IF:恋のカタチ
体を動かしていれば余計なことは考えずに済む。昔から、何かに対して難しく頭を悩ませていた時はそうしていた。まあ、僕はこんな性格なので悩みなんてそれこそ野球に関係すること以外はなかったのだけれど。
それでも、考えすぎるよりは体を動かしている方が楽だった。
今回は決して余計なことなんて言えないような悩みだけど、それでも今までと同じだ。幸いにしてうちの野球部はかなり練習がキツイ。今日も午前中に軽く練習して、午後からは練習試合になっている。
が、しかし。問題点が一つ。練習試合の相手は、白雪が通っている蘆屋高校。試合の場所も向こうのグラウンドだ。白雪自身は蘆屋高の野球部となんの関係もないだろうけど、友達の一人が野球部のマネージャーとか言っていた。しかも家は学校の目と鼻の先。試合を見にきてもおかしくはない。
あのラインのやり取りから数日が経過したけれど、あれ以来彼女と会うことはおろか、連絡の一つも取っていなかった、毎日とは言わないまでも、夜にラインでやり取りをするのはよくしていたのに。こちらからラインを送ろうとも思ったけど、なんて送ればいいのか分からない。
彼女から、好きだと告げられた。それはきっと、今まで僕が白雪に対して抱いていた好きとは違う類のもので。いや、僕自身が勝手にそう結論づけていただけかもしれない。勘違いしていただけかもしれない。
だから僕は、本当は白雪のことを──
「夏目、着いたぞ」
隣に座っていた一つ歳上の矢野先輩に声を掛けられ、思考の海から現実へと浮上する。父兄の出してくれた車は、蘆屋高校に到着したらしい。
「なんだ、考え事でもしてたのか?」
「ええ、まあ。そんなとこですかね」
「珍しいな。お前が試合前に。ああもしかして、噂の彼女さんのこと考えてたのか。そういや蘆屋高校の制服着てたって小泉が言ってたな」
「彼女じゃないですって」
矢野先輩はこのチームの正捕手で、何度もバッテリーを組んだ仲だ。後輩の面倒もよく見てくれるし、レギュラーを獲得するだけあって技量もかなり高い。投げやすさで言えば樋山と同じくらい投げやすいし、未だ一年の樋山よりも当然のように上手い。
「その子のこと考えてたのは否定しないのか」
「……いいから、さっさと行きますよ」
先輩からの追求を無視して車から降りた。この学校は外からなら何度も校舎を見たことがあるものの、敷地内に入るのは初めてのことだ。比較的新しい学校らしく、全体的に綺麗。野球部も決して強豪とは言えないが、何名かそれなりの選手が在籍しているらしい。
一礼してからグラウンドに入れば、真っ先にその姿が視界に入ってしまった。
マネージャーらしき茶髪の女の子と話している、白雪の姿が。
「あー! あの人! あの人ですよ夏目先輩の彼女!」
僕の後からグラウンドに入ってきた小泉が大きな声で叫んだ。そしてどれだどれだと小泉が指差す方を見つめるチームメイトたちと顧問の先生。
この後輩は……。今日は試合しにきてるんだぞ……。てか先生は注意する側に回ってくれよ監督だろ。
さすがに小泉の声が向こうまで聞こえた様子はなかったが、なにやら騒がしいのは気づいているのか、蘆屋高の皆さんが不思議そうにこちらを見ている。もちろん白雪も僕たちの方に視線を向けて。僕の姿を認めた途端、すぐに視線を逸らしてしまった。
「え、まさかあの黒髪の子?」
「マジで? めちゃくちゃ可愛いじゃん」
「いや、でも俺はその隣にいる茶髪の子の方が好みだな」
「あーたしかに、あの子も可愛いな」
主に三年の先輩たちが中心になり、突然品評会みたいなのが始まった。いいからさっさと試合の準備始めようよ。
「夏目、お前目逸らされてるけど」
「喧嘩でもしてんのか?」
「てか野球も出来て彼女もいるって、なんかムカつくな」
「今日の援護点は期待すんなよー」
「勘弁してください……」
頼むから試合にはちゃんと臨んでくれ。相手にも失礼だから。
実際試合が始まれば、頭の中から白雪のことなんて綺麗さっぱり消えてしまっていた。相手バッターを打ち取るために、ただ全力でボールを投げる。それ一つに没頭してしまうのだから、我ながら単純な人間だと思う。
