植生少女は春が嫌い

みぐゆ

植生少女は春が嫌い(前半)

 私は春が嫌い。



 薄紅色の桜が川辺の通学路を染め上げ、爽やかな日差しが新生活に心躍らせる人々を照らし出す。


 身を縮め凍えていた季節は終わり、暖かく身を伸ばす季節が訪れる。


 暖かい日差しに、心地の良い冷気を運ぶ風が吹く。


 卒業する者、新生活を始める者、進学する者。私たち高校生にとっての一つの境目となる季節。


 それが春。あぁ、何と素晴らしいことだろう。


 などと人は言う。


 しかし、私はそんな人にこそ、そんな訳あるかと言いたくなる。


 これは言うほど素晴らしい季節でもない。


 春になると私の周りには人は近づかなくなり、他の季節は仲良くしてくれた友達も、私の周りから遠ざかってしまう。そんな嫌な季節。


 だが、私から人が離れていく理由は分かっている。


 それは、私の体の半分は木が生えているから。




「植生病」




 一億人に一人が発症する奇病と呼ばれているらしく、人体から植物が生える病気とされている。発症原因は不明。治療法も不明。どういった原理でこのような病気が引き起こされているのかも不明。分かっているのは、生える植物は季節により変わっていくということと、人体に悪影響を及ぼす悪病の類ではないということ。


 植物が生えるのは人体の一部であり、植物に神経などは通っていない。その根は体全体に張り巡らされており、宿主の体から栄養を搾取し、無理に抜こうとすれば宿主の体は死に至るとされている。


 私の場合は、左上半身腰から肩にかけて皮膚を突き破って木が生えており、その大きさは身長と同じくらい。



 私が生まれてほどなくしてその病状が現れたため、この病気とは約十七年間の付き合いとなっている。


 と、ここまで話したが、別にこの奇病のことで皆が恐れていたり、怖がって私から離れているわけではない。


 この街の住人の大半は皆奇病のことを理解し受け入れてくれているし、私自身も普通の高校生と同じような生活をすることができている。


 しかし、問題なのが。それは、私に生える木が。


 いうことなのである。









「ぶえっくしゅん! 」


「はっくしゅん! 」


「くしゅん! 」


 私から生えるヒノキは春になると猛烈な花粉を振りまき、私の周囲の人間に容赦なく襲いかかる。


 その花粉の量は凄まじく、通常のヒノキの五倍もの量の花粉が半径三メートルほどまで飛んでしまう。


 しかも、私自身には影響を及ぼさない。というおまけ付き。道行く人々は皆、私には近づこうとはしない。

 それでも私は今日も教室へと向かう。





 シュコー……シュコー……



 朝のホームルームの時間になると、本来教室で聞くことはないであろうくぐもった呼吸音が、四方八方から聞こえてくる。


 皆顔には仰々しい黒いガスマスクをつけており、中には体全体を包み込む防護服を着ている生徒もいる。


 その中で、私だけがマスクもつけず、制服姿のまま席についている。


 この異様な光景に、ここは教室ではなく軍か何かの核兵器の実験場ではないのだろうかと時折思うこともある。


 私の席は一番後ろの窓際。四月にしてはまだ寒いというのに、花粉を外へ追い出すために窓は全て開けられている。


「それでは、ホームルームを始めます。皆さんマスクは忘れずに付けるようにして、教室に出入りする際は手洗いうがいも忘れずに行ってください」


 教室ではガスマスクがなければ授業を受けることすらできない。先生もガスマスクをつけたまま教室に入ってきてくぐもった声でそう話す。


 誰一人としてこの異様な光景に異を唱えることはない。私と同じクラスになり、私と同じ教室で春を迎えるということがどういうことなのか、よく知っているから。


「すみません! 遅刻しました!」


 そんな中、無用心にもガスマスクをつけずに遅刻で教室に入ってきた田中くん。相当急いで来たのか、息切れが激しく、肩で息をしながら教室に足を踏み入れる。


「待ちなさい! 田中君! 今入ってきては……」


 そんな田中くんにかけた先生の制止の声も虚しく。


「え? なぜです……くしゅん! はくしゅん! ぶえっくしゅん! あぁ! 目が! 鼻がぁぁぁ!!」


「田中君、早く保健室に行ってきなさい! 手遅れになる前に!」


 田中くんはパニックになり涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにさせながら保健委員によって保健室まで連れていかれた。


 あとで謝っておこう。すまない、田中くん。


「ごほんっ。えー、それでは朝のホームルームはこれで終わりです。皆さん、一時限目の準備をするように」


 先生は何事もなかったこのように連絡事項だけ伝え終わると、先生はそそくさと教室から立ち去っていく。


 その後、授業を受けてお昼の時間となる。私は一人弁当を持って教室を出て屋上へと向かう。


 教室に出た瞬間、生徒たちの安堵の声が聞こえたがそれもそうだろう。私も皆の弁当を花粉まみれにはしたくないから。




「なっ! 来たぞ! みんな逃げっ……ふぇっくしゅん!」


「マスクを! マスクをつけるんだ!……ずずずっ、あぁ! ばなみずがぁぁ!!」


 廊下を歩くだけでパニック映画のように生徒の間を恐怖の波紋が広がっていく。私が一歩進み度に生徒は口に手を当て、教室の中へと避難して行く。逃げ遅れたものは花粉の餌食となり、鼻と目から水を流しながら倒れる。


