◆口を利かないイリヤちゃん(クローセル視点)

 薬草茶というのも、味わい深い。

 私は好きなのだが、閣下の嗜好には合わない。閣下は酒と紅茶をお好みでな。


 ベリアル閣下がイリヤを連れて飛行魔法の練習に行っているので、一人でお茶にしている。まだイリヤには出来ぬと思うのだが、練習を始めるのは悪い事ではないわい。魔力の操作を覚えるので、魔法薬作りにもいい影響を及ぼす。さて私は、次は何を教えようかのう。


「うわああん、ぎゃあああぁん!!」

 お茶を飲み干した時、イリヤの今まで聞いたことがないような、つんざくような泣き声が響いた。余程怖かったようだ、やはりまだ早かったのだろうな。

 閣下がイリヤを肩に乗せ、困ったように戻って来られた。

 地面に降ろしてもらったイリヤは、一目散に私に向かって駆けてくる。いつもならば、もっと飛んで欲しいと、せがむところであるが。


「ふええええん! 先生、怖かったああ!!」

「もう大丈夫だぞい。イリヤにはまだ早かったのう」

 イリヤは泣きながら私にしがみ付いて、必死に恐怖を訴える。

「かっかヒドイんです! イリヤを、イリヤを、谷に捨てたの!!」

「捨て……!?」

 驚いて閣下を見ると、眉を顰めてイリヤを見ていらっしゃった。


「捨てたのではないわ、飛ぶ為に離したのである。飛べば落ちぬであろうが」

「閣下、さすがにイリヤにはまだ尚早では……」

「阿呆。我がついておるのだ、万が一もないわ」

 そう言う問題ではないのだが……。よほど怖かったらしく、イリヤの手は少し震えている。ベルアル閣下は元々飛べるので、落ちる恐怖と言うものは理解できぬのであろうな……。


「うえええぇん!! かっかがいじめた~!!!」

 イリヤは大声で泣き続け、しばらくして落ち着いたのか、ようやく大人しくなってきた。さすがに今回ばかりは、どう宥めても簡単には機嫌は直らんな……。

 ひっく、ひっくと目を擦って肩を動かしながら、ベリアル閣下を恨みがましく睨んでいる。


「……かっか、イリヤにひどい意地悪をしました」

「何が意地悪であるかね。この我が直々に、飛行魔法を教えてやると言うに」

「かっかはそう言って、イリヤを谷からぽいって捨てました。落ちたら死んじゃいます。イリヤ殺人事件です。今度は妹のエリーが、町を守る兵士の役をする番です。エリーがそうさします」

 イリヤはビシッと閣下に人差し指を向けた。


「犯人は、かっかです!!」

 子供たちの間で、町の守備兵ごっこが流行っているらしい。しかし犯人が解っていたら、捜査は必要ないぞい。

「相変わらず、間の抜けた小娘め。捜査も何もないわ!」

「もう!! かっか反省して! イリヤにあやまって下さい!!」

「……誰が小娘に謝るのかね!?」

「かっかです! わるい事したら、ごめんなさいする!!」


「イリヤ、落ち着かんか」

 私が宥めようとしても、イリヤは片手で私の服をギュッと握り、首を振っている。

 しかしのう……、閣下は謝罪はされんぞ。閣下に限らず悪魔は基本的に、自分よりも上の者にしか謝罪なぞせんぞい。

「生意気な小娘よ!!」

「かっかが悪いです!」

 同等にケンカをするのも、どうかと思うのだが……



 結局この日イリヤは、閣下とはそれ以上口を利かずに家に戻った。

 いつもは大きく手を振ってさようならと言って帰るのだが、何も言わず静かなものであった。

 閣下は怒ったまま帰って行くイリヤの背を、見送っていた。気になるらしいの。



「先生、おはようございます」

 一夜明け、朝になってやって来たイリヤは、閣下に挨拶をせんかった。

「これイリヤよ。閣下にご挨拶が先だぞい」

「違います。かっかのごめんなさいが、先です」

 なんと頑固な子供よ……!

 閣下と目が合うと、わざとツンとそっぽを向いている。イリヤよ、私の後ろに隠れても、閣下の本気の怒りに触れれば、私ごと灰にされるだけだぞい。

 いや違った、イリヤは閣下と身を守る条件まで含んだ契約をしているのであった。

 灰にされるのは私だけ……。


 それから数日、イリヤはずっとそんな調子であった。

「小娘ッ! いつまでムクれておる!」

「……」

 閣下が叱っても、頬を膨らませてプイッと顔を背け、視線も合わせん。

「イリヤ、返事をせんか」

「ここには先生とイリヤしかいません。小娘なんて、いないもん!!」

「何がであるかな! 小娘ではないか!」

 イリヤはベーッと舌を出しただけで、閣下から隠れるように私にしがみ付いていた。



 閣下は狩りに出掛けたり酒を飲みに町に下りたりしているようだが、イリヤの様子を気に掛けている。何とも有り難い事であろうが、この小娘には理解できんのだろうな……。まだ無視を続けておるぞい。

 勉強などはいつも通りに行い、いつも以上に私の周りにまとわりついている。


 ドスン。

 戻ってきた閣下が、イリヤの近くに紙袋を置いた。

 イリヤは紙袋を見てから閣下を見上げたが、どちらも何も言わない。

「閣下、何が入っているのでございましょう?」

「……土産である」

 地獄の王に貢がせる、恐ろしい子供よ……!

