第二話 黒い髪の少女

 四方を山々で囲まれた、魔国ガルフバーンは別名「砂漠の奇跡」と言われている。

 領土の四分の三が砂漠で占められているにもかかわらず、その中央に位置するムーナクト月からの恵み湖のおかげで繁栄を得た王都モスタディア。

 生活に必要な水はもちろん、豊富な水産物を主とした交易の拠点となり、隊商の中継地としても重宝されていた。

 人が集まり、物が集まる。

 照りつける陽射しの中、この日も市場通りルドゥマは多くの人で賑わっていた。



 二日目の闘技も勝利を収めたブリディフは、僧衣を着替えて宿へと向かっていた。

 赤みを帯びた土レンガの道からもやのように熱気が立ち上る。

 湖から吹く風が心地よいとはいえ、山育ちの彼にはいささかこたえる。

「お姉さん、うちの薄焼きパガティンは美味いよ。一つ、どうだい!」

 市場通りルドゥマへ入ると、威勢のいい売り子の声が響いていた。


 腹も空いたことだし、何か食べて帰るか。

 それに――


 彼は背中への視線が気に掛かっていた。

 闘技場を出て間もないころから、ずっと感じている。

 しかし、振り返ることなく、通りに並んでいる露店に目をやりながら歩く。

 店先にはモスタディア名物の魚の干物ペシュレや干し肉、ヤシの実パルメに魔道杖と、様々な品が並んでいた。

「ウチの焼き魚は美味しいから食べていきな」

 おばさんの愛想のいい笑顔に誘われ、ブリディフは店の奥へと入っていく。

 路地角に面したこの店は壁も少なく開放的な造りになっていて、香ばしい匂いが漂っていた。


 通りを見渡せる席に座り、品書きを見る。

「ここの名物は何ですか」

「そりゃあ、姫鱒クイナの香草焼きだよ。これはモスタディア一の美味しさだね」

 自慢の品を頼み、通りへと目をやると、こちらを伺う一人の少女がいた。

 年のころは十二、三といった所か。

 この国の者にしては珍しい黒い髪をしている。


 彼女だったのか。


 ブリディフと目が合うと、悪戯が見つかってしまったかのように小さく口を開けた。

 それでも、彼がほほ笑むとはにかんだ笑顔を見せる。

 おばさんに声を掛け、席を立つ。


「こんにちは。私に何か用があるのかな」

「わたし、さっきの闘技を見て、あなたのことが気になっちゃって」

「ほぉ、それはうれしいね。ありがとう」

「あの魔道、アウルだったでしょ?」

 その言葉に彼は驚いた。

「ここは暑いし、よかったら中で話を聞かせてくれないか」


「あら、妹さんも一緒だったのかい」

 銀髪の彼とは全く似ていないのに、そう笑いながら水を持ってきた。

 おばさんが離れてから、あらためて少女に話しかける。

「私はブリディフ。君はモスタディこの街アに住んでいるの?」

「いいえ。わたしはカリナミラ、カリナって呼んで。ここにはお父さんと一緒に闘技会を見に来たの」

「一人で出てきたら、お父様が心配してるよ」

「大丈夫。お父さん、今は忙しいから」

 にっこり笑うと、器の水に口を付けた。


「カリナはどうしてアウルだと思ったのかな?」

 あの魔道は思念波となって攻撃するので、目で見えるものではない。

 そもそも砂漠で暮らしている人々の多くは、その存在さえ知らないだろう。

「うーん、何となく。急にさっと現れて」

「あれが見えたのか」

「いいえ、そう感じただけ。森で獲物を襲うのを見たときと似ていたからかな」

「君も山の生まれなんだね。私はルンディガだよ」

「やっぱり。きっと山の人なんだと思った。私はトゥードムよ」

 北の山間にあるルンディガと反対に、南の山岳地帯にあるのがトゥードムだ。

 ムト山羊シェヴの飼育が盛んな地域でもある。


 そこに料理が運ばれてきた。

「いい匂い」

「よかったら一緒にどうぞ」

 山で育った二人には、魚料理というだけで珍しい。

 姫鱒クイナの表面の皮は香ばしく焼かれ、紅色の身はふっくらとしていた。

 口に含むと香草の香りが広がり、魚特有の匂いも感じさせない。

「美味しい」

「これは旨い。さすがにモスタディア一というだけある」

 彼がおばさんの方へ振り返ると、親指を立てて片目をつぶった。


「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」

「カリナが私の魔道を気に入ってくれたお礼だよ」

「頑張ってね。あなたのことを応援しているから」

「ありがとう。頑張るよ」

「でも、あなたのことは二番目だから」

 意味が分からず、ブリディフは小首をかしげる。

「一番はお父さん。お父さんも闘技会に出ているの」

「そうだったのか。なるほど」


 きっとこの少女も父から魔道の教えを受けているのだろう。

 だからアウルにも気づいたんだな。


「して、お父様のお名前は?」

「ヴァリダンよ。対戦することになったらお手柔らかにね」

 カリナは笑いながら手を振り、闘技場への道を走って行った。




             ― つづく ―

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