 屋上までの道のりで花粉の被害を受けた生徒達には冥福を祈っておこう。



 なんとか屋上に辿り着き、私は屋上のフェンス際に設置されている椅子に座ってお弁当箱を開ける。そして、雲ひとつない青空を眺めながらお弁当を食べていると。


 そこへいつものように一人の訪問者が現れる。


「せーんぱぁぁい!!」


 ドタバタと階段を駆け上がる音を引き連れて屋上のドアを勢いよく開け、一人の女子生徒が私の下まで駆け抜ける。そして、そのまま勢いを殺すことなく私の懐に向かって突進をかまし。


「うぐぇっ」


 私はその突進を避けれず直撃。姿勢を崩しフェンスに背中を強打しつつ、鳩尾に大ダメージを受けることとなった。ちなみに手に持っていたお弁当は奇跡的に無事だった。


「し、真果。今日も来たの?」


「はい! 今日も来ました! 先輩に会いに来ました!」


 私の鳩尾へ重めの一発を入れた女子生徒はニパッと眩しいほどの笑顔を私へと向けながらそう答えた。


 この子の名前は芙蓉真果ふよう しんか。この学校の一年生であり、中学生の頃から私のことを慕ってくれるふんわりしたボブヘアーが特徴的な可愛い後輩。


「毎回思うのだけれど、真果は花粉症大丈夫なの?」


「大丈夫です! 私花粉症じゃないんで!」


 真果は花粉症ではないようで、私から生えるヒノキの木から出る花粉を嗅いでも問題ないらしい。


「あのですね、私、なんと今日はお昼ご飯にウィ○ーインゼリーを持ってきたので問題ナッシングです! これなら花粉なんて関係ありません!」


 真果は持ってきた鞄の中から取り出したお弁当箱を開け、中に押し込められているゼリー飲料を見せびらかしながらそういう。


「この前は先輩の花粉がご飯にかかってしまって黄色いふりかけみたいになってましたけど、今日は大丈夫ですよ!」


「あぁ、あれは、本当にごめんね。まさか花粉があそこまで酷いとは思ってなくて……」


 私自身がくしゃみをした瞬間、ヒノキの花粉が一斉に放出されて弁当を花粉まみれにしてしまった。あの時は、自分で思っていたより花粉の量がすごくて正直驚いた。そりゃあ、皆んな近寄りたくないわけだ。


 この子以外は、だけど。


「いえいえ、大丈夫です! んー! 美味しいっ! 明日はこんにゃくゼリーにしますね!」


 真果はパックを握り一気にゼリー飲料を腹に収める。私はその様子を見ながらお弁当の最後の一口を食べ終わり、箱を閉じる。そして、満足げにお腹をさすり、手に持っていたカバンにお弁当箱を押し込むようにしまう。


「えーっと、あった。よいしょっと……」


そして、その代わりにカバンの中から大きな鋏を取り出した。


 その鋏を構え、真果は私の肩に手を置いていう。


「先輩! それじゃあ今日の分の剪定パパッとしちゃいますね!」


「えぇ、お願い」


 そう言って真果は私の後ろに立ち、私から生えている木の枝を鋏で切り落とし始める。


 伸びすぎてしまった枝の長さを揃え、多くなった枝を切る。


 一定のリズムを刻むように鋏を動かし、枝を迷いなく切っていく。一見乱暴にも見えるが、その手つきは柔らかく、髪を切りそろえる美容師の姿を彷彿させる。


「んー、やっぱり真果にしてもらうのが一番ね。さっぱりしたわ。いつもありがとう」


 真果の手によって綺麗に切りそろえられ、ほんの少し体が軽くなる。その足元には切り落とされた枝が散乱している。真果はその枝を持ってきたゴミ袋にせっせと詰めながら嬉しそうに話す。


「いえいえ! 先輩を一番綺麗にできるのは他の誰でもなくこの私なんだって思えるのでとても嬉しいですっ。次回も是非この天才庭師、芙蓉 真果にお任せください!」


「じゃあ、明日もお願いね」


「はい!!」


 私の体から生える木は毎日成長している。こうして一日に一度枝を切っていかなければ伸びすぎて周りに影響を拡大させてしまう。


 専門家の人の話では、成長スピードは精神状態に左右しているとか。感情が揺れ動く振り幅が大きければ大きいほど、そのスピードは早まっていく。


 だから、私はこの街で唯一の庭師の娘である芙蓉 真果に剪定を頼んでいる。


 これ以上この木が育つことがないように。



 休み時間が終わり、午後の授業もなんとか終わる。教室でくしゃみをしそうになった瞬間は戦慄が駆け抜けたが、どうにか耐え忍ぶことができた。くしゃみなんてしてしまえばヒノキの花粉が大量に広がり、被害をさらに広げることになってしまう。