試合結果は2対0。援護点は期待するな、なんて言われたりしたけれど、とんでもない。相手のピッチャーもかなり優秀だったのだ。しかも僕と同じ二年生。うちのチームが2点しか取れないとは思ってもいなかった。まあ、投手としては僕の方が数段上だけど。間違いなく。
試合が終わってダウンも済ませ、小泉にアイシングを手伝ってもらい先生が向こうの顧問と話している間。片付けも終えた僕たちはグラウンドの一角を借りて休憩していたのだけれど。チームメイトから白雪に関する追求をのらりくらりと躱していると、向こうのマネージャーが一人でこっちにやって来た。
「あのー、夏目智樹くんをちょっとお借りしたいんですけど」
「僕?」
たしか、試合前に白雪と話してた子だ。こうして近くで見てみると、なるほどたしかに可愛い。白雪とはまた違うベクトルで。彼女が大人びた綺麗系だとするなら、この子は男の庇護欲を駆り立てるような可愛い系。さぞおモテになられることだろう。
チームメイトからのやっかみ混じりの言葉を適当にスルーしつつ、ついてきて、と言って歩き出した彼女の後ろに続く。
「えっと、君は? 白雪と話してるの見たけど、彼女の友達?」
「そうだよ。桜ちゃんの親友の灰砂理世です。よろしくね」
「ん、こちらこそよろしく」
特に行き先も告げられずに、グラウンドの外へ出た。向かう先に誰がいるかは想像がつくけれど、どこで待っているかは全く分からない。やがて灰砂が足を止めたのは、校舎の扉の目の前に設置された自動販売機の前だった。しかしそこに予想していた人物、白雪はおらず。灰砂から呆れたため息がひとつ。
「ここで待っててって言ったのに……相変わらず言うこと聞いてくれないなぁ」
言いながらスマホを取り出し、文字を打ち始める。ラインを送っているのだろう。よし、と満足げに呟いた灰砂はスマホをポケットにしまい、僕に向き直った。
「せっかくだから、学校での桜ちゃんの様子とか知りたくない?」
「教えてくれるっていうなら、是非お願いしたいね。白雪の他にも蘆屋高に友達はいるけど、そいつの話はどうにも信用ならないからさ」
「あ、もしかして三枝くんのこと?」
「なんだ、君もあのバカを知ってるんだ」
「わたし、こう見えても結構顔が広いから」
こう見えても、というか。まんまその通りに見えるけど。なんというか、彼女からは華やかなリア充オーラがプンプンする。軽く話してみた感じでも人好きされる性格っぽいから、友達も多いことだろう。
「三枝くんからも聞いてると思うけど、凄いんだよ桜ちゃん。学校で周りからなんて呼ばれてるか知ってる?」
「白雪姫、だろ? 君の言う通り前に三枝から聞いたけど、まさかそれ本当だったのか?」
「ホントだよ。凄く美人で、勉強も出来て、ちょっと口は悪いけど優しいから友達も結構いるし、男子からも大人気」
「男子からの人気で言えば、君も負けてなさそうだけどね」
「さすがに桜ちゃんには負けるかなー」
モテるのは否定しないんだ。浮かべた笑顔も余裕のあるものだし、そのあたりの勝敗なんてどうでもいいのだろう。
異性からモテることが必ずしもプラスに働くわけではない。一種のステータスとして価値を見出す人間はいるかもしれないけれど、結局それだってモテないやつだけが持つ妬みのようなものだ。別に好きでもないやつに告白され、同性からはいい感情を抱かれず、人間関係に軋轢が生じてしまう。マイナス要素の方が大きい。
などと、モテない僕が考えてみる。
「ちょっと理世! さっきのラインどう言うつもりよ!」
突然聞こえた怒声は、開かれた校舎の扉から。それを向けられた灰砂自身は呑気に笑顔を浮かべているが、現れた彼女、白雪桜は焦りの表情で友人に詰め寄る。
「遅かったね桜ちゃん」
「遅かったねじゃないわよ! 横取りってなに⁉︎」
「言葉の意味だけど? ここで待っててって言ったのにいないし、じゃあわたしが貰っちゃおうかなーって」
「人のものを盗ろうだなんて卑しい灰かぶりらしいわね!」
「桜ちゃんのものじゃないけどね」
「そ、それは、そうだけど……」
「ま、冗談だからさ。むしろ真に受ける方がどうかと思うよ? わたし、夏目くんと話したの今が初めてだし」
「ぐぬぬ……」
ここまでいいように弄ばれてる白雪なんて初めて見た。なんの話をしてるのかは分からないけれど、白雪はなにか弱みでも握られてるんだろうか。
「じゃ、わたしは戻るね。夏目くんもあんまり時間ないと思うから、長くても十分で終わらせなよ」
「……分かったわよ」
随分と上機嫌な笑顔で灰砂がこの場を去り、残されたのは僕たち二人だけ。話すのですら先日のライン以来だ。どんな顔をすればいいのかも、なんて声をかければいいのかも分からない。
白雪も俯いてしまっていて、果たしてどんな表情を浮かべているのか。
「嘘は、言ってないから……」
俯いたままで呟かれた言葉が、いつのことを指しているのか。聞かずとも分かる。
顔を上げて僕と目を合わせる白雪の顔は、驚くほど赤く染まっていて。それなりの付き合いになったと思っていたけれど、そんな表情は見たことがなかった。
心臓が、跳ねる。
目の前に立っている女の子の魅力に、釘付けにされる。
僕の見たことのない表情は、けれどきっとこれ一つじゃなくて。他にも沢山あるんだろう。僕にしか見せない態度や表情があるように。家族にしか見せないものや、学校の友人にしか見せないものが。
その全てを知りたいと思った。今まさしく、思ってしまった。
ああ、ならば薄情するしかない。この数日、練習に打ち込むことで必死にその思考から逃げてきたけれど。
見える世界を拡張しろ。自分の気持ちを素直に伝えろ。彼女の望む言葉と、僕が抱いた想い。そこに違いがないのだとしたら。
「白雪」
名前を呼ぶ。空を写したような蒼の瞳が、僕を見つめている。そうやって僕を見てくれていることが、当たり前のことなのだと思っていた。
でも、今はまだ。僕たちはなにも育んでいないのだから。無条件で一緒にいてくれる家族とは違うのだから。
これからの時間、未来で、そうなるように。
「僕も、君が──」
「夏目せんぱーい、どこですかー?」
「「っ!」」
出し掛けた言葉はしかし、聞こえてきた後輩の声に遮られてしまった。驚きのあまり二人して肩を震わせ、遠くに見える小さなマネージャーの姿を確認する。
いや、タイミング……タイミングを考えてくれよ……てかまだ十分も経ってないんだけど……さっきとは別の理由で心臓が跳ねたぞ……。
「あ、いた! 夏目先輩、そろそろ行きますよ、っと……」
僕の姿を発見して駆け寄ってくる小泉は、僕の隣にいた白雪にぺこりと一礼。興味深そうに一つ歳上の美人さんを眺めている。
「このおチビ、どこかで見たような……」
「なっ! チビじゃないです! いくら夏目先輩の彼女さんだからって言っていいことと悪いことがありますよ!」
「……ああ、中学の頃にもいたわね、そういえば。夏目と同じ高校に行ってたんだ」
今にも噛みつきそうな勢いの小泉と、一人で勝手に納得する白雪。この後輩にチビは禁句だ。本人は気にしてるみたいだし身長伸ばす努力もしてるみたいだから。
まあ、今のところその努力が実っているようには見えないのだけれど。
「ほら、行きますよ夏目先輩!」
「あ、ちょっ、待て小泉引っ張るな」
「三年の先輩方も待たせてるんです!」
それはまずい。待たせた罰だとか言ってまた追求が激しくなりそうだ。一部察しのいい人には、僕がこうして白雪と会っていたのがバレてるかもしれない。
後のことを考えると面倒だからさっさと戻りたいのだけど、でもそういうわけにもいかず。
「白雪! 明日、午前中で練習終わるから! 昼に会おう!」
「デートの約束なんて後でしてください!」
「いたっ、痛い、小泉痛い握力どうなってんのイタタタ!」
律儀に左手を引っ張って握りつぶそうとしてくる小泉と、それに逆らうこともできずに引っ張られていく僕。残された白雪は僕の言葉に返事こそしなかったものの、僕たちを見て呆れたような笑みを浮かべていた。
それがどのようなものであれ僕に笑顔を向けてくれたということは、返事なんて聞くまでもない。
さて。明日が楽しみのような、少し不安のような。とりあえずは、後で改めてラインをしておくか。
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