱に入る。
「猛き冷酷な疾風よ、我が声に応え従え!
ノースウインド!」
猛烈な風がイフリートもろとも水流を弾き飛ばす。
弾かれた水しぶきはブリディフへと降りかかった。
ヴァリダンが敗れたときと同じように。
「ブリディフ様っ!」
カリナの悲痛な叫び声が上がった。
勝負を決めるべく、ギャラナが詠唱を畳みかける。
「天空に
ライトニング・ボウ!」
*
二日前、ブリディフはある男のもとを訪ねた。
「これは珍客だな。俺に何の用だ」
しゃがれた声の主は、黒いフードを深く被っている。
「そなたの宿がここと聞き、お邪魔した。折り入って教えて欲しいことがある、ダーナス殿」
ブリディフが頭を下げた相手は、二日目の対戦相手であるダーナスだった。
ヴァリダンとの闘技を見て、ギャラナが闇の魔道使いではないかと感じたからだ。
そこで、同じ闇の魔道使いである彼の話を聞きに来ていた。
事情を聴き、ダーナスは半ば呆れたように薄く笑った。
「自分が下した相手に、頭を下げて聞きに来るとは。貴様も変わり者だな」
「私は全てのことを知っているわけではない。知らぬことを教えてもらうのに、頭を下げるのは当然のこと」
「ふん、面白い奴だ。俺で分かることなら答えよう」
ダーナスの話では、闇の魔道使いの間でもギャラナの名は通っているが、深く知られていないらしい。
単なる闇の使い手ということではなく、闇に取り込まれたのだと噂する者もいるようだ。
彼から教えを受け、ブリディフは礼を言って立ち去ろうとした。
その背中にダーナスがしゃがれた声を掛ける。
「貴様ならば扱えるやもしれぬが、せいぜい取り込まれぬようにな」
*
ギャラナの放った魔道が雷の矢を降らそうとしていた。
(それならば、この闇の魔道がいいかもしれぬな)
ダーナスの言葉がブリディフの脳裏によみがえる。
彼から授かった魔道は、このときのために連夜の修練を重ねた。
「光さす世界に残りし闇の始まりよ、汝の力により大いなる静寂を!
ブラックホール!」
ブリディフの前に現れた小さな黒い
「なにっ!?」
それが何であるかを知っているギャラナは驚きの表情を浮かべた。
ブリディフ目がけて落ちてきた雷の雨が、次々に黒い靄へと吸い込まれていく。
「くっ!」
しかし、魔道を放ったブリディフも必死に何かに堪えていた。
この闇の魔道は周囲のものを吸い込んでしまう能力がある。
人の心さえも。
ブリディフはこの技を使うことを考え、観客に影響を与えないように席のない面を背にしたのだった。
「ははっ、苦しそうではないか。気を抜くと魔力が弱まるぞ」
ギャラナの言葉が合図だったかのように、光矢がブリディフの右肩を貫く。
そう思った瞬間、彼の僧衣が白く光り、光矢をはじき返した。
「うぐぅ」
魔力が掛けられているとはいえ、体への痛みは感じる。
「こざかしい真似を。ならば、これで引導を渡してやる!」
これまでの余裕の表情が怒りの形相へと変わり、右手の魔道杖を掲げた。
「光の化身なる雷帝の剣よ、我が刃と成りて仇なすものを切り裂け!
サンダーブレード!」
― つづく ―
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