2話 奴隷って意外に楽かも

「くそ……前歯がないからパンを齧れない。しかもクソ堅いなこれ」


 しょうがないので、支給された昼飯のパンを千切って水に浸しながら食べる、なんとも味気ない食事に俺は涙が出そうになった。


 あの後、駆けつけてきた大人達に俺達は酷く説教されて、罰として一週間、全員分の下着の洗濯係をさせられる羽目になった。


 俺達というのは、俺と、俺の前歯を折ったトール、その後話しかけてきたシタールに、黙って見ていたカトルとか言う奴の四人だ。

 俺は自分の身に一体なにが起こったのかまったくわからないまま、腫れ上がる唇の痛みに耐えて飯を食っている。て言うか、異常にデカいガキ達だと思っていたら、俺の体が子供になっていたのだ。

 なんでこんなことになってしまったのかと思うと無性に泣けてきて、俺が泣きながら飯を食っているので、カトルとか言う奴が慰めてきた。


「ロイム、痛むのかい? 痛み止めを貰ってこようか?」

「よせよせ、俺らが言ったところでそんなもんくれるわけがないだろ」


 カトルの言葉にシタールがしかめっ面で返す。

 トールはずっと申し訳なさそうにしていて、お詫びにと自分のパンを半分俺にくれようとしたのだが、前歯がないから食えないのでいらないと言うと、更にしょんぼりしてしまった。


「あ、あのさ。ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだよ藪から棒に」


 とりあえず今はこいつらから情報を引き出して現状を確認するしかない。

 こんなわけのわからない状況でも俺は冷静だった。

 どんな時でもハートは熱く頭はクールに、なんかの漫画で読んだ記憶がある。今この状況に於いて俺は、引き籠り時代に読み漁った漫画の知識だけが頼りであった。


 俺の質問にシタールがめんどくさそうに返事をする。


「その、ここってどこ?」

「あ? 何言ってんだおまえ」

「いやだから、ここがどこなのか教えて欲しいんだけど」

「頭でも打って狂ったのかおまえ?」


 ムカつくガキだな。

 ぶん殴ってやりたい衝動をなんとか抑え込む。

 俺はプロボクサーだ。リングの外で一般人を、ましてや子供にこの拳を振るうわけにはいかない。

 ボクサーの拳は凶器と変わらないのだ。本気で殴りつければ人間を撲殺することなんて簡単なのだ。


「その、なんだか記憶が曖昧で、ちょっと確認したいんだ」


 もう一度聞き直すと、見かねたトールが答えてくれた。


「ここはマスタング様のお屋敷の敷地内にある練習場だよ」

「練習? なんの?」


 その問い掛けに今度はシタールが答えた。


「なんのって拳闘のだよ。その拳闘の模擬試合を、トールに吹っ掛けたのはおまえだろうがよ」


 なるほど。俺……というかロイムとか言う奴が、トールに喧嘩を吹っ掛けてぶっ飛ばされたってことか。

 てーか、どうなってんだ本当に、マスタングさんとか当然のように言われても誰だか知らないんだけど。


「おまえ本当に大丈夫か? なんだか喋り方もいつもと違うし、なんか変だぞ?」

「変ってどう変なんだ?」

「いつものおまえなら怒り狂って問答無用でトールからパンを奪う、自業自得なのにな」


 シタールがそう言うと、トールもカトルも困り顔でうんうんと頷いていた。


 ああ、ロイムとか言う奴はなんとういうか、これまた糞ガキだったんだな。




 それから2~3日、俺はとりあえず目立たないように観察を続けることにした。

 わかったことは、とりあえず俺が置かれている状況。


 まず俺は今、約11歳の年齢らしい。

 らしいと言うのは、生まれがいつかわからないからだとか。

 そして俺達は奴隷拳闘士という身分らしかった。


 マスタングとか言う奴の所有物である俺達に人権はない。

 俺達は毎日、教官と呼ばれているおっさん達にしごきを受けて、12歳になったら検定なる試験を受けてそれに合格したら正式に拳闘士として試合に出られるのだとか。


 現代社会に於いて奴隷制度なんて聞いたことがない。

 まあ、似たような待遇はあるのかもしれないけど。

 ここでの暮らし、特に衣食住すべてが現代社会とかけ離れている。

 建物は石造りの物ならまだいい方で、木造のものがほとんどだ。

 衣類に関しては、かなり質の悪い麻でできた布切れを身体に捲いているだけ。

 食事も味気ないパンや、葉っぱの入ったスープがほとんど。て言うか、こんな食事でまともなボクサーが育つわけがないだろう。


 総合的な判断から、俺はおそらく試合中に死んで、意識だけが古代に、或いは別の世界に転生してしまったんじゃないかと考えた。

 元の人格のロイムとか言う奴がどうなったのかはわからないが、恐らくトールにぶっ飛ばされて死んだじゃないかと勝手に思っている。

 ご愁傷様ではあるがこうなってしまった以上、俺もこの身体で生きていかなければならないのだ。


 それにしても……。


「なあシタール、ロードワークにはでないのか?」

「あ? なんだそれ?」


 洗濯が終わると、川べりでゴロゴロと昼寝を始めるシタール達のことを、俺は茫然と見つめていた。


 奴隷と言っても、なんか鉱山みたいなところで鞭を打たれながら強制労働をさせられるとか、そんなことはなかった。

 俺達は将来の拳闘士候補生だ。

 この世界では、拳闘をはじめ、剣闘やパンクラチオンのような総合格闘技が盛んに行なわれており一種の興業のようになっている。

 俺達奴隷はその選手であり、主人達にとっては商売道具なのだ。

 だから、むやみやたらに鞭で打ったり、棒で叩いたりして商品を傷つけるようなことはしない。

 もちろん、主人の所有物なので生殺与奪の権利は主人にあるし。市民権はないので一切の権利はない。

 しかし、奴隷という言葉からイメージするような自由がないわけではなく。

 朝の練習が終わったら大体が自由時間で、皆こうしてゴロゴロしているのだ。


 て言うか、練習しろよ……。

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