 イリヤは中身が気になったらしく、袋を引っ張って上から覗いている。


「お菓子がたくさん、入ってます」

「イリヤ、閣下にお礼を申さねばの」

「む~……」

 もういい加減、機嫌を直さんか! へそを曲げると長いのだな、イリヤは。これは参ったぞい……。

「閣下はイリヤと仲直りがしたくて、買って来ておるのだぞ。有り難く頂き、もうケンカは終わりにせんか」

「……イリヤが怖かったのに、かっか、あやまらないんだもん」


 帰る時には閣下より賜った土産の紙袋を大事そうに抱えていて、菓子を貰って喜んでいる事は明白だ。イリヤは甘いものが好きだからの。しかしまだ閣下と会話すらせん。どうしたら良いものか……。


「閣下、イリヤは菓子を頂き、感謝しておりましたぞ」

「そうかね」

「そろそろ機嫌も直りましょう、まだ素直に言えぬようです」

「全く、太々しい小娘よ」

 閣下は怒っていらっしゃるというよりも、お寂しい様だ。あれだけ懐いていたイリヤが、そっぽを向いているのだから。


「ええ、うああん」

 閣下の御機嫌を取っていると、女子おなごの泣き声がしてきた。イリヤではない。森の奥に向かって、ゆっくり歩いているようだ。

「……子供とは騒がしいものよ」

 イリヤに散々泣かれたからか、気にかかるようだ。閣下が見に行かれた。無論私もお供をさせて頂く。

 歩いて探すと藪の間に、転んだのか擦りむいて怪我をした、イリヤよりも少し年上の女の子供が涙を流していた。


「子供。何事であるか」

「……ひゃっ……!?」

 突然現れた大人の男性に、子供は委縮して答えを返せぬ。

「閣下、転びでもしたのでしょう。どれ、私の傷薬をやろう。さ、受け取りなさい」

「……あ、ありがとう、ございます」

 戸惑いつつも手を出し、焼き物の器に入った薬を素直に貰い受けた。

「傷に塗る薬だぞい。さて、一人で帰れるかの?」

「……道、解らなくなって……、こんな森の奥、来た事ないから」

 迷子であったか。しかし我らもこの森は、イリヤの村以外の場所はよく解らんぞ。特に人の集落など、案内しようがないわい。


「クローセル、イリヤの村で良かろう。連れて行け」

「はは、そのように」

「イリヤちゃんの知ってる人? 私、お友達なの。同じ村、住んでます」

「それは好都合、では向かおうぞ」


 子供は喜んでついて来た。村にもう帰れないと、怖くなっていたらしい。深い森は日が傾けばすぐに闇に包まれ、余程慣れねば大人でも一人で歩くなど出来ぬだろう。

 村の入り口まで送り届け、そこで別れた。

 子供は元気に戻って行った。



「これ、おともだちがお礼にってくれました」

 次の日、イリヤはトチの実で作った団子を持って来た。そして私達に差し出す。

「おいしいおだんごです。みんなで食べてって。持ってくるの、大変でした」

「軽いようだがの?」

 そんなに持ち運びに気を使う物だろうか?

「おいしいおやつを食べずに持って来た、イリヤえらいです。がんばってがまんしました」

 その程度であったか……。

 しかし今日は閣下の方も、チラチラと見たりしておる。


「かっか、ごめんなさいはできないですけど、おともだちを助けてくれました。先生も困ってるし、仕方がないから許してあげます。もうイリヤに、ひどいことをしちゃダメですよ!」

「許してあげる、とはなんだね! 口の利き方を知らん小娘め!」

「かっか、いばりんぼ!!」

 イリヤはそう言いながら、座っている閣下の足の間にちょこんと座り、胸に背を預けた。ようやく元に戻ると思った途端に、完全に椅子扱いをしとる。


「見たこともない、奔放な小娘であるよ」

 閣下はため息をつきつつも安堵されたようで、だんごを食べるイリヤを穏やかな表情で眺めていた。

 イリヤも閣下に甘えたかったであろうに、なんとも強情な子供だぞい……

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