二年目八月 綴られ続ける記憶
人混みが嫌いだ。特に夏の人混みが。むしろそれが好きな人なんていないだろう。
まず夏は暑い。汗はかくし体力は奪われる。それはもちろん僕に限った話ではなく、人混みにの中にいる人間全てが同じなのだ。肩はぶつかり汗臭い匂いが充満する人混み。体力だけでなく精神力まで削られていく。
いや、自分が汗をかくことには慣れているのだ。僕は野球をやっていたし、中学の頃は夏休みにも毎日炎天下の中厳しい練習をしていた。今だって、高校の野球部に毎日とは言わないものの顔を出しているし、汗をかいて泥まみれに汚れる分には構わない。
ただ、自分の周りをそんな人たちに囲まれるのは御免被るわけで。
「帰りたい……」
思わず呟いた一言は、目の前に流れる人混みの中へ消えていった。
時刻は十七時。浅木駅前。浴衣姿の可愛い女の子たちが沢山歩いている。目の保養にはなるけれど、中には汗だくの男も混じっていたり。遠目から眺めてる分には構わないけれど、今からあの中に僕たちも混じると思えばやはり帰りたくなってしまう。
本日は蘆屋花火大会、サマーカーニバルの日だ。去年は理世と見た花火。彼女とは見れなかった花火の日だ。
今年はもちろん、当然、一緒にいく約束をした。だって僕たちは付き合ってるのだから。去年とは違うのだから。
でもだからってこの人混みに突っ込む気は起きないんだよな……去年だって相当苦労した記憶があるし。理世がナンパされたりとか。
さてでは今年はどうだろう。
個人的な偏見を含んで言わせてもらえば、ナンパに関しては理世よりも酷くなりそうなのだけれど。ナンパしてきたやつのダメージが。いや、だって、あの子をナンパから守る必要性が感じられないのだ。彼女の毒林檎を持ってすればそこらのナンパ野郎を撃退することなんて容易だろう。
それでも彼氏として、守ってあげたいとは思うけれど。
左手首に巻いた腕時計を見る。待ち合わせの時間まではあと十分。若干緊張してる自分がいるのを認めるけれど、それでもやはり楽しみな気持ちの方が大きくて。
「智樹」
名前を呼ばれ、視線を向ける。寒々とした雰囲気すらも感じさせる声は、耳によく馴染んだものだ。
周囲の視線を一身に受ける彼女、白雪桜は、水色の花びらをあしらった浴衣に身を包み、長い髪はアップに束ねて、いつもの無表情で僕の前に立っていた。
「待たせたわね」
「いや、まだ時間前だ。謝る必要はないよ」
「そう?」
「そう。それよりここを離れよう。いい加減人混みに酔いそうだ」
「同感ね」
早速少し疲れた様子の桜の手を引いて、改札前から移動する。バスのロータリーまで出ると開けている分だけ人混みもマシになっていて、その中でも比較的人の少ない端の方へ移動した。
「ふぅ……毎年毎年、よくもまあこんなに人が集まるもんだね」
「だから私は嫌だって言ったのよ。花火ならあなたの家からでも見れるのに……嫌がる私を無理矢理連れ出したのは智樹じゃない」
「無理矢理とは人聞きが悪い。君だってノリノリじゃないか。浴衣なんか着てきちゃって。可愛いじゃないか」
「そういうあなたも甚平なんて着ちゃってるあたり、既に楽しんでるわよね」
「年に一度のお祭りなんだ。楽しまなきゃ損だろう?」
「私はインドア派なのよ」
なんて言い合いをしながらも、桜の耳は少し赤く染まってる。どうやら浴衣を褒められたのが嬉しいらしい。可愛い奴め。
「まあ、なんにせよ楽しもうぜ。去年は一緒に来れなかったんだしさ」
「……悪かったわよ」
「別に責めてないだろ。今更蒸し返すつもりもない。ほら、行こう」
バツの悪そうな顔で、差し出された手を取る僕の恋人。一年経った今でも当時のことを気にしているのは、なんだかんだで根が真面目な彼女らしいけれど。折角の花火大会。折角のお祭りだ。今日くらいそんなことは忘れて楽しんで欲しい。
「うぅ……どんな顔してればいいのよ……」
というのも、無理そうか。
別にいつも通りの無表情でいいと思うぜ?