 私は授業を受け終わるとさっさと荷物をまとめて教室から出て行く。


 今の私は、この教室にいるだけで皆んなに迷惑をかけてしまう。


「あ! せんぱーい! 今から帰りですか? 一緒に帰りましょー!」


 校門の前で待機していた真果は私の方を見て、嬉しそうに手を振ってきた。


「えぇ、帰りましょうか」


「はい!」


 街でも私のことは知れ渡っている。春に生える木がヒノキであることも。しかし、知れ渡っているからこそ私はこうして人並みの生活をして、学校にも通うことができている。それは感謝しなければいけないことでもある。


 私が真果を連れて通学路を歩いていると、皆、私の顔を見るなり逃げるように距離をとる。


 そんな中でも、真果だけは私にくっついて隣を歩いてくれる。


「先輩! どこか寄って帰りませんか?」


「やめておくわ。どこも私が行くと迷惑になるでしょう。こういう時は早く帰るのが一番なの」


「そんなことありませんよ! あ、そうだ! 川辺とかはどうですか?あそこなら人もあまりいませんし、場所も開けてるので花粉が広がっても大丈夫です! 行ってみましょう!」


「……そうね。行ってみようかな」


 真果の誘いで私達は街から外れた所にある川辺へと向かう。しかし、そこには先客が既におり、地域のスポーツ少年団の子供達が野球の練習をしていた。


「ありゃ……」


「ま、マジすか……」


 目に見えて酷く落ち込む真果。相当ショックなのか、目の端には涙が浮かんでいる。


「まぁ、こういう日もあるわよ。残念だけど、今日は大人しく帰りましょう」


 私は納得いかずに頬を膨らませている真果にそう提案する。


「むぅ……」


 真果は川辺のグラウンドで楽しそうに練習を続ける子供達を睨みつける。そんな恨めしそうに見なくてもいいのに。


「ね?」


 私は真果の手を取って街に向かって引く。そこで、ようやく真果も納得してくれたようで私の手を握り返して歩き始めてくれる。


「……はい、分かりました」


 私は街へと戻り、家に帰る道を真っ直ぐ歩く。繋いだままの手は固く握られており、真果はまだ機嫌が治りきっていないようで下を向いて静かに歩いている。


「ほらほら、元気出して。そろそろ機嫌なおしてよ」


「すみません……」


 真果は先程からどんな言葉をかけても、そう謝り続けている。


「また春が終わったら行きましょう」


「先輩っ……」


「どこがいいかしら? 二人で電車に乗って気ままに旅行とかも楽しそうよね。電車に揺られながら楽しくお喋りをしましょう。それでお弁当を持って行って、着いた先にある大きな公園でピクニックをするの。どう?」


 私はそう話しながら頭に思い浮かべる。真果と行くのならきっとどこに行っても楽しいわ。


「はいっ。行きましょう!」


 真果はようやく機嫌を直してくれたようで、目を輝かせながら笑顔で答えてくれる。よかった。いつもの真果に戻ってくれて。




 その後、真果は私の家まで送ってくれることとなった。その頃にはもう日は沈みかけており、辺りは薄暗くなっていた。ふと見上げた空は真紅と紺青が混ざり合い、昼から夜へと。光から闇へと姿を変えていく。


「それでは先輩また明日!」


「えぇ、また明日。真果も気をつけて帰ってね」


「はい!」


 真果は何度も振り返りながら、その度に手を大きく振り続け、角を曲がって見えなくなるまで私も手を振り返した。




 それから真果の姿が見えなくなるのを確認してから、私は玄関のドアを開けて家に入る。


「ただいま」


 そう呟くが、返事は返ってこない。閑散とした人気のない家の中は電気もついておらず、薄暗い。今、この家には私しかいないのだから、それも当然ね。


 家族は皆、春の季節だけ私から避難して別の家で寝泊りをしている。仮に一緒に暮らしたとしても、すぐに花粉症の家族の生活に支障をきたしてしまう。そのため、家族と話してこうして木が枯れるまでは別で暮らそうという結論に至った。


それは仕方のないことであると私も納得しているし、家族もわかってくれている。それに、別々に暮らすことが毎年のこととなってしまい、それに慣れ始めてしまっている。


 私は一人きりの家で料理を作り食事をとり、シャワーを浴びてベットに潜る。


「あと、どれくらいかしら……この木が生え変わるまで……」


 布団の中で自分の左半身を見つめ、右手で触る。その輪郭をなぞり、枝をへし折りたくなる衝動に駆られる。昼間に切ったばかりの枝はほんの僅かに伸びており、その事実が心をざわつかせる。


「折角、あの子が切ってくれたのに……」


 また、迷惑をかけることになってしまう。目を閉じてもその感触は嫌なほど私に訴えかけてくる。


 私という異物の存在を。


 授業中に眠くなってしまい、意識が朦朧とする中舟を漕ぐように頭を揺らしてしまえば、それだけで花粉を周囲に撒き散らしてしまう。だから、早く寝ないといけないのに。


 心がざわつき、その心に反応して枝が少しずつ伸びる。


「っ……ダメ……」



 私は自分の肩を抱きしめながら、恐怖から逃げるように眠りについた。





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