78話 まだ見ぬ強敵

 酷い喉の渇きを感じて俺は目覚めた。

 水が飲みたい。誰か、水を持って来てくれないか? そう声を出そうとするのだが、上手く出せなかった。

 俺は今、どこかで横になっているようだ。身体を起こそうとするのだが、なんだか妙に重たい。

 ゆっくり瞼を開けると視線を下の方にやる。すると、俺の胸の上に凭れ掛かり寝息を立てているロゼッタの顔が見えた。

 なるほど、こいつの所為で重たかったのか。と思い、俺は左手でロゼッタの肩を揺さぶった。


「……ゼ……た……きろ」


 喉が掠れて声が出ない。

 しばらく揺さぶるとようやくロゼッタは目覚める。

 俺の顔を見てロゼッタは目を真ん丸にして固まってしまうのだが、だんだんと顔が紅潮して来て、青い瞳からぽろぽろと涙を零し始めると抱きついて大声で泣き始めた。


 なんでもいいけど、とりあえず水を持って来てほしいんだけど……。


「あんたが……グズ……一晩中……ズズゥ……目を覚まさないから……ズズズ」


 鼻水を啜りながらコップに水を注ぐロゼッタの姿を、中に垂らすなよと思いながら俺は見つめていた。

 水を受け取るとそれを一気に飲み干す。


「はぁ……生き返った。喉がカラカラでマジで死にそうだった」

「馬鹿! 本当に死ぬかもしれないから、一晩中見張っとけってバンディーニに言われたんだからねっ!」


 どうやら俺は試合直後、気を失ったらしい。

 試合に勝ったということはなんとなく覚えていたが、そこから先の記憶がなかった。

 あれだけ白熱した試合の後に、そんなことになったので観客達も騒然としたまま会場を後にしたらしい。せめて勝利者インタビューくらい受けたかったぜ。いっそのこと、エイドリヤ~~~~ン! とか叫んだほうが盛り上がっただろうか? 誰もわからねえかそんなネタ。


「一晩中? 俺はそんなに寝てたのか?」

「そうよ、大きな鼾をかいたらすぐ呼びに来いってバンディーニが、なんで私がそんなことを……」


 ブツブツと文句を言いながらも、甲斐甲斐しくもう一杯水を注いでくれるロゼッタの姿を俺は、ぽけーっと見つめていた。


 あんなにいい女だとは思わなかった。


 エドガーの言っていた言葉を思いだす。

 俺はじっとロゼッタの姿を見つめて思い返す。

 こいつとの出会いは最悪だった。脛を何度も蹴飛ばされて、気に入らないことがあればことあるごとに平手打ちをしてくる暴力女。

 奴隷拳闘士のことを商品としてしか見てないかのような口ぶりかと思えば、妙に情深いところがあったりする。

 思えば奴隷拳闘士として過ごしていた少年時代、こいつが一番俺達の傍にいたのかもしれない。

 ロワードが死んだ日、泣き崩れたこいつの姿を思い出す。

 あれから、練習場に顔を出す日には、ロゼッタはいつも険しい顔をしていた。

 口数も少なく、俺達とはわざと距離を取っているような、そんな風にも感じられた。

 でもどこか、悲しそうで、寂しそうな目をしている。そんなロゼッタの姿が俺の想い出の中にはあった。


「まあ、なんにしても心配して一晩中見ていてくれたんだな」

「べ、べつに……心配なんて」


 なんてわかりやすいくらいにツンデレな反応をする奴なんだこいつは。


「ありがとなロゼッタ」


 俺がそう言うと、ロゼッタは真っ赤な顔をして俯いてしまった。

 普段からこれくらいしおらしい反応をしてくれれば可愛げもあるってものなのだが、俺はエドガーに言われたあの言葉を思い切って聞いてみることにした。


「なあ、ロゼッタ?」

「な、なあに?」

「おまえってさ」


 少し勿体ぶると、ロゼッタは焦れたような表情になる。

 そして俺は徐にそれを口にした。


「俺のこと好きなの?」


 その瞬間、ロゼッタは顔全体が先程よりも更に真っ赤になり、耳まで赤くして狼狽え始める。

 俺のことを指差して、口をパクパクさせながら何かを言おうとしているのだが、言葉にならない様子だ。


「なっ? ななな、なんで! わ、わわわ、わたしがっ!」

「いや、なんか、エドガーがそう言ってたから」

「エ、エド? ガー? は? はああっ? ふ、ふっざけんじないわよっ! あんたはなんでいつもそうやって!」


 そう言うとロゼッタは急に険しい表情になり俺の胸倉を掴むと右手を振り上げた。

 いつもの張り手が来ると思うのだが、それより先に俺はロゼッタの腰に手を回すと引き寄せてそのまま抱き寄せる。

 ロゼッタは最初嫌がり俺の腕の中でもがくのだが、次第に大人しくなり。そっと俺の背中に手を回した。


「怖かったんだから……あんたまで、居なくなっちゃうんじゃないかって、すごく怖かったんだから」

「ああ、ごめんロゼッタ」

「本当は嫌だったんだから。これからだってそれは変わらない……ずっと変わらないんだから」


 言いながら震えるロゼッタの身体を、俺は強く強く抱きしめた。





 ロゼッタはこの後、色々と雑務を片付けなければならないと言って俺の部屋を後にした。

 もう一日ここで安静にしていろと言われたので、ベッドの上でゴロゴロしながらエドガーとの試合を振り返る。

 本当に死闘であった。俺は、現代で培ったボクシングの技術があれば、この世界の拳闘を圧倒できると思っていた。

 実際、なにもしらない拳奴相手であればそれも容易であった。

 しかし、セルスタのような天才の存在。

 そして、ロワードやエドガーのような才能のある拳闘士が、ちゃんとした知識を持った指導者に出逢えれば、こんな強敵になるのだと知った。

 俺はいつしか握り拳を作り、武者震いをしている自分に気が付いた。


 おもしろい。


 おもしろいじゃねえか!


 この世界には俺の知らないまだ見ぬ強敵が、もっともっと沢山いるんじゃないかと思うと、居ても立ってもいられなかった。


 俺はベッドから飛び降りるとシャドーを始めるのだが、ほどよく汗をかき始めたところでバンディーニが様子を見に来て、大目玉を喰らうのであった。




 続く。

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