46話 デビュー戦の落とし穴

 選手入場口からロワードが姿を現すと、闘技場は拍手と歓声に包まれる。

 デビュー戦と言うものは、新人拳闘士にとってもそうであるが、観客達にとっても楽しみにしていた試合の一つであるのだ。

 これから、この拳闘士がどのような戦いを見せてくれるのか、そんな期待に満ちた眼差しがロワードに向けられている。


 ロワードは闘技場の中央に行くと、簡単なシャドーを見せて右拳を上げる。

 そのアピールに観客達も沸き、闘技場内には熱気が満ちてきた。


「ロワードの奴、デビュー戦だってのに変な気負いもないし、ギャラリーを沸かせる余裕まであるじゃねえか」


 まったくもって、初めて会った時の印象はどこへやら。

 ロワードが見せる凛とした姿は、リング上でライトを浴びる一人のボクサーそのものであった。


 そして次に観衆が注目を寄せるのはその対戦相手である。

 こちらの拳闘試合のマッチメイクは、当日のくじ引きで決められる。

 観客はもちろん、選手ですら試合直前にならないと対戦相手が誰なのかわからないのだ。

 じゃあどうやって賭けが行われるのかと言うと、参加選手表を見てとにかく好きな選手に賭けるというだけなのだ。


「それでは! 対戦相手を呼びましょう! これまでの戦績は4戦全勝! アッカサの黒豹の異名を取る! スネークだああっ!」


 対戦相手の名前を聞いて、観客達は一段と大きな歓声を上げた。

 どうやら中々の人気を持つ選手らしい。


「ねえロイム! 黒豹なのにスネークですって。おかしいわね!」


 ロゼッタが興奮した様子で言う。

 どうやらこの会場の熱気に中てられて、ロゼッタもテンションが上がっているようだ。

 まあ、楽しそうなのでいいだろう。


 スネークは入場すると、観客席をぐるっと一望してから両拳を突き上げた。

 ロワードより少し身長の高い、浅黒い肌をした黒髪黒目のイケメンだ。

 妙齢のマダム達が黄色い声を上げている。


「ちっ! あんなスカした野郎に負けるんじゃねえぞロワードおおっ!」


 なんかイラっとしたので、そんなことを叫んでしまった。


 ロワードとスネークが闘技場の中央へ行くと、進行係とは別の審判がやってきてルールを確認する。


 そして、いよいよ。


 二人の拳闘士が、離れて向かい合った。


 審判が頭の上で手を交差させ振り下ろす。


「始めえいっ!」


 ゴング代わりの掛け声で試合が始まった。



 開始と同時に仕掛けてきたのはスネークの方だった。

 新人ロワードの力量を様子見する気などないらしく、一気に片を付ける算段だろう。


 ロワードもそれを迎え撃つ気だ。距離を取ろうとはせずに真っ向勝負。

 お互いが間合いに入ると、同時に左を出し合った。


 パァンっ! と言う革の鞭を打つような乾いた音が響く。

 その瞬間、闘技場内は歓声に沸いた。


 二人は左の刺し合いをしている。

 スネークの左もなかなかのものであるが、ロワードの左ジャブの方が切れている。

 相手の顔面を的確に捉えるので、スネークは中々踏み込ませて貰えずに苛立っている感じだ。


 ロワードは落ち着いた様子でジャブを繰り出すと、挨拶代りのワン・ツーを叩きこんだ。

 ガードの上からではあるが、ドン! と言う重い音が響くと、スネークは少し後ろによろめく。

 すかさずロワードは距離を詰めて、ボディー、顔面と上下に拳を打ち分けた。


 スネークは防戦一方である。パンチを打ち返しはするものの、主導権を握っているのはロワードの方だ。

 スネークのパンチは、ロワードのウィービングに翻弄されて的を絞れず空を切る。

 空振りを繰り返す内にスネークは苛立ちを見せ、パンチが大振りになる。

パンチの打ち終わり、一瞬の隙を突いてロワードの右ストレートが綺麗に決まった。


「よっしゃあっ! いいのが入ったぜ!」

「ちょっとロイム危ないわよっ!」


 俺が興奮して観客席から身を乗り出したので、ロゼッタがそれを叱る。

 スネークは地面に蹲ると動こうとしないのだが、降参する素振りはない。


「レフェリー! 黒豹は立てねえぞっ! もう試合を止めちまえっ!」


 そう叫ぶと、俺の頭に何かがぶつけられた。

 振り返ると、数人のマダム達が俺のことを睨みつけている。

 どうやら、黒豹のファンらしい。怖い。


 しばらくすると黒豹はなにごともなかったように立ち上がった。

 意外にタフな奴らしい。

 黒豹がファイティングポーズを取ったので試合再開である。


 タフだと言っても、あれだけ綺麗に右ストレートが決まったんだ。ダメージも大きいはず。


「ロワード、そのまま畳み掛けろっ! 相手は弱ってるぞっ!」


 するとまたしても、俺の後頭部になにかが投げつけられた。


「てめえっ! ババア共! いい加減にしやがれっ!」

「あんたがいい加減にするんだよ! クソガキ!」


 俺とババア共が喧嘩を始めると、周りの観客達は「いいぞ! やれやれえ!」と囃し立て、盛り上がるのであった。


 結局、ババア達を殴り倒すわけにもいかず。俺は袋叩きに遭うと、最後にロゼッタに平手打ちをされて説教された。

 なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだ。もう散々だぜ。


 そうこうしている内に、試合に動きがあった。


 今度は黒豹の方がロワードを攻めている。

 ロワードは少し動きが鈍くなってきている気がする。


 これは、ラウンド制ではない拳闘試合だからこそ、起こりうる事態であった。

 序盤は優勢に見えたロワードであるが、やはりデビュー戦。

 余裕そうに見えたが、内心は緊張していたのだろう。

 精神的な緊張は、肉体にも影響を及ぼす。普通だったら余裕のあるスタミナも、緊張によってかなり消費していたのかもしれない。


 1ラウンド3分ごとに、インターバルを挟むことができれば、そんな緊張をほぐすこともできたのだろうが。

 しかし、それも想定して作戦は練ってきている。

 今は相手と距離を取って、息を整えるんだ。


 ここからが正念場だぞ、ロワード。



 続く。

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