第24話前世は悪魔みたいな俺だが3
『魅了の力が効かぬのは、そなたがその人間に魅了されておるからだ』
「え」
『随分と人間の心に近くなったのだな、リト』
「……………え」
上司にあっさりと疑問を解決されて愕然としていたら、追い討ちが掛けられた。
『そなたが恋をしても驚きはせぬ。長い間人間を知ってきたのだから、さもあろうよ』
こ、い、だと?!
「な、まさか、そんなことが。人間ごときに、こ、恋なんて不可思議な感情を抱くはずがありませぬ!」
『そうか。否定したいならするがよい。真実は変わらぬ』
「さ、サディーン様」
漆黒の髪に赤い瞳で、銀の錫杖を手にした美女の姿を取ったサディーン様は、幼子に向けるような柔らかな眼差しで、ひざまずく俺を見下ろしている。
『それほどに痩せ細り、腹が減ってたまらぬだろうに。そなたはなぜ他の人間の元へと食しに行かぬのか』
「う、それは…………」
問いではないのだろう、言葉に窮している俺から既に背を向けて闇を纏ったサディーン様が溶け込んでいく。
『見届けてやろう、リト』
俺は立ち上がると、ざわつく気持ちを鎮めようと俯いて目を閉じた。
そんなバカなことがあるわけがない。あってたまるか、精霊たる俺が。
「………………どうしたらいいのだ」
*********************
「アリシア?」
「……………ん………ああ、来たの?」
古びたソファーから身を起こしたアリシアが、目を擦ってからこちらに視線を向けた。
「ベッドでちゃんと眠ればいいだろうに」
「ちゃんと眠っていて襲われたら嫌だもの」
そう言う彼女の手には、もう箒はない。
「あなたがよく見えないわ」
アリシアが、ベッドサイドのランプに灯りをともす。淡い明るさの届かない部屋の隅にいる闇の精霊の俺に「大丈夫?」と聞く彼女は眠そうだった。
「眠いのか?」
「だってリトが毎晩遊びに来るから」
「あ…………悪いな」
そうか、人間は普通夜に眠りにつく生き物だ。俺が毎夜訪れていたら、警戒している彼女が眠れていないのは当然だ。
「何もしないから、眠ればいい」
恨みがましく俺を見ていた彼女だが、そう言ったら笑いを抑えて近付いて来た。
「リトは毎日何もしないって言うけれど、それじゃあインキュバスであるあなたは、何のために毎日来てくれるの?」
「それは………友達から始めるってお前が言うから」
もう出会って一年。俺は、ただ彼女に会って話をするためだけに通い続けていた。自分でも馬鹿馬鹿しいし呆れる。こんなインキュバスとして無意味なことをしている暇があったら、他の女を探せばいい。だがそう頭では分かっているのに、アリシア以外には食欲が湧かなくなっているのだ。
「精霊は、飢えて死ぬことはあるの?」
実はある。必要な要素を長く摂取できなければ、精霊は消滅する。死ではない、ただ跡形もなく消滅するのみだ。
「人間は知らなくていいことだ」
「リト………………でも」
サディーン様の言葉が頭の中で繰り返されて、俺はそっと彼女から目を反らした。
恋なんて未だに信じられない。だが当てはめると、納得してしまう自分がいた。
「食べなくて、いいの?」
消え入りそうな声に、俺は再び彼女に目を向けた。
「もし、あなたがその…………辛いことになるのなら……私…………私」
「ア……リシア」
頬を染めて、きゅっと目を瞑り懸命に言葉にしようとする彼女の姿を見ていたら自然に体が動いた。
「欲しくない」
「え?」
驚く彼女を引き寄せ抱き締める。それだけで胸が震えて、俺は諦めた。
「俺の身の為に体を差し出すなど、お前らしくもないな。同情なんかでもらっても全然嬉しくない」
「リト!」
怒る彼女が肩や胸を叩いてくるのに負けまいと、抱き締める腕に力を込める。
以前の自分なら喜んで彼女を抱いただろうに、俺は今悲しいと感じたのだ。だからサディーン様の言葉を認めた。
俺はアリシアの心が欲しい。想いを通わせて愛し合いたい。食事の為だけに彼女を求めているのではない。そんなのは絶対に嫌だし、彼女にそう思われていることが悲しいのだ。
「アリシア」
覚悟を決めて言ったのに、淫魔が断ったのだ。羞恥で涙目になり唇をとがらす彼女に顔を寄せる。
「だからこれで十分だ」
唇を合わせてチュッと音を立てて直ぐに放すと、目を丸くしたアリシアが可笑しくて笑えた。
「……………こんなので食事になるの?」
「ああ、満腹だ」
腹の足しになるはずがない。だが俺は満足だったし、彼女が安心した顔をしたので構わなかった。
「……………なんだか落ち着く」
そのままずっと抱き締めていたら、次第に力が抜けたアリシアが俺に身体を凭せかけるようにして預けてきた。
「眠ったらいい」
抱き上げてソファーに移動すると、彼女を横たえさせる。
「いてくれるの?」
「夜明けまでは」
赤茶色の髪を撫で続けていたら、アリシアは直ぐに目を閉じて寝息を立て始めた。悪魔と言われる俺の膝の上に頭を置いていながら、その表情は安らかで無防備なほどだった。
毛布を掛けてやり、彼女の肩に手を置いて寝顔を見ていた。
いつかアリシアと心も体も結ばれたいと思う気持ちは強くある。だが彼女の寝顔を見つめていたら、それすらどうでもよくなってしまう。
きっと心が満たされるとは、こういうことなのだろう。
「消滅しても別にいいか」
彼女の体温が、精霊の身の俺を微かに温める。それだけで嬉しくて、もう何も要らないと思った。
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