56話 拳闘馬鹿と乙女達

 日の出と共に拳奴のトレーニングは始まる。

 いつものようにまずはロードワークに出て、戻ってきたらシャドー。

 ミット打ちにバッグ打ちをしたら、もう一度ロードワークに出掛ける。

 暇があれば、縄跳びをしたり、ウェイトトレーニンぐを挟んだり。

 午前中に約二時間、昼過ぎから夕方にかけてを毎日だ。


 今日も二回目のロードワークから戻って来るとクイナが待っていて、汗を拭う用の布と水を持って来てくれた。


「ありがとうクイナ、今は休憩?」

「うん、今日はそれほど忙しくないし、長めに取っていいって」

「そっか、じゃあしばらくは一緒にいられるな」


 そう言うとクイナは頬を赤らめて、俺の腰掛けている長椅子の隣に座った。

 俺とクイナはまあ、そういう関係だと言ってもいいんだと思う。


 クイナの前で堰を切ったように泣いた日から、俺達の距離は縮まったような気がする。

 直接、言葉にしたわけではないけれど、お互い奴隷の身分というのが、気兼ねなく話せるということもあり、俺とクイナは自然にそうなったんだと思う。


「ロイムはすごいなぁ」

「なんだよ急に改まって?」

「だって毎日毎日、文句ひとつも言わないで、あんなに大変なトレーニングを続けているでしょ。本当にすごいと思う」

「いやまあ、好きでやってことだしなぁ。そんなこと言ったらクイナだって」

「私が?」


 俺がそう言うと、クイナは驚き首を傾げた。


「クイナだって毎日、この広い敷地内の掃除、使用人の衣類なんかの洗濯、俺達が食い散らかした食器の洗浄だってしてるだろ」

「そんな大したことじゃないよ」


 そう言うと、クイナは手をもじもじさせるのだが、急に恥ずかしそうに手を後ろで隠そうとした。

そんなクイナの手を掴むと、俺はじっと見つめる。


「やめてロイム、恥かしいわ。こんな、ごつごつの汚い手、見たって楽しくなんてないでしょう」

「クイナは前に、俺に言ってくれた。俺達拳奴の拳は、自分達の誇りを守る拳だって。だったらクイナのこの手は、そんな俺達のことを支えてくれる手だ」

「ロイム……」

「クイナ達が働いてくれるから、俺達だけじゃなくて皆が快適な生活をできるんだろ。だから、この手の程美しい手はないと思うぜ」


 言いながら自分でも、顔が真っ赤になっているだろうとわかるくらいに、頬が熱くなっているのがわかる。

 こんな歯の浮くような台詞が俺の口からでてくるなんて、たぶんバンディーニの影響だななんて思った。

 クイナはクイナで真っ赤になりながらはにかんでいるので、傍から見たらバカップルそのものだろうと俺は思った。


 そんなこんなで初々しいカップルの逢瀬はここまで。まあ、隠れちゃいないけど。

 まあ俺もこっちの世界では思春期の男子だ。

 これ以上、イチャついていたら我慢できなくなる。

 名残惜しいが、クイナの隠しても隠し切れない豊満なおっぱに別れを告げて、俺は練習に戻るのであった。


 一通りのトレーニングを終えたところで、バンディーニから声を掛けられた。


「ロイム、このあと私の部屋に来てくれないか」

「いいけど、次の試合でも決まったのか?」

「まあ、そんなところかな」


 バンディーニは頬をポリポリと掻きながら答えるのが、あれをやっている時のあいつは嘘を吐いている時だと言うことを俺は知っている。

 もう四年以上の付き合いなのだ。大体のあいつの癖は見抜いているぜ。


 とりあえず、試合の話ではないだろうなと思いつつも、別に悪い話をしようって雰囲気ではなかったので、俺は井戸で汗を洗い流してからバンディーニの部屋に向かった。


 扉をノックすると中から返事があったので開けると、俺は驚きのあまり固まる。

 中に居た人物を指差しながら、声も出せずに口をパクパクさせていると、その人物は俺のことを睨みつけて怒鳴って来た。


「早く扉を閉めて中に入りなさいっ!」

「い、いや、ロゼ……ッタだよな? 久しぶりすぎて」


 面食らう俺のことを、バンディーニはにやにやしながら見ている。

 なるほど、そういうことかこの野郎、マジでむかつくぜ。

 だから、詳細は話さずにただ部屋に来てくれとだけ言ったんだこの性悪男。


「ひ、久しぶりだなロゼッタ、元気そうでなによりだ」

「あんたも相変わらずね。デビュー戦勝ったらしいじゃない……その……お、おめでとう」


 恥ずかしそうにそう言うロゼッタ。

 久しぶりにこいつの、こういうツンデレな部分を見たので俺はなんだか楽しくなってきてしまった。


「おお、まあな。楽勝楽勝、相手もデビューだったからな。俺レベルになるともう相手にならないぜ」

「あんた本気で言ってるの。拳闘はそんな簡単なもんじゃないって、あんた達がいつも言っていたことでしょう」

「わ……わりぃ」


 俺のことを睨みつけながら神妙な面持ちでそう言うのでつい謝ってしまった。

 それにしても久しぶりだってのに、なにをピリピリしているんだ?


「ロゼッタお嬢様、そろそろ本題を」

「そ、そうだったわね」


 見かねたバンディーニに促されると、ロゼッタは少し不貞腐れながらここに来た理由を話し始める。


「ロイム、あなたに試合の申し込みがあったの」

「は? 申し込み?」


 突然のロゼッタの言葉に、俺はわけがわからず眉を顰める。

 この世界で、少なくとも俺の知っている範囲では、相手を指名しての拳闘試合なんてのは聞いたことがなかった。

 それはそうだ。拳闘士にとっては相手を指名したところで特になんの意味もないからだ。

 そりゃあ、セルスタのような超有名選手を指名して倒したとなれば、意味はあるかもしれない。

 しかし、そんなことをしたところでファイトマネーが跳ね上がるとか、勝ったら一気に解放奴隷になれるとかって話でもない。

 仮にあったとしても、デビュー一戦しかしていない俺のことを誰が知っていると言うのか。


「意味がわからねえ、誰がなんの意味があってそんなことするんだよ?」

「わ、私の……婚約者よ」

「へー、おまえ婚約したのか。おめでとう」


 なんの興味もない感じでそう言うと、ロゼッタはいきなり俺の顔面に張り手を喰らわせてきた。


「うっさいわね馬鹿! 全然めでたくなんてないわよ!」

「な、なんでだよっ!? 意味わかんねえ! てーか、超いてえっ!」


 なんなんだよこいつ。て言うか、毎回毎回ロゼッタの張り手はなぜこんなに痛いのか?

 はっきり言って、セルスタの右ストレートよりも効くんだよね。



 続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る