花火大会に行こう、というのは僕から提案したことだった。理由は言わずもがな、去年一緒に行けなかったから。本来なら僕の家でゆっくり花火だけ見る予定だったのだけれど、神楽坂先輩が優待券みたいなのをくれて有料の観覧席を融通してくれたのもあって、どうにかこうにか桜を説得することにしたのだ。
その説得がまた困難を極めたのだが、その話は置いといて。
さてはてこうして、花火大会当日がやって来たわけなのだけれど。
「智樹も食べる?」
「いや、いい」
「美味しいのに?」
「まあ、美味しいのはたしかだろうけどね。僕の手にぶら下がってるものが見えないのか?」
ベビーカステラを頬張る桜。猫耳とかついてたらきっと機嫌良さそうにぴこぴこと動いていることだろう。なにそれ可愛い。
一方の僕は、桜に言われるがまま屋台で買った焼きそばやらたこ焼きやらフランクフルトやらを入れた袋を、手にぶら下げていた。
なんというか、こういうところ本当に庶民って感じがするよなぁ、この子。あれだけ渋っていたにも関わらず、いざお祭りに出てきたらあっちこっちの屋台に目を奪われているのだから。しかも食べ物系ばかり。ふらーっと屋台の列に吸い込まれて行く桜に着いて行くのはまあ、手を繋いでいるから逸れることもないのだけれど。それでも体力的にちょっと辛いものがある。僕より体力の少ない桜もそろそろ限界だと思うのだけど、しかし無表情を装って実は結構はしゃいじゃってる白雪姫にそんな様子は全く見られず。
「次はなにを買いましょうか」
「まだ何か買うのか……」
「折角のお祭りだもの。楽しまなきゃ損、なんでしょう?」
自分の言葉で反論されてしまえば、なにも言えなくなってしまう。ここは大人しく、我が恋人様に従っていた方が身のためか。
「それで、なに買うんだ?」
「かき氷とか?」
「なんで疑問形」
「あら、それを察せられないほど鈍くなってしまったのかしら?」
ふふっ、と小さく微笑んだ桜を見ていると、考えずとも理解できる。どうせ、自分一人だけじゃなくて僕も一緒に、とか思ってるんだろう。
それが分かってしまうから、解ってしまうから。この子と一緒にいたいと思うし、こうして一緒にいられるだけで楽しくて、幸せになってしまうんだ。
「かき氷、買いに行くか」
「そうね」
けれどまあ、なんだかちょっぴり照れ臭くて、桜の顔を見れなくなってしまったのだけれど。
あー本当、僕の彼女可愛すぎない? 人間国宝にしてもいいレベルでしょ。
その後かき氷を頬張りながらも目的の場所まで歩いていると、くいくいと甚平の裾を引っ張られた。
「ちょっと。こっち、有料の観覧席じゃないけど。もしかして道に迷ったなんて言わないわよね?」
「安心してくれ。僕が道に迷うわけないだろう。毎年来てるんだぜ?」
「毎年? 一昨年とかも?」
「そう。一昨年は三枝に、その前は叔母に無理矢理連れられてね」
両親が死んでから塞ぎ込んでる僕を、あの二人は無理矢理ここへ連れ出した。当時は全く乗り気じゃなかったし、楽しかった記憶なんてないけれど。今となっては、二人に感謝しかない。
あんな僕に構ってくれていたのだから。
「で、ここが思い出の場所ってわけ」
辿り着いたのは、屋台からも少し離れた人気の少ない場所。小さな池と、二人がけのベンチだけがある、僕が両親に教えられた秘密の場所だ。
去年も理世とここで花火を見て、それでもやっぱり、頭に思い浮かんでいたのはこの子の顔だった。
「父さんと母さんが生きてる頃に教えてもらったんだ。ここ、二人が恋人の頃にも毎年来てたんだって」
「そう……」
付近に灯りのないこの場所は、当然ながらとても暗い。離れたところから届く屋台の光だけでは心許無く、池の水は黒一色に染まっている。
無表情のままで池とベンチを眺める桜の目には、何が映っているのだろう。覚束ない記憶を頼りに、僕の両親の姿でも映しているのだろうか。だとしたら、我が親のことながら嬉しいと思う。一人でも多くの記憶に、僕の自慢の両親が残っているのなら。
「とりあえず座ろうぜ。立ったままでいても仕方ない」
「ええ」
優待券をくれた神楽坂先輩には申し訳ないけど、今日は元からここに来る予定だった。桜には知っておいて欲しかったから。僕の両親が、たしかにこの世に生きていた証を。
なんてのは、押し付けがましいだろうか。それでもいい。この子なら、それを受け入れてくれる。そんな自信がある。この子にとってそれだけの存在になれている、自負も自覚もある。
「そろそろね」
腰を下ろして暫くもしないうちに、桜が呟いた。その数瞬あと。
夜空に大輪の花が咲き誇る。
赤、青、黄色。花の次は星や逆さまのハート。色とりどりで形も様々な花火が夜空を照らす。
「ここに来られて、この場所を教えてもらって良かったわ」
ともすれば花火の音にかき消されてしまいそうな小さい声。輝く夜空を見上げる彼女の澄んだ瞳の中には、綺麗な花火が咲いている。
「私は、あなたの痛みを背負えない。共有することができない。したいとも思わないわ。それはあなただけのものだから。でも、あなたの痛みを記憶することはできる」
小難しい言い回しだ。文芸部らしい、とでも言えばいいか。今もなお綴り続けている、僕らの足跡。部誌の雪化粧に刻まれているあの物語は、けれど今もこうして更新され続けている。
その中にある痛みを。それだけじゃない、悲しみや幸せや、色んな感情を。彼女は、桜は記憶し続けてくれる。
「今日のことも、絶対に忘れない。あなたと初めて来た花火大会だもの。こう見えて、楽しみにしてたのよ?」
「知ってる。今日の君は珍しくはしゃいでたからね」
こちらに向けられた笑みに、僕も笑みで返した。
その笑顔を、今日という日を、記憶する。
二度は訪れない今日。いや、今日だけじゃない。毎日がその連続だ。全く同じ日なんて二度も訪れることはない。
だから、桜と過ごす毎日を記憶し続ける。この不出来な脳みそが一杯になっても、それでも忘れないために。
「さあ、買ったものを食べましょう」
「ん、そうしようか。てか、これ全部食べられるのか?」
「任せたわよ」
「結局僕任せかよ……」
「甲斐性のみせどころね」
「できれば他のところで見せたかった限りだよ。でもまあ、仕方ない。食べ盛りの男子の胃袋を舐めない方がいいぜ?」
きっといつか、今日を思い出す日が来るだろう。その時も、この子の隣に、この子が隣にいてくれたら。
そんな未来のためにも、僕たちは記憶し続ける。日常という名の幸せを